発達の凸凹のつらさを、定型の人に伝えたい

凸凹がなぜ生きづらさにつながるのか?
理由がうまく説明できない人、多いんじゃないでしょうか?

私もうまく説明できる自信がないのに、担任の先生に伝えないといけないので、練習がてらnoteに書いていくことにしました。

発達凸凹の考え方は説明できる。WISC4の数字の意味は説明できる。

WISC4の数字の意味の説明は比較的簡単なんですよね。
ググればいくらでも解説が出てきます。
ググったほうが分かりやすいですけど、私なりの解釈を下記の通り書いてみますね

①目で見て理解する能力(知覚推理PRI)
②伝える能力(言語理解/VCI)
③短期的な記憶(ワーキングメモリWMI)
④仕事を片付ける速度(処理速度PSI)

なぜ凸凹辛いの?と言うあたりがうまく説明できなくて困る。

例えば、知覚推理凸、言語理解凹の場合、
(つまり、私の息子ですが・・・)

文章を読んで理解する力、言葉で表現する力が弱い。(言語理解凹)
図形を見て理解する力、図形を見て正解を推測していく力は強い(知覚推理凸)

「教科書じゃ、日本史、全く覚えられないんだけど、グーグルマップや、古地図を見ながら、「信長が~、家康が~」と説明されれば、理解できる」

「本能寺の変のとき、秀吉はここにいたのか。そりゃ油断して簡単に打ち取られるわ」
「桶狭間の変のとき、今川の領地はここか、織田はココか、織田すげーな。だからみんな(歴史学者)は、「桶狭間の変!」って、強調するんだな。

「当時の有力者の今川(25,000人)を、織田(3,000人)が桶狭間で破った」と言葉で伝えても、理解しないけども、古地図を見せて、同じ説明をしたら一発で理解できる

ここまでは、比較的簡単に説明できます。

そのように説明すると80%の確率で帰ってくる言葉
「じゃあ、図や地図で説明してあげたらいいじゃん、大変だけど頑張ってね」

いやいや、それは、発達障害の勉強しづらさ。
発達障害の生きづらさはそうじゃない。

勉強なんてできなくても、
楽しく生きていける道まで上がる階段はいくらでもある。

発達障害は、
楽しく生きていける道まで上がる階段がなく、蜘蛛の糸を辿っていかなければなりません。
お釈迦様の気分次第で、切られてしまう蜘蛛の糸は、勉強じゃない。

発達障害の生きづらさを説明してみる

人間は「承認欲求」という感情があります。

「インスタで「いいね!」をもらうために、
バシャバシャ写真撮りまくってるアレ?」
という人がいます。
たしかに、それも承認欲求の一部ですが、
そういう人は、承認欲求を意識したことがない幸せな人です。

・失恋したときに辛いのは承認欲求ゆえ

結婚を意識していた彼氏に、突然フラれる。
当然OKしてもらえると思い、彼女にプロポーズしたところ、断られる

「もっといい人がいるよ」
「男は(女は)星の数いるよ」

友人が失恋したらこのように慰めると思います。
もう少し深堀りすれば、
「あなたの良さを分かってくれるもっと良い人がいるよ」
「男は(女は)星の数いるよ。だから、あなたの良さを分かってくれる人がいる」

傷心の友人に伝えたいのは、
「振った彼(彼女)じゃない誰かが、あなたの良さを分かってくれるはず。それだけの価値があなたにはある。」という事です。

失恋した本人目線では、
「振った彼以外の誰かが、私の良さを分かってくれるはず。私にはそれだけの価値がある」
と、一生懸命思い込もうとしている状態です。

「誰かが、私の良さを分かってくれるはず。私にはそれだけの価値がある」
こう思えることが、自己肯定感が高い状態。

「誰も私を評価してくれない。なぜなら私には何にも価値がないから」
こう思っている状態が、自己肯定感が低い状態。

・担任の先生にも怒られた
・校長先生にも怒られた
・母親にも怒られた
・父親にも怒られた。
・クラスメートに鼻で笑われた

大人目線では、指導やしつけのつもり、
クラスメート目線でも、「輪を乱すあいつが悪い」です。
しかし、あまりに否定されすぎて過敏になっている発達障碍児。

「誰も僕のことを分かってくれない」と
失恋の時と同じショックを受けます。

担任、校長、父、母、クラスメート
日々、新しい失恋を次々としている状態です。

周囲は悪気なく、自分を否定される例

うちの息子(小3)は、オンラインのフリースクールに通っています。

このフリースクールはチャットで進行していきます。

先生が問題をだす。
生徒たちは、グループチャットで、答えたり、説明したりしていく。

先生がみんなに向けて問題を出す。
息子は、いち早く正解をチャットで答える(知覚推理・凸のため)

