おやじギャグは伝統文化
最近減ったよね。
おやじギャグの使い手。
もはやこの「おやじギャグ」という言葉が死語感あるもんね。
あんまり公に出てこない言葉。
絶対にアナウンサーさんがニュースで口にしない言葉。
でもおやじギャグって、日本の伝統文化だと思う。
まあちょっと待ってよ。
そう思ったいきさつを聞いてよ。
画面を閉じるのはそれからにしてよ。
頼むよ。
私、最近洋画を見るようになった。
動機は「洋画のお洒落な言い回しを研究したいから」。
いわゆるアメリカンジョークってやつ。
危機的状況のときにあえて
「素敵なレディ、今晩デートしないか?」
「ええいいわよ。夜まで無事だったらね」
という小気味よいテンポで挟まれる会話。
あれは登場人物自身が、肩の力を抜こうとして言ってるんだと思うんだよね。
メタ的視点だと、視聴者に息抜きをさせようという意図がある。
緊迫シーンばかりだと疲れちゃうもんね。
即ち、根底にあるテーマは「笑わせよう」、もしくは「楽しませよう」。
対象は同行者、視聴者、自分自身。
即ちサービス精神の発露であるといえる。
翻っておやじギャグ。
これはほとんど言葉遊び。
「布団が吹っ飛んだ」
「猫が寝込んだ」
などの、自己完結スタイル。
アメリカンジョークは「返し」が重要なのに対し、おやじギャグは反応を強制しない。
共に笑いを作る姿勢ではなく、あくまで発信のみで終了することが特徴。
相手に負担を掛けず、恥もなにもかも自分で請け負う自己責任の姿勢。
ちょっと日本人ぽいと思わなくもない。
おやじギャグの使い手は中年以降が大多数を占める。
これは恐らく、「笑わせたい」という欲求がその年代以降に多いからではないかと思う。
仕事で責任も重くなり、若さでごまかせなくなってきて、褒められることが減り、笑いも減った。
そこでおやじギャグという技を繰り出すことにより、忙しい職場の空気を和ませようとか、一緒にいる人を笑わせようとか、そういう手段に辿り着くのではなかろうか。
それが癖になり、身体に沁みついて、発作的におやじギャグが出るようになると、大体疎ましがられる。
でもその頃にはもう止まらない。
反射で出るようになってるから。
おやじギャグはその人の一部になってしまっているから。
最初はサービス精神だったのだ。
きっと。
多分。
恐らく。
それが肥大化して、暴走しているから忌むべき文化として嫌われているという使い手側の問題で、おやじギャグにはなんの罪もない。
むしろ伝統文化として保護するべきではないかとすら思う。
問題はその練度。
質が高ければ聞いてても苦じゃない。
言葉遊びだからね。
むしろ感心するかもしれない。
そして頻度。
あまりにもしつこいと、それはそれで困る。
いつでも言葉で遊んでいられるほど、恐らく聞き役(受け手)は暇ではない。
以上のことから、現存するおやじギャグ使いはその技術を磨き、慎ましく、しかし絶妙なタイミングで披露するよう心掛けていただきたい。
受け手の我々としても、保護すべき日本の伝統文化であると認識し、理解を示し、適度な相槌を打つことが好ましいと思われる。
という結論に達した。
継承すべき文化ではあるので、是非日常との融和を図り、末永く残ってもらいたいと思う。
私は使えないけど。
未熟者なので。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
次回以降もお付き合いいただけると嬉しいです。
それではー。
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