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私が小説を書く理由は「ぎゃふん」と言わせたい人がいるから

こんにちは、鳩谷です。

普段は短編小説や、勉強したことのご紹介記事を気ままに書いておりますが、
今回は少し自我を滲ませた記事を書いてみようと思います。

とはいえ、誰かを批判したりする内容ではないのでご安心ください。
ただ私が青々しくて恥ずかしいだけです。

私が小説を書く理由は、想いを世に伝えたいとか、人の心を少しでも癒やしたいとか、そういった崇高なものではありません。

そりゃあ、読んでくださった方がちょっとでも笑ってくれたり、あるいは泣いてくれたりしたらとても嬉しいです。
でも、私の核になっている目的は、もっと利己的でシンプルです。

わたしが新人賞や文学賞で入選し、コンスタントにお仕事を貰えるような作家になりたいのは、「ぎゃふん」と言わせたい人がいるから。


その方は、九州では有名らしいとある作家さん。

私が高校1年生のときに、部活を通して初めて応募した高校生小説コンテストで審査員をやっていらっしゃいました。

コンテストの結果は佳作だったのですが、200名くらいの県内の学生さんの前で「どこが悪かったか、どう直すべきか」の講評をしこたま頂戴しまして。

今考えると作家さんから直々に講評をいただけるなんて光栄以外の何物でもないのですが、
当時はまあ思春期真っ只中、ただただ恥ずかしく、なんだろうこの公開処刑……と消えてなくなりたい思いをしたものです。

でも帰宅して一人になってみると、悲しさや恥ずかしさよりも、悔しさのほうが大きくなり、

「指摘されたとこ全部改善して、いつか作家デビューして目にもの言わせてやる……!」と決意を新たにしました。

それが小説を書き始めたきっかけです。

その方は数年前に亡くなってしまったらしく(Wikipediaを見て知った)、何かしらの賞を取ったとて、もうお会いすることは叶わなくなりました。

しかし御縁がありまして、今はその方のお知り合いの作家さんが開催する講座に通って、楽しく学ばせて頂いております。


あとはまあ、多分よくある話ですが、家族です。
父親をギャフンと言わせたい。

父は大層な読書家で、物知りで、私は口喧嘩で勝てた試しがありません。

そんな父も一時期小説家を目指して執筆していたことがあったらしく、しかし途中で諦めて筆を折ったと聞きました。

なので、何かの賞を取れたらまっさきに報告し、賞金で高級焼肉か回らない寿司を奢り、「父ちゃんが出来なかったことを私はやってのけたよ」とドヤ顔でマウントを取るのが私のささやかな夢です。


なので私は今日も手を動かします。
ネタを考えます。本を読んでインプットします。

いつか夢が現実になると信じて。

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