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叔母

祖父の入院をきっかけに、仕事を休んで急遽札幌へ飛んだ。事情を話すと「そりゃあ、お祖父さんのそばにいてあげるべきですよ」と仲間たちに背中を押され、思い立った次の日の夜には新千歳空港に到着。祖父母宅に五日も滞在することになったのは、実に小学生ぶりだった。(ちなみに後日蓋をあけてみると、嬉しいのか少し寂しいのか、社員たちは私の居ない会社を実に正常にまわしてくれていた)。

祖父母が暮らす札幌の家には先んじて叔母が到着しており、明日は朝から祖父の病院に行こうと作戦を立て、それぞれ眠りについた。

この叔母というのは私の父の妹で、生まれたときから大変お世話になった人である。口から生まれてきたんじゃないかと思うほどお喋りな父と幼少期から渡り合って来ただけあり、叔母もまたなかなか強烈なキャラクターの持ち主だ。この間は何を思ったか突然「ミミちゃん」なる猫だったか熊だったか、とにかく白い動物のぬいぐるみをリュックサックに詰めて帰札することを思い立ち、もし「このぬいぐるみは?」と空港で聞かれたら「北海道にいる孫がね、このぬいぐるみをどうしても持って来て欲しいというんです……」としおらしく答えようと画策していたらしい。誰がぬいぐるみを持っていようと空港で理由を問い詰められることはないと思うのだが、叔母が架空の孫をでっちあげ、「ぬいぐるみを持ち歩くのに相応しい理由を持つ五十代女性」を自然に演じることを念頭に空港に向かったと思うと笑えてくる。

無事に荷物検査をパスして持ち主の実家に連れてこられたものの、結局は祖母に気に入られ、そのまま住まいを札幌に移すことになろうとは、さすがにミミちゃんも予想していなかっただろう。

そんな叔母を含め、私の従兄弟にあたる叔母の二人の息子や私の両親と妹、祖父母たちと共に団体でグアムに行ったこともある。ばかばかしいほど大きく「I♡GUAM」と書いてあるTシャツが売っているような小さな商店の軒先で、叔母は十ドルくらいの腕時計を見つけた。某世界一有名なねずみのキャラクターの二本の腕が短針と長針としてデザインされており、彼の肩関節は時を刻みながら奇妙な方向に曲がっていく。叔母はその時計を「お兄ちゃんこれ買ってえ!」と私の父に元気にねだった。父は即座に「いいよお!」と妹のリクエストに応え、二人のその会話がなんだか息ぴったりでおもしろくて、何歳になっても兄妹なんだなぁ、なんて思った。ちなみに叔母の甘え上手は彼女の息子、末の従兄弟のユウヤに脈々と引き継がれている。

祖父の見舞いがもともとの理由ではあったけれど、私は今回そんな叔母と大人になってから初めて一対一でゆっくり話す機会に恵まれた。祖父の様子を見に行ったり、それを他の家族に電話で伝えたり、祖父の必要なもの聞いて取ってきたり、祖母が好きな料理を分担して作ったりと、同じミッションを共有する、ある種の一体感を感じていたのは私だけではないはずだ。滞在二日目の夜に何気なく歯磨きをしながら叔母の寝床で話し始めたら何だか止まらなくて、途中からお腹が鳴ってリビングで残り物のパンを頬張りながら夜中まで話した。あのときの「話、止まらないよね?そうだよね?パン、焼いちゃう?」というニヤニヤした感じが何とも嬉しくて、私は普段両親にも照れくさくて言えないような、自分の考える大切な価値観や家族についての想いなんかを伝えてみた。叔母は初めて聞くエピソードを用いながら付き合ってくれ、欲しいタイミングで共感してくれた。その内容は私と叔母の間だけで共有されたということ自体にも価値があると思うから詳しくは書かないけれど、「ずっとあやちゃんとは、こんな話ができると思ってたんだ」と言ってくれたことが嬉しかった。次の日の会社のミーティングで自慢してしまったほどである。

こんなふうに近すぎる人には言えないことを、叔母や姪に話せるって、結構良いんじゃないかなと思った。親戚だけど、親子じゃない。ひどく世話を焼く訳はないけれど、応援者でいたい。いざというときには一肌脱いであげたい。確かに斜め上の存在って、会社でも大事だもんね。私も叔母みたいに、誰かの斜め上の存在になれるかしら。そしてその子がポツリと何かを溢したときに、掬ってあげられる人になれるかしら。

そんなことをふと思いながら朝食の席に着くと、なんと叔母はあの例のねずみの時計のイラストが描いてあるTシャツを着ていたのである。え?どういうこと。どれだけ好きなの?そのモチーフ。相変わらずそのねずみは、笑顔で肩関節をめちゃくちゃな方向に外していた。

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