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何であれ助け合う事が大切

 静岡県の川勝知事が6月の定例会終了のタイミングで知事を辞職をするそうです。リニア新幹線にワクワクしてた母は兼ねてから『コイツが反対してるせいで、リニア新幹線乗れなくなるじゃん!』と言ってました。完成は27年以降…母は年齢的にもう乗る事は難しいでしょうね😓
リニアにしても、北陸新幹線の今後のルートにしても、新幹線に関する話はまた別で述べたいと思います🚄


 今月、改正版・障碍者差別解消法が施行されました。障碍のある方との共生社会が更に当たり前になる事でしょう。私の職場でも、合理的配慮が義務化された事を説明されました。

障碍者としての立場として、私見ながら述べたい事が御座います。もうそろそろ、障害者という概念そのもの変えていくべきですよ。
私は発達障害と診断されて、HSP気質だと分かり、毒親育ちと分かって、自身では精神的自立を成せてます(経済的自立には、ベーシックサービスという条件が不可欠)。しかしながら世の中には私並に、または以上の生きづらさを抱えてる方がまだまだいますし、いるという事は即ち…今の法では不十分という事なのです。なので今回施行された差別解消法にしても、総合支援法にしても、目に見えない障害者の生きにくさにはコミットしておりません。コミットする様な策を練らずに合理的配慮を義務化した所で、変わらないどころか『障害者が怖い』と怖気付く人がさらに増えます…日本人は怖がりな国民性なので、尚更増加すると思いますよ?😑

まずは障害者の概念・区分の見直しをすべきです。特に見直す必要があるのは、知的障害と発達障害です。理由は知的障害の場合は境界知能、発達障害の場合は発達グレーゾーンがあるのですが、廃止しましょう!境界知能もグレーゾーンも、軽度障害という区分として支援の手を差し延べられる体制を作るんです。
ベーシックサービスなどの豊富な福祉支援が世に浸透したら、次は発達障害などの目では分からない障害の方を障害者と呼称するのをやめて、その人の特性を才能・個性とする世作りです。例えば私の場合は『軽度の知的が伴う発達障害』の当事者なのですが、この呼称をマイルドに『能力の凹凸で経済的自立に困難を抱えている人』に変えるんです。そもそも"障害者"という言葉自体がストレートが過ぎる差別的かつ攻撃的な言葉ですし、この言葉によって私も含め当事者の皆様は人間としての尊厳が踏み躙られております。ただいきなり"障害は個性"と捉えるのではなく、まずは障害の受容して本人の努力と豊富な支援サービスの下で向き合えなければ、個性として成立しません。
目指すゴールはズバリ、障害・健常者の枠を超えて何であれ助け合う事が大切が当たり前の社会だという事です🥅

私達も人間です。父母の夜の営みにより、母のお腹で命が生まれ、36週の日時超えて腹中から出てきた正真正銘の人間であります。喜怒哀楽もあるし、好いも嫌いもありますし、人によっては立ち止まって冷静に思考を巡らせられる人もいます。
今はカテゴライズされていて、差別という苦しみが伴いますが、徐々になくなっていく事を切に願っております🙏🏻


 キャリーケースを取り出して、宿泊に必要な荷物を中に入れました。行きは軽いですが、帰りはお土産や収穫物がたくさんあるので、確実に重くなります。
仕事も残り二日、頑張ります💪🏻

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