見出し画像

うつ病の経験を振り返る 前段

私は20代後半でうつ病になり、35歳までずっと心療内科に通院していました。
36歳になった今、ようやく心療内科への通院は不要になり、半年ほど通院も内服薬もなく過ごせています。
そんな今だからこそ、当時の気持ちを振り返ってみようと思いこの記事を書くことにしました。

とはいえ、人間関係の中で起きた出来事なので読む人や該当する人物が読むと色々と不具合があるかもしれません。核心部は文章の途中から有料記事とするなどして対策しようと思います。とはいえ私を知る人はなんとなく思い浮かぶと思いますが、そこはそっと胸に秘めてほしいなと思います。

まずは前段として大まかに振り返ってみての気づきやうつ病に付随する出来事や考えたことなどを書いておこうと思います。
本編は徐々に追加していこうと思います。

死にたいのではなく楽になりたかった

私が最も精神的に参っていたころは死にたいという気持ちがありました。それは常にというより、本当にふとしたときに、あ、こうすれば死ねる。と脳裏をよぎるようなものでした。
例えば、目の前を大きなトラックが走っていったとき、高いところから下を見下ろしたとき、寝る前に飲もうと思った頭痛薬が手元にあるとき、そんな時です。
今振り返ると、本当の願いは【楽になりたい】だったのだと思います。そのための手段が【死】で、当時はそれしか思いつかなかったのです。
冷静であり、ある程度年を重ねて金策なども何とかなるようになった今なら【そのストレスフルな環境から離れる】という選択が良いと思えるのですが常にしんどくて、若くてまだお金もない、どうしたらその環境から離れても生きていけるかわからない、そんな時に最も簡単に楽になれる方法が【死】につながっていたのでしょう。
また、私の場合は人間関係に起因するうつ病であったためある意味、洗脳されている状態でした。自分の生きる場所はその環境しかない。そこから離れることは悪である。逃げることは許されない。そんなことを刷り込まれていたのです。そうすると【死】ならばもう誰もどうしようもないし、逃げたと責められてもっとしんどい想いをすることもない。そう考えるのもうなずけます。
その選択をとらなくて本当に良かったと今なら思えますが、もしあの時、ふと脳裏をよぎったときに行動にうつしてしまっていたら…
当時は自分がうつ病になっていることすら無自覚でしたが、行動力も低下していたことが不幸中の幸いだったのでしょう。
このあたりが治りかけに動くのはよくないと言われる由縁なのだろうと今なら思えます。少し元気になって行動力が戻ってしまうと、その突然やってくる【楽になれる】という誘惑にのってしまいかねません。
もしこの文章を読んでいる方で、そんな気持ちがあるのであれば、それはきっとまやかしです。本当に望んでいるのは【楽になる】ことであり、その手段として【死】は選ぶべきものではありません。
なぜなら【楽になる】手段は他にもあり、乗り越えることができた私は今、楽になれた上で少しばかりの幸せを感じることができているからです。その幸せを感じることなく、つらい気持ちのまま人生を終えるなんて悲しすぎます。

今でも夢に見る あの頃のつらい出来事

先ほど乗り越えたと書きましたが、おそらく心の深いところではまだ本当に乗り越えたわけではないのだと思います。
後ほどの投稿で書く予定ですが、人間関係でつらかった出来事が今でもフラッシュバックするように夢で再現されることがあります。
今の私なら「あぁ…本当につらくて仕方なかったんだな…よく頑張ったな自分」と起きたときに自分をほめることで折り合いをつけていますが、まだうつ病と診断されたばかりの頃や治療中では、フラッシュバックするたびに沈んだ気持ちになり何も手につかなくなっていました。
自分をほめることなんてできず、本当に退職して環境を変える選択で良かったのかななどと自分の選択を疑うような気持ちまでありました。

相手を許す必要はない

人間関係に起因することなので、どちらかが一方的に悪いというものでもないとは思います。とはいえ事実として私はその相手のとった行動、口に出した言葉、私への関わり方によりうつ病を発症しつらい時期を過ごしたのです。
たまに聖人君子のような方が「相手を許すこと」で折り合いをつけさせたりします。いじめなどでも加害者が被害者に謝罪したら被害者が許すところまでが一連の儀式で、許さなければならないといった風潮があります。
声を大にして言います。
「許さなくて良い!!」
昔の時代の大人たちは本当に上記の儀式を大事にして、そういった方向に物事が進むように諭してきます。学校であれば先生が、職場であれば管理職が。その方が穏便に済み、組織としては丸くおさまるからといった側面もあるのでしょう。
しかし、被害を受けた側はたまったものではありません。一度でも許すと言ってしまうとやり場のない感情はもう相手には向けられず、自分に向かってきます。
私は該当の人物が二人ほどいますが、許しておりません。
私の物語の中では悪役の二人なので許す必要がないのです。
※「私の物語の中」が大事です。相手の物語の中では私こそ悪役の可能性が高いです。