先生は、「正解!みんなに説明できるかな?」と言う。
しどろもどろになり
説明が支離滅裂になる。(言語理解・凹のため)

先生は「まぐれ当たりなのかな?」と思う

「う~ん、答えは合っているけども、
 考え方は違うね。たまたま正解したのかな?
 お、○○君も分かった?説明してみて」

「○○君、すごい、一番早く正解したね」

横に母親(私)がいる場合、
「xxxが△△に置き換えることができるから」って言わないと伝わらないよ。」
「先生の思っている解き方とは違うけど」と前置きしたほうがいいよ
などと、助け船を出すことができます。

しかし、普通の小学校では、そんな助け舟はありません。

「僕が一番に分かっていたのに、先生に分かってもらえなかった」
「僕の考え方は正しいのに先生に分かってもらえなかった」

”僕の良さ”を先生が分かってくれなかったという感情だけが残ります。

これを、先生、親、クラスメート、祖父母、周りを取り巻く人全員が悪気なく行っていった結果、

「”僕の良さ”をみんなが分かってくれない」」
という思考になります。

それに気づかずに、周囲の対応を変えないままだと

「僕にはいいところは一つもないから、みんなが否定してくる」
という思考に至り、思春期の二次障害に繋がります。

「みんなが分かってくれない」この感情のつらさは、
失恋の時のつらさと同種類のものであり、身を切られる辛さです。

凸凹を抱える子供(大人も)にとって、
理解されないことは、毎日です。
毎日、失恋を繰り返しています

自己肯定感を高めることがなぜ重要なのか説明が難しい。

「自信満々な大人に育つとがたち悪くない?ナルシストになりそう」
という指摘を受けます。
指摘してくるのは、「自己肯定感」について深く考える必要のなかった幸せな人々です。

あんたらの何百倍も、「自己肯定感」について考察してきたのよ!
と思いますが、
いざ合理的に反論しようとすると、意外と難しいんですよね。

自己肯定感の大切さを説明してみる

毎日毎日失恋しているようなもの。と書きました。

失恋って辛いものです。
しかし、失恋しても、全く堪えないひとがいます。

(偏見ですが)
叶姉妹は「私をフルなんて、見る目がないわね。」と
失恋した瞬間に微笑んでいそうです。

こういう人たちは、なぜ失恋がダメージにならないのか?というと、
「誰が何と言おうと、私は魅力のある女性。それは揺るがない」
と、自信を持っているからです。
一言で言えば、「自己肯定感が高い」

息子の例に戻ります。
「まぐれ当たりかな?」と先生が言われて、
息子はショックを受けました。

しかし、自己肯定感が叶姉妹並みに高ければ
「間違っているのは、先生。正しいのは僕。誰がなんといおうと僕は賢い子供だから」と笑顔のままです。

分かりやすく大げさに言いましたが、
そこまで自己肯定感たかめるのはエベレスト登頂並みに難しい。
発達障碍児教育の第一人者がマンツーマンで教育しても
そこまで自己肯定感を高めるのは難しいと思います

現実的には、
友人や親が「先生がおかしいよ!(ひろ香 息子)君が、算数の問題を間違うことないもん」とはげまして、
「先生がおかしいのかもしれない」と思ってもらうことで
これ以上自己肯定感が下がらないようにする
・・・・が現実的な対処になると思います。

二次障害をおこさないために

思春期での二次障害(うつ病発症etc)がおこらせないために
自己肯定感を高めていくことが理想。

最低でも、自己肯定感が下がらないように、
周囲がフォローしていくことが必要です。

これだけ言われると抽象的過ぎてよくわかりません。
でも、
失恋に例えていくと、伝わりやすいのではないかと思います。


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