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ブリオベッカ浦安~巨大テーマパークの側で戦うサッカークラブの挑戦~

 JR舞浜駅は日夜若者たちで賑わっている。それもそのはず。至近に巨大なテーマパークが2つも聳えているからだ。
 千葉県浦安市は西に東京都と接する千葉県北西部の小さな都市である。約4キロ四方の小さな土地の中にはおよそ17万人の人が住んでいる。多くの住民が東京都に通勤し、新浦安駅前には巨大なタワーマンションも建つという立地だ。
 その小さな街の中に、かつてJFLの舞台で戦ったチームがある。ブリオベッカ浦安。元日本代表・都並敏史氏が監督を務める関東1部リーグ所属クラブである。
 舞浜駅から徒歩15分。巨大なテーマパークのすぐ側で、再び全国リーグの舞台に戻ろうと日夜奮闘している。
 誰もが知っている一大テーマパークを有する土地で、彼らは何を目指して戦っているのだろうか。谷口和司代表にお話を伺った。

1. ブリオベッカ浦安の歴史


 ブリオベッカは1989年、浦安ジュニアサッカークラブ(浦安JSC)として産声を上げた。その名の通り、元々は社会人チームではなかった。
 当時、浦安にはカップ麺などで有名な東洋水産の野球場があり、東京ヴェルディの前身にあたる読売クラブのOBたちが野球場をグラウンド代わりにサッカースクールを行っていた。この野球場が無くなるにあたって、クラブチームとして立ち上げ直したのが始まりであった。
 発足時は小学生と中学生のチームのみだったが、ここで学んだ選手たちの成長に合わせて高校生、そして社会人のトップチームが結成されていく。
 ジュニアの名を冠したまま活動を広げたクラブであったが、その後チーム名を2度変更することになる。谷口代表に当時を振り返ってもらった。
「我々はジュニアを大切にしようとやってますので、浦安JSCという名前を変えずに社会人選手もやっていこうとやってきました。しかし、(それでは)いくつか不都合が出てきました。浦安市内の色んなジュニアチームからジュニアユースに選手たちを集めてチームを作るということをやろうとしていたんですけども、他のジュニアのチーム同士からはライバルチームのように見えていた。同じ(浦安JSCという)名前でやっていくと、ライバルチームの上のカテゴリーに入るという風に他のチームからは見えてしまっていたんですね。ジュニアユース以上というのは浦安全体の子供たちの目標のチームでいきたいと考えておりますので、チーム名を変更しようという結論に落ち着きました」
 こうして、2012年、チーム名を浦安サッカークラブに変更。更に、2015年には「(より)地域の皆様に愛されるチームにしていこうということで」チーム名を公募。浦安で海苔の採取に使われる『べか船』を盛り込んだ、ブリオベッカという名前が選ばれた。
 同年、全国地域チャンピオンズリーグ(地域CL)で2位に入ったチームは、悲願のJFL昇格をつかみ取った。しかし、全国リーグの壁は厚く、僅か2年で降格。現在は、元日本代表の都並敏史氏を監督に迎え、JFL復帰に向けて関東1部リーグを戦っている。

