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掌編小説『置いてけぼりの夜』

 実家の自室は、夜になると踏み切りの音が聞こえた。カンカンカン、と遠くに。それから、ゴトゴトゴトと、車輪とレールがこすれる音が、かすかに届く。
朝から晩まで電車は走っているはずなのに、不思議と昼間に聞いたことはない。
 夜と言っても、毎夜ではない。遠くで踏切が鳴るのは、きまって静かな夜だった。静かで静かで、どうしようもなく独りだなと、そう感じる夜だった。
 数学の問題集を広げたまま、窓辺のベッドへと潜り込み、耳をそばだてていた。
 大学進学を期に実家を離れ一人暮らしを始めてからも、あの音が聞こえる気がして、ふと目を閉じる夜がある。
駅まで徒歩五分の近くを走る私鉄ではなく、遠くかすかに響く音を探して、窓辺で夜風に当たる。
 高校生の頃は、どこにいても自分の居場所ではないような、そういう気持ちを抱いていた。成人してからその気持ちが消えたといえば嘘で、だが、ひりつき焦げ付くような、強烈な自意識は少しだけなりをひそめた。
 そのことを、喜ぶべきなのかどうか、私にはわからなかった。ただ何か大事なものを見て見ぬふりをしているような、妙な焦りだけが独り暮らしの六畳間に転がっている。
 カーテンを超えて、秋の澄んだ風が部屋を回る。風と共に、どこからともなく電車の音が聞こえないかと、耳を澄ます。
 カンカンカンと、遠くに。それから、ゴトゴトゴトと、誰かを載せて走るあの音。
 私を置いて、電車がゆく。そのことが無性に悲しかった。

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