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審判への無礼な文句も「練習の成果」 ・・・スポーツ指導のコミュニケーション論

「underコロナ」時代のスポーツ指導現場でのコミュニケーションについて書いていきたい。理由は、

①大会がなくて、「長期的な成長」に集中せざるをえない中で
②社会のオンライン移行の中で、「言葉の重要度」は上がる

と思うから。

①について4月に『大会なき2020年の「視点」の切り替え』を書いた。長距離コーチのマット・ディクソンも「アスリートとしての自分」から少し距離を置いて、俯瞰しよう、と言う ↓

では、どう俯瞰するか?

僕は「言葉」に注目する。スポーツ現場で疎かにされがちで、かつ、活用するポテンシャルも大きいがと思うから。学生アスリートにとって、数年後かの「Afterコロナ社会」に適応した能力を磨くチャンスとなるだろう。チャンスとは、活かせるかどうかで大きな差がつくということ。指導者にとっては「社会で活躍できる能力をスポーツで育てるチャンス」だということだ。

このnoteでは、サッカーなど審判の判定に文句を言う事例について考えてみる。(2021/3/20更新)

「文句」=一方的・感情的

事例:

トップレベルなら、映像チェックが浸透しているから、ルールに沿って淡々とチェックを要請するだけ、そこに「文句」というネガティブな感情を挟むのは合理的ではない。TV映りも悪いしTwitterで拡散されちゃうし😁

追記:Jリーグは2021年シーズン開幕前、暴力プレーだけ集めた9分間の動画を編集、必ず見ろ、と各クラブに配ったそうだ ↓

動画には、審判への威圧的・無礼な振る舞いも含まれている。「やったら来年動画で出回るぞ?」というのはすごい抑止力になる。リーグ側がやらなくてもSNSで出回るだろうし。

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問題は、そこまでいかないレベル。「なんで◯◯なんだよ!」「レフリーちゃんと見てろよ!」とか、よくあるんじゃないだろうか。聞こえないようにボヤくケースも含めれば。市民トライアスロンなどでも、ドラフティング違反(を取らないこと)などについて、わりと聞く話でもある。

文句とは一方的な主張にすぎない。それにより相手が意思を覆す確率はかなり低い相手が審判ならまず通らないし、ドラッグストアで「マスクなんでないんだ!」と店員にキレたところでマスクが出てくることはない。

それでもやってしまう「文句の心理」を考えてみると、行動経済学的に見れば、「自分の意見を一般的で適切なものであるとして、それ以外の判断をする人は非常識と断定する」フォールス・コンセンサスとして把握できると、上記ツイート続きで西原さんが書かれてる。

さらに分解してみると、
・「不本意な判定」「マスク売り切れ」など希望に沿わない状況があり
「自分は正しい」という自己肯定(フォールス・コンセンサス)もあり
・両者のギャップ(認知的不協和)によって攻撃されたと感じ、
・審判or店員(その状況を客観的に伝えているに過ぎない)を攻撃することで、「戦えている自分」を自己確認し
・最初に受けた心理的ダメージを回復したい

のだろう。だがそれは動物的な生存本能の延長でしかない。野獣かよ(冒頭写真のイメージです)

「質問とフィードバック」=双方向的・合理的

ここで望まれるのは、双方向な会話をすること。具体的には、西原さんが返す通り、「文句」ではなく「質問」することだ。

「なぜその判定なんですか?」

と礼儀をもって聞けば、なにかしらの反応は返ってくるものだ。

客観的には、「自分が見えている(と思う)世界」と「審判が見た世界」とに、ギャップがあるという状況だ。その差を正しく理解するための情報が「フィードバック」

審判に質問することで、フィードバックを得ることができれば、試合中の次からのプレーを修正することができる。そんな修正能力は、プレイヤーとしての成長でもある。

練習したことは試合で再現される

冷静に考えれば、試合中に一方的な主張をぶつけることにはマイナスしかないし、フィードバックならプラスを得られるかもしれない。なのに試合中にできないのは、そうなるような練習をしているからだ。

文句しか出てこない、対等な質問をできないチームでは、おそらく普段の練習から、指導者が選手に対し、一方的な攻撃しかしていないのではないだろうか?

選手はそういったコミュニケーション手法も併せて「練習」しているということだ。練習で繰り返されてきたことは試合でも再現される。その産物の1つが、試合では生産性なき「文句」として現れているのかもしれない。

試合で審判に通用しないものは、社会に出ても通用しないのは当然。

立場が上の相手と対等に話せるスキル

この現象、現場の方によると、日本社会の、特にスポーツ界での「立場が上の相手と対等に話せるスキル」という問題に行き着くようだ。

たとえば日本では、指導者や教師が「質問ある?」と問いかけた時に、何も反応がない状況は多い。NHKの「奇跡のレッスン」でも、ガイジン指導者の問いかけに対して日本の少年少女(と親)たちが顔を見合わせながら無言で微笑んでいる光景はおなじみだ。

これは「文化」であり、空気レベルで一体化してる感覚だから、そうすぐには変わらないだろう。だからこそ意識してトレーニングする必要がある。

日本のスポーツ社会では特に強いところが多いようだ。そこで育ったスポーツ出身者は、就職には強く、入社後数年は「従順な後輩キャラ」としての居場所がある。ただし若手期間限定での武器でしかなく、「体育会30歳のカベ」が待っている。(2月に書いたnote「個人種目アスリート、ビジネス界での弱みと強み」参照)

社会に出てこそ通用するスポーツ出身者を目指すのなら、「目上の人と対等に話すスキル」を意識し、学び、トレーニングしていくといい。そんなアスリートを育てたい指導者もまた同じ。

こうして練習から対等なコミュニケーションを活用できていれば、エキサイトした試合でも審判に対して冷静な会話ができるだろう。就活の面接官に対しても、会社の先輩上司に対しても。

結論:社会で活躍できる人材をスポーツで育てたいのなら、練習のコミュニケーションの見直しを。

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4.19) note公式 #スポーツ記事まとめ 掲載いただきました。5本目になるので、マガジン「#スポーツ記事まとめ掲載記事」に集めました。

アスリートによる自己観察と言語化の究極は、為末大さん『ウイニング・アローン』だと思います。あとで書評したい。

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