2. 都並敏史監督と舞田べか彦


 ブリオベッカ浦安の目立つトピックを何か取り上げようとすると、次の2つが挙げられるのではないだろうか。トップチームの監督を務める元日本代表DF・都並敏史氏と、マスコットキャラクターの舞田べか彦だ。
 現役時代、左サイドバックで名をはせた都並氏は読売クラブ・ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、アビスパ福岡、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)で活躍。草創期のJリーグを支えると共に、日本代表でもドーハの悲劇を経験するなど主軸として活躍した。
 実は、クラブ設立当時から都並氏とブリオベッカは関わりを持っていた。読売クラブで都並氏と共に戦っていた仲間が発足に尽力したこともあり、間接的な援助をしてもらっていたそうだ。
 その関係がより縮まるのは都並氏の長男・智也選手が関わっている。というのも、智也選手が高校進学の際、当時の浦安JSCユースに加入したからだ。後に、智也選手はトップチームに昇格することになり現在は関東リーグの他チームで選手を続けているのだが、当時の都並氏にとって浦安は息子の所属するサッカチームという立ち位置に変化した。
 両者の関係が直接的なものへと変わるのは2014年。都並氏がテクニカルディレクター(TD)に就任したことがキッカケだ。
 当時解説者を務めていた都並氏は、たまたま浦安のホームページを目にする機会があった。そのとき、クラブ理念にかつて自身が所属していた当時の読売クラブの理念がそのまま書かれていることに気付いたのだという。自分が今やりたいことが浦安に残っているのではないか。そう思った都並氏は谷口代表に直接コンタクトをとり、クラブのTDに就任する運びとなった。
 強い使命感を持ってやってきた都並氏は、クラブのJFL昇格と関東リーグ降格をどちらも体感することになる。そして、責任感を強めた彼は、クラブをJFLに復帰させるため、2019年シーズンよりチームの指揮を執ることになった。
「都並の知名度はクラブの力になります」と谷口代表は語る。都並敏史というネームバリューは、クラブの露出を増やすきっかけにもなるし、多くのサッカーファンの来場を促すピースにもなる。今年に入ってからは1日警察署長を務めるなど、地域にとって欠かせない存在にまでなっている。都並敏史という1人の偉大な男は、ピッチの上だけでなく様々な部分でクラブに多くのものを還元してくれているのだ。
 そんなクラブにあって、都並氏に比肩する勢いでクラブを支えている存在がもう1人いる。それが、マスコットキャラクターの舞田べか彦だ。
 一度画像を見てもらえばわかると思うが、このべか彦くん、めちゃくちゃ可愛いのだ。恐らくJリーグマスコット総選挙に参戦したら上位に入賞するのではないかと思ってしまうくらいには、めちゃくちゃ可愛いのである。
 しかし、アマチュアクラブにあって、マスコットキャラクターが存在する例はあまり多くない。一体、べか彦くんはどんな経緯で誕生したのだろうか。
「マスコットを作ろうと最初に提案していただいたのは青年会議所の皆さんでした。青年会議所の主導の下でマスコットキャラクターを公募していただきまして、まずデザインを決定しました」
 猫をモチーフにしたデザインは市内に住んでいた女子高生によって応募されたものだったという。
「そこから名前を付けようとなりまして。市内の大きなお祭りがあったときに青年会議所がブースを出して、そこで大々的に公募しました。1000通近く集まった案の中から『べか彦』という名前を選びまして、更に名字も付けることにしました」
 名字と名前。フルネームが付けられているマスコットキャラクターも珍しいものだが、この『舞田』という名字にも地域性が強く反映されている。
「浦安に三社祭という大きなお祭りがあるんですけど、その御神輿を担ぐときのかけ声が『まいだ』なんです。それにあやかって、当て字で名字を作りました」
 更に、キャラクター性を与え、1人の仲間として独立させていった。
「浦安小学校の6年生という設定を与えて、市内に住む1人のサッカーを愛する子供としてキャラ付けをしました。それから、ダンスが得意という設定があって、ホームゲームでもダンスチームと一緒に踊ってもらってるんですが、市内のダンススクールの方にも協力してもらいました。実は浦安ってダンススクールがすごく多くて、市内のテーマパークで多くのダンサーさんが働いているという地域性もあります。そこで伝手を頼って着ぐるみを製作するときにダンスをしやすい作りにしてもらったんです」
 丁寧な愛情深いキャラ作りで、べか彦という1人のマスコットキャラクターが生み出された。地域の方々にも支えられながら誕生したべか彦は、今や地元のアイドル的な存在にまで成長した。
「べか彦がブリオベッカを離れて、自分のキャラクターで街の中のアイドルの道を歩んでるんです。例えば、商工会議所の大きなお祭りがあるんですけど、そこでべか彦がブリオベッカとは別にDJをやってもらったりして。結果としてべか彦ファンの人も生まれてきています。僕たちが目指すのはサッカーチームでJを目指すとかよりは、地域の皆さんを一つにしていく、地域に活気を与えるという部分。マスコットが生まれた時も同じ考え方で、サッカーのためというよりは地域のためという考えでやっていました」
 孫を見守るおじいちゃんのような柔らかい笑みを浮かべた谷口代表。その表情からは、べか彦の活躍から確かな手ごたえを感じているように映った。

