「声のなるほうへ」について

僕が東野翠れんさん(以下敬称略)と初めて会ったのは彼女が高校生の頃だと思うのでもう20年以上前になります。スイスのチューリッヒで出会った友人に連れられて彼女の母親に会いに行った時、彼女も学校から帰っていて家のダイニングテーブルで宿題かなにかをやっていました。翠れんと「はじめまして」と言葉を交わした覚えはないのですが、髪の毛が綺麗に赤く染められていて、それがはっとするほど鮮やかで、今も記憶のその場所は、綺麗に染め分けられています。

翠れんの母親はイスラエルの人で、家は、ユダヤ人とかドイツ人とかアメリカ人とか、とにかく海外の人のたまり場みたくなっていました。彼女の家にいるどんな人も楽しそうで、家で流れていた時間は誰のものでもない感じがしました。少しでもそんな時間に触れていたいと、僕は、ことある度に理由もなく彼女の家に遊びに行ったものでした。

その後、僕は、結婚して鎌倉に居を構え、さらに数年経って栃木県の益子町に引っ越してしまったため、東野家の面々と会う機会はずっと減ってしまいました。そんな中、映画『ハトを、飛ばす』を撮っている最中、この映画には(もしくは映画を撮っている僕には)「救いとしての」彼女の「声」が必要なんじゃないか、と、ふと思ったのでした。2014年頃、ナレーションも入っていない、まだ映画と呼べるような代物からは程遠いただの動画の連なりを資料として渡し、明確なイメージもなく「あなたの声が欲しい」と、まるで告白でもするように思いの丈を伝えたのですが、その動画を観て彼女は、(本人は覚えていないと思うのですが)「これは新しいドキュメンタリーの形だ」と好意的に評してくれたのでした。

映画は、2016年に公開するも、なかなか上映機会を見つけられずにいるのですが、映画に添えられた彼女の声と、そして高校からの友人が映画のために演奏して切れたピアノの音色が、「大丈夫」と僕の肩をぽんと叩いてくれています。

そんな彼女が『土と土が出会うところ』を「本として出版したい」と声をかけてくれたのですから感慨もひとしおです。以下は、シュシュリナパブリッシングのHPに記載されている『土と土が出会うところ』のために書かれた「はじめに」の一部です。少しだけ抜粋します。

映画「ハトを、飛ばす」は、波にもまれてもみくちゃになって転がって、境界が強制的にないものとなった土地をハトの意識で眺めてみようとする、いたって個人的な試みでした。ハトが可視化する風は、われわれが定めたどんな境界もまたいでいきました。映画の中で、形而上的に定めた場所から湧くようにしてやってくる「声」がどうしても欲しくって、それをとある人に頼んでみました。どんな風の吹き回しか、その人がついこのあいだ「一緒に本を作りませんか」と私を誘ってくれました。そして、この本を出版する運びとなりました。

私は、今、その声がするほうへと改めて向き直り、手を動かしながらもその手ができるだけ私から解放されていくように、うからうからと過ごすように仕事をしています。今のところですが、毎朝決まって上がる朝日を浴びているような囲いのなさの内にただあぐらをかいて座っている、そんな気楽なここちがしています。

どれくらい続くかわかりませんが、これから東野翠れんと声の往復書簡「声のなるほうへ」をうからうからとやっていこうと思います。互いに、気ままに、思い付いたままにやっていけたら楽しいと思います。

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