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繋紡

世田谷美術館にて「ある編集者のユートピア」を拝見しに出かける。
小野二郎という名前は初見であるが、ウィリアム・モリスと編集者、建築という言葉に何だか惹かれ足を運ぶことに。

内容としては、小野二郎のウィリアム・モリス研究から本づくり、そこから植草甚一、高山建築学校を経由しての石山修武の世田谷村へ、という構成。世田谷美術館というよりは世田谷文学館的な内容だったが、展示量を考えるとこの場所がふさわしいかな。最後のモリステーブルの眺めもいいですし。

展示を見ていて強く印象に残ったのは、それぞれは一見バラバラに在する要素たちが、小野二郎という軸を通して一つの大きな流れになったことだった。
私にとって、ウィリアム・モリスはアーツアンドクラフツという言葉、美しいテキスタイル。植草甚一は数年前の文学館での展示と知人が好きだった作家。彼の紹介していたモダン・ジャズは少し齧ったかどうか。新政府内閣総理大臣、坂口恭平から石山修武を知り、世田谷村はご近所。
それぞれに存在していた要素がこの展覧会を通して一つの流れになった。

ちょうど先日、柳樂光隆氏の書き下ろしたファンファーレ・チォカリーアについての記事を読んだ。
今月下旬から始まる彼らの来日公演にかこつけた記事ではあったが、ルーマニアの村で冠婚葬祭の曲を奏でるバンドがこうして世界で聴かれていること、そしてこのようなバンドがほかにも発見され、「ジプシーブラス」として世界へ紹介される流れは、とても興味深かった。
さらに話はEGO-WRAPPIN'、ジョン・ゾーン、渋さ知らズに飛び、日本の「ちんどん」にまで思いをはせ、共演するジェントル・フォレスト・ビッグバンド、たをやめオルケスタへ戻ってくる流れもまた、大変面白く感じた。

流石ライターの力、と云いたいところだが、やはり、どんな要素でも、個々は細かな支流なのかもしれないけど、やがて一つの川となり、海となる流れがあるのだと感じさせられる。
ここにあげたすべての名前はすべて、方法は違えど、様々なものを繋いで新たな物語を紡いできた人々であったのだ。
そんな時、私は何を語れるだろうか。私の中にばらばらに存在している文化の要素たち、好きの要素たち、知識の要素たちを繋ぎ紡ぐことができた時、どんな流れがそこに見えるのだろうか、己というものの形がそこに見えるのだろうか。その瞬間を、「ある編集者のユートピア」と呼ぶことはできるのだろうか。私はその瞬間のために改めて、学ばなければならない、と思った。


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