3. ブリオベッカの目指す先


 ブリオベッカ浦安はJリーグ加盟を目指すクラブの1つである。だが、あまりその認識がないサッカーファンも多いだろう。それもそのはず。クラブは将来的なJリーグ加盟を大々的に公言していないからだ。
理由は1つ。Jリーグ加盟はクラブの目的に位置付けられていないからだ。
「クラブが元々育成年代のチームから始まっていることもあって、我々は(地域の)子供たちを大事にしようという考えを第一にしています。サッカーを通じて人間力を育成する。これが我々のビジョンです」
 地域の子供たちのためにサッカーを使う。それがクラブの根本の考え方である。
「人間力とは何か。コミュニケーション能力、意志の強さ、忍耐力などなど、色々あります。色んな側面を定義して、人間力を作るためにサッカーを使います。サッカーを使って地域の子供たちを育てて、ブリオベッカで育った子供たちが世界や地域で活躍できる一流の人間になっていく。それが我々のミッションです」
 一流の人間とは何か。それは一流のサッカー選手だけに限らない。指導者、ビジネスマン、起業家、お父さん。どんな形でも構わない。1人1人の子供たちを、様々な業界や側面で活躍できる人間にすること。それがクラブにとって何より大事なことなのだ。
「クラブがこうした形でやっているので、トップチームは地域の子供たちが憧れるサッカーチームになってほしいと思っています。そのためには、Jリーグを目指すこと、プロクラブになることも重要な手段の1つです」
 ブリオベッカがJリーグを目指すことは目的ではない。地域の子供たちを第一に考えるがゆえに目標付けられた1つの手段なのだ。
「もう1つ、サッカーには地域を1つにする力があると信じています。浦安は市の真ん中に湾岸道路が走っていまして、そこが交通の利便性を阻害している面があります。そのため昔からある東西線沿線の『本町』と、新浦安からの埋立地の『新町』との間ではあまり交流が活発ではないのです。しかし、ブリオベッカのホームゲームの来場者にアンケートを取ったところ、両地域からまんべんなく来場者が集まっていることがわかりました。JFL昇格前の時点で平均1250名くらいの観客動員数がありましたし、サッカーの試合にはこれだけの力があるのですね」
 クラブにとって最も大切な育成の輪を広げるためには、地域に愛されるクラブにならなければならない。地域を1つにできる、地域に愛されるクラブならば、必然的に地域の子供たちが憧れる存在になる。そうなれば、子供たちが入りたい、保護者の方もブリオベッカに自分の子供を入れたいと思ってもらえる。育成型クラブであるからこそ、地域に愛されるクラブになることは必須条件なのだ。
 育成にウェイトを置きつつ、地域に密着したクラブになる。それがブリオベッカの目的であり、それゆえにカテゴリーに捉われないサッカーの本質をよく感じられるクラブへと成長している。
「JFLにはJFLの、関東リーグには関東リーグの良さがあります。でも、来場者や住民の方がカテゴリーを気にするだろうかという疑問も持っているんです。確かに、選手や監督は上を目指したいと思ってやってますし、僕らとしても全力でバックアップしています。ですが、関東1部リーグという実質5部のカテゴリーでやっていて、その中でお客さんが沢山来て楽しんでいただいて、子供たちが我々を目標にしてくれるなら、それはそれで良いじゃないか、と思うんです。クラブの理念を体現できてるわけですからね」
 だからこそ、今のカテゴリーでも幸せを噛みしめながらやれている。谷口代表は溢れる多幸感を抑えながら続けてくれた。
「例えば、ドイツにある街クラブは3部でも4部でも5部でも、おじいさんたちが集まって飲みながらクラブの話をしたり、『あいつ今活躍してるけど子供の頃はこうだったんだよ』みたいな話がファンの間で話題になります。我々が目指すところって、こういうところだと思うんですよ」
 おらが町のチームを応援し、その勝敗に一喜一憂する。地域の人々が1つになってチームをサポートし、子供たちの目標となる存在になる。
 カテゴリーは関係ない。サッカークラブの本来あるべき姿を感じ入った。