私の中の折り合い「だが許さない」

とはいえずっと憎む、怒るというのも健全ではないですし、あの人たちが私のメンタルを壊したからこそ今の自分がいるのかもしれないというのも事実です。壊したからこそ気づくことがありました。
(と言っていいのは自分または自分の尊敬する人だけですが)
私はその後、ある程度相手のことも考えました。その時の脳内での自問自答を記しておきます。

「相手もすごく大変な働き方をしていた。追い詰められた中であのような言動をしなければ生き残れなかったのかもしれない」
「だが許さない」
「特定の分野での技術は一流なのはたしか。その技術のおかげで救われた人もたくさんいる」
「だが許さない」
「良い人である側面もあった。助けられたこともあった」
「だが許さない」
「あの人から学んだこともある」
「だが許さない」

私の脳内会話

人間には表層にでている人格と深層に閉じ込めている人格があるのだと思います。私は基本的に良い人であろうとしているので上記の通り、いかにも良い子が言いそうなことを考えます。しかし、そこを意図的に「だが許さない」と「許し」だけは与えないことにしています。
そうしないと深層の深く傷ついた自分がさらに痛みを負ってしまいます。
今でも夢にみるくらい傷ついた深層の自分をいたわれるのは同じ自分でしかありません。
許す許さないという言葉だと偉そうに聞こえる方もいるかと思いますが、社会が許し、第三者が許し、もう自分しか覚えていないような出来事について「自分が」許さないでいる。うやむやにされてしまって、社会的には何の罰も与えられず、自分なんて存在を忘れて生きているかもしれない相手への最大復讐が「ずっと許さない」だと思います。さらに自分が幸せを手にしていればそれこそ復讐成功です。
許さないからと相手に何かをしてはいけません。そうすることで相手にとらわれて余計に自分もつらくなります。
思い出すたびに、折り合いをつけようとするたびに「だが許さない」と念じる、それで終わりとするのが自分にとっては良かったと思っています。

人間関係で苦しい時の大事な事

とにかく該当の人物から物理的に距離をとってください。
職場ならば転職が一番です。
私は2度そういった苦しい状態になることがありましたが、2度とも自分がその職場を辞することにしました。
金銭的なこと、キャリア的なこと、不安が大きいと思いますが、実際に2回経験したところたしかに金銭的に苦しい想いをしますがなんとかなります。
むしろ早めに決断しなかった分、余計に大変になりました。
もうだめだ…となる前に、元気なうちに早めに関係を断つのが良いと思います。それも部署移動とかではなく、本当にその人と全く会う可能性がないところに。

お金の話

金銭的に苦しいについて少し綴っておきます。
完全にうつ病と診断されてから闘病していくことは本当に大変です。
毎週のように多額の通院費、薬代がかかります。
実は自立支援制度により3割負担を1割負担にできるのですが、私が通っていた心療内科はそのことを教えてはくださらず、闘病から4年くらいしてやっと申請しました。
最初の頃の方が薬の量も通院頻度も多く、休職中でただでさえ減っている月収からまかなうことは本当につらかったです。
まだ20代後半の若い頃からですので、そもそもの給与も少なく当時は日当直などもしっかり頑張ってやっと生活できるくらいでしたので、休職に入ってから当然お金は足りません。家賃や光熱費などもじわじわと効いてきます。
上述の通り、通院費の補助がなく毎週のように通院・薬代がかかりますので到底賄いきれず、実際にはカードローンなどで借金をしてなんとかしのいだ形です。
今も頑張って返済しています。
なんとかなると先述したものの、私のようにもうだめだとなってからだとこのような事態に陥ります。
そうならないためにも早めに離職、長く苦しい闘病生活など経験せずに環境を変える方がトータルで金銭的に苦しい想いをしなくて済むのではないかと思います。

次の記事から

備忘録として、何があったのか。どんな気持ちになったのかを最初からつづっていこうと思います。
とはいえ思い出しながらであり、あくまで私視点の私の物語です。相手視点では違う物語なので、そこは注意してほしいところです。
当時の日記もありますがほとんど「疲れた」「もういやだ」「ねむい」しか書かれておりませんでしたので、記憶をたどっていこうと思います。

#うつ病
#私の物語


よろしければサポートお願いいたします。