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90歳越えの祖父を巻き込んで、家族で「noteエッセイクラブ」をはじめた話

はじめまして、初孫アヤメと申します。

noteはもっぱら仕事で使っていたのですが、ひょんなことから家族で「noteエッセイクラブ」をはじめることになりました。これが、ことのほか我が家で盛り上がりを見せており、私個人としても「やってみてよかったな」と思っているので、熱の冷めないうちに事の発端と運営方法、1ヶ月ほど運営しての感想などをまとめておきたいと思います。

きっかけは祖父の入院

祖父は元新聞記者で、いまだに物書きとして仕事をしています。そんな祖父も90歳を越え、病気をして入院することに。祖父母は札幌に住んでいますが、彼らのふたりの子供は東京でそれぞれ家庭を持ち、筆者はこの祖父の初孫。今は独立して都内に住んでいます。

90歳という年齢も年齢ですから、祖父の入院の知らせを聞いて「今回ばかりは仕事を休んででも会いに行かなければ」と思ったのが正直なところ。結果として大事に至ることもなく、拍子抜けなくらいスグに退院して来たのですが、三度の飯より文章が好きな祖父への「入院中の見舞い品」として叔母と私が書いた原稿用紙数枚の散文が、このエッセイクラブのはじまりとなります。

叔母のアイディアを元に

さかのぼって、祖父の見舞いに行く前日。同じく東京から見舞いに来ていた叔母、つまり祖父の娘は、私にこんな風に話していました。

「前、私エッセイを少し書いたんだ。それをお父さんに渡したら、すっごく喜んでたんだよね」

叔母は職業こそ物書きではありませんが、祖父の影響なのか「書く」ということに非常に慣れ親しんだ人で、さらっと1000字程度のエッセイを書き上げて(叔母は筆が早いのです)祖父に見せたところ、たいそう喜んだと教えてくれました。(このときの話はまた、叔母が詳しくエッセイにしてくれると思います。)

入院中の病院ではあまりやることもないでしょうから、退屈しのぎに読める軽いものをいくつか書いて、おじいちゃん孝行してやろう。そんな気持ちで私も筆を取り、叔母と数編のエッセイをしたためて「入院中の見舞い品」として祖父に贈ったというわけです。

祖父、みるみる元気に

祖父にとって生きるというのは、「書く」ということなのでしょう。資料を集め、取材に足を運んでは書く、書く。それが彼の人生なのだと思います。

前に一度「なぜおじいちゃんは書き続けるのか?」と聞いたら、ただ一言。「書かさるのさ」と。

「〜さる」というのは非常に便利な北海道弁で、「(そういうつもりはないけど)〜してしまう」という意味です。たとえば、エレベーターで意図せず自分が降りるつもりのない階のボタンを押してしまったときに、道産子は「押ささっちゃったのさ」などと言うことがあります。

祖父の「書かさるのさ」という言葉から、私は「なぜかわからないけれど、書く仕事が降ってくるんだ」「自然とスラスラ書けちゃうものなんだ」というふたつの意味を受け取ったのですが、本当に息をするように文章に触れてきた人生だったのでしょう。

祖父に書きたてほやほやのエッセイを渡すと、目の前の娘と孫にではなく原稿に目を走らせ始め、15分しかない面会時間のほとんどを読む時間に充てていたのには笑いました。その姿はとても生き生きとしており、病気で弱っているように見えた祖父が、またずっしりと大きく見えたのです。

▼このとき私が書いたエッセイがこちら

「こういうの、一緒におじいちゃんも書こうよ!家族でエッセイクラブ、なんておもしろいじゃない?」咄嗟にそんなことを言うと、祖父は「おお、やろう!」と元気に答えてくれました。

予想よりはるかに早く退院してくることになったのは、冗談抜きにこのエッセイクラブ構想のおかげなんじゃないかな、と思っています。

運営方法

90歳の祖父、60歳の叔母に聞いたところ、要件は以下にまとまりました。

・それぞれ住む場所が違うので、インターネット上で運営すること
・エッセイを書いていない他の家族や一般の人も自由に読めること
・好きなときに好きなことを書いて投稿していくスタイルにすること
・祖父は自分のワープロを使って書けること

この要件定義が最も大切で、あとは運営してみて不便な点があれば、都度改善して行くのがいいと思います。

今のところ、匿名でアカウントをそれぞれ作り、noteのマガジンを複数人で投稿していくスタイルが採用され、ノルマやテーマもなく、各々マイペースに投稿を続けて行く運営に落ち着きました。

祖父は昔ながらのワープロユーザーなので、印刷してもらったワープロデータを写真データで送ってもらい、私が写真データから文字起こしツールを使って投稿代理をする形になっています。

エッセイで家族の価値観を知る

エッセイの醍醐味は、とあるできごとを通して、筆者の視点を知ることができる点だと思います。

家族であれば「ああ、あの事件ね」なんて、みんなが知っている定番の昔話なんかもありますが、その事件を、祖父の視点から、叔母の視点から、私の視点から見たときに、見えているものが全く違うという点がおもしろい。

そして何編も読んでいくうちに、筆者、つまり家族の価値観が見えてきます。普段から自身の価値観について深く語り合えるほどの仲かと言われると、やはりそこには少し照れがありますし、そもそも物理的距離もあります。しかしエッセイを読めば、祖父や叔母が何を見たときにどんなことを発見する人なのか、どういう風に気持ちが動く人なのか…そういうことが見えてきます。

私にとっては、それがおもしろいんです。できごとよりも、その心の動きが、そしてその人にしかできない発見が。

家族であっても自分が知っているのなんてその人のほんの一部ですし、同じ意見である必要もないでしょう。意外なところで共通点を知り、逆に相違点を見つけて楽しみ、尊重する。そういう過程で自分自身も新しい視点を広げていけるんだと思います。

それは書いていない家族にとってもそうだし、嬉しいことにLINEで新作をシェアするとコメントがもらえることも。

祖父と叔母以外にも書く家族を増やしていきたいな、というのがちょっとした私の目標。

まあ家族が見ているもんですから、100%ぶっちゃけたことは書けないのが前提はありますけれど、書くことは、全部本当のことを。

特に家族に知っていて欲しい私のことを、これからものんびりと、マイペースに書きたいと思います。

▼ 私たちのエッセイクラブ


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