4.クラブの将来像と課題


 育成と地域貢献に主眼を置きながら、当面はJFL昇格に向けて活動する。それがブリオベッカの現在地だ。
 しかし、ここで1つの大きな問題点を議題に挙げなければならない。実は、ブリオベッカはJFLに昇格すると、浦安市内でホームゲームを開催することができないのだ。
 何故か。現在ホームスタジアムとしているブリオベッカ浦安競技場が人工芝だからである。JFLの規定では、ホームゲームは天然芝のグラウンドで開催しなければならないこととなっている。そのため、JFLではホームスタジアムを使用することができないのだ。
 この壁は以前JFLに昇格した際にも立ちはだかった。当時は、柏市の柏の葉競技場などでホームゲームを開催することで乗り切った。
 しかし、今もなおスタジアム問題はブリオベッカにつきまとっている。現状のままでは前回の昇格時と同様の対応をとらざるをえないのだ。
「確かに前回JFLにいた2年間で、浦安市民のブリオベッカへの熱が下がってしまったのは事実です。ネーミングの浸透度も落ちてしまいました。理想を言えば、JFLでも浦安で開催できる環境になった上で昇格できれば良いですけど、それは夢でしかありません」
 ただ、前回の昇格時よりも悲観的ではないと言う。
「幸いにも、今の我々は監督の都並の知名度を使うことができます。都並のチームなら観に行こうということは、どこで試合を開催しても起こりうる。それから、前回JFLでやってた時の経験なのですが、違う場所で試合をやってもその場所の盛り上がりに繋がりますし、その開催地で何らかの活動をしたり知名度を上げていくことも必要だと思います。ブリオベッカを取り巻く輪が近隣地域に広がっていくことにも繋がりますからね」
 前回のJFL在籍時よりも知名度が向上しているのは確実である。加えて、都並監督やべか彦といった吸引要素は増えている。クラブの成長とJFL在籍時の経験は確かに還元できているのだ。
「JFLに上がって活躍していく中で、市民に『浦安にJクラブを作りたい、スタジアムが欲しい』という機運が生まれてきて、結果的にスタジアムができる。これがベストな流れだと思います。浦安を中心とした、より広範囲での活動もしていきたいと考えているので、そこにも繋がると思っています」
 そして、クラブの未来についても語っていただいた。
「我々は育成を大切にしていますので、浦安を中心に千葉県の地域、東京都の近い地域の皆さんに応援に来ていただいたり、子供たちがチームに入ろうと思ってもらえるような、地域を広げた中での地域貢献活動をしていきたいと思います。浦安を中心とした地域の中でスポーツを中心とした役割を果たしていきたい。ブリオベッカに入ったことによって、子供が大きく成長したと地域の方に実感していただけるようなチームにしたいと思ってます」
「加えて、この中で資金力もつけていきたい。前回JFLにいたときは、他のクラブさんと比べても圧倒的にスポンサーの数が足りませんでした。降格してから130社くらいまで増えたのですが、(現在J3の)アスルクラロ沼津さんは私たちが昇格した当時、JFLですでに200社を超えていました。全国リーグを勝ち抜くにはそのくらいの資金力はつけないといけないんだと感じています。地域の色んな方にご協力いただいて資金を増やす、資金を増やしてチーム力を高めて勝ち抜いていく。そこも1つの課題だと感じています」

 育成と地域を大切にする。その中で、サッカーの喜びを享受できている。それがブリオベッカ浦安の現在地と言えよう。その中で、2020年、2021年シーズンとチームが好調を維持できているのは、クラブが明確な理念とビジョンを見据え、一歩一歩地道に階段を昇り続けた賜物なのかもしれない。
 サッカーを愛し、サッカーの神様に愛される。そんな素養を小さな町の市民クラブからは感じさせる。巨大なテーマパークを擁する地域にプロサッカークラブが生まれるのも、そう遠くない未来のように思えて仕方ない。
 最後に谷口代表からのメッセージを記して結びとしたい。ブリオベッカの今後の躍進を祈念している。
「我々が目指すサッカーはお客さんが楽しめるサッカーです。今ライブ配信を一生懸命やっていますので、ライブ配信を契機にグラウンドに行ってみたいなと思っていただけると幸いです。グラウンドに行くと選手たちのかけ合いの声やボールの音がものすごくリアルに響いてきます。小さな競技場ですけどライブ感と、プロとはまた違う迫力があって非常に面白いです。それと、ファンになっていただくと勝ったら一緒に喜べます。負けたら一緒に悔しがる。見に来たときに悲しかったり悔しかったりする気持ちも生きてる実感が湧いてきます。是非我々を応援していただいて、一緒にサッカーを楽しんでいただいて、生きてる実感を感じてください。一緒に盛り上げていきましょう!」

取材・文:湯郷五月

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