見出し画像

クローゼットにいる

 あばばばば、どうしてこんなことになっちゃったんだろう、どこで間違えたんだろう、こんなはずじゃなかったのに、血の気が引いて心臓がバクバクいって頭が真っ白になって、何も考えることができない、時間ばかりが過ぎていく、何度も叫んだ、叫んだけど何も解決しなかった、もうダメなんだ、やるしかないんだ、深呼吸をして気持ちを落ち着かせて、ここまでの思考は一秒にも満たない、とにかく私には三分以内にやらなければならないことがあった。

 なぜ三分か。
 それはさっきスマホに届いたメッセージに「あと三分で着くよ」と書いてあったからである。

「三分って!? 急すぎる!」

 震える手を押さえつけて私は覚悟を決める。部屋の中を振り返って見る。やらなければならないんだ、三分以内に……。
 私は腕まくりをして深呼吸をして、立ち向かう決意を決めた。

     ◇

 三分後、ドアのチャイムが鳴ってインターホンを覗くと、律儀にも本当に三分でやってきた彼が笑顔で手を振っているのが見えた。
 なんとか間に合った。
 私は急いでドアの鍵を開けて彼を迎え入れた。

「はぁ、はぁ……。待ってたよ、ツヨシくん……。」
「モモコちゃん? どうしたの? 疲れてる?」
「ううん、なんでもないよ。さ、入って。」
「お邪魔します。」

 優しいツヨシくんはケーキを二つ買ってきてくれて。それを受け取った私は、あとで二人で食べようって言って冷蔵庫のドアに手をかけようとして固まった。
 今、冷蔵庫を開けるのはマズい。

「ねえ、ツヨシくん。ケーキはやっぱり今食べない?」
「え? 今?」
「だって美味しそうだから、私食べたくなっちゃって。」
「しょうがないなあ。」

 ツヨシくんは私を見て微笑みかけてくれる。
 
「相変わらずモモコちゃんは食いしん坊だ。」

 ツヨシくんのその優しい言葉に私の心がズキリと痛んだ。

「……そうなの。いつもごめんね。」
「いいよ。」

 ツヨシくんが私の手からケーキの入った箱を取ってテーブルの上に乗せる。
 私は食器棚から皿とフォークを出して並べた。
 そしてティーポットにお湯を湧かして紅茶の用意をした。

 美味しいケーキと紅茶。
 優しいツヨシくんとの幸せな時間が流れる。二人だけの時間が流れる。

「あ、そうだ。トイレ借りてもいいかな?」
「トイレ?」

 ツヨシくんがトイレの方を指差して言った。
 今、トイレはマズい。
 いや、この部屋は安いワンルームの賃貸なので正確にはトイレじゃなくてユニットバスだけれど、今、ツヨシくんにそこに入られるのはダメだ。

「あ……、実はトイレ壊れてて……。」
「そうなの?」
「うん。だからトイレは近くのコンビニに行かないとなくて。」
「ええ? 大変だね、モモコちゃん。」
「う、うん……。」

 うう……、だらしない女だと思われちゃったかな……?
 でもこれはチャンスだ。ツヨシくんがコンビニに行ってくれればその間にトイレのあれはなんとかしておける。さっきもなんとかなったのだから、またなんとかなるはず。

「……モモコちゃん。」
「な、何? ツヨシくん。」
「あのクローゼットって何が入ってるの?」
「クローゼット?」

 気付くとツヨシくんはじっと私の部屋のクローゼットの扉を見ていた。
 クローゼット……。
 クローゼットに何か?
 クローゼットはマズい。一番マズい。

「あ……。」

 私が何かを言う前に、ツヨシくんは椅子から立ち上がってクローゼットの方に一歩一歩と近づいていく。
 クローゼットの扉からあれがはみ出しているのがわかった。なんてミスを私はしてしまったのだろう。ツヨシくんに見つかってしまったのだ。
 
「待って、ツヨシくん!」
 
 しかし私の制止を振り切って、ツヨシくんはクローゼットの扉をあけてしまった。

「これは……。」
「待って、違うの! ツヨシくん!」
「う、うわあああ!」

 ゴロリと音を立ててクローゼットの中に入れていたモモコの頭がフローリングの床に転がった。
 見られた。見られた。
 せっかく隠したのに。
 三分以内でやり遂げたのに。
 モモコが死んでしまうから。
 ちょっと言い争いになっただけなのに。
 これではトイレの胴体も、冷蔵庫の手足も、見つかったも同然。
 三分でモモコの体を切って隠して、部屋もキレイに掃除して、変装してモモコに成りきって、ツヨシくんのメッセージにも返信して、お迎えの準備もして。
 完璧だったはずなのに。

 まだ無かったことにできないかな……?
 私は一抹の期待を込めてツヨシくんに声をかける。

「……ビックリした? 偽物だよ。」
 
 信じてくれるかな?
 混乱した表情のツヨシくんが私を振り返り聞いた。

「偽物? いや、そんなはずない……。偽物はお前だろ。お前は誰なんだ? モモコちゃんは?」

 優しいツヨシくんの顔が醜く歪む。私を見る目が恐怖に染まる。
 もう。そんな顔はしないでほしい。

「ツヨシくん。私がモモコだよ。」

 ツヨシくんのためなら、私がモモコでいてあげるから。
 お願い。私の好きなツヨシくんに戻って。
 でなければ。
 ツヨシくんもクローゼットにしまっておかないといけなくなるよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?