瞑想は快楽?
昨日の朝、いつものように瞑想していたら、頭蓋骨の内側にクーラーがついたような、なんとも言えない清々しい感覚が起こりました。
頭の中に詰まっていたワタのようなものがスポッと外れて、その空間に新鮮な空気が流れ込んでくるような。
東洋医学では「頭は冷たく、足は熱い(頭寒足熱)」状態が良いとされますが、身体は温かいまま、本当に頭だけが冷た〜い感じになったんです。
瞑想をしていると、「知識を感覚として理解する瞬間」というのが度々訪れます。
今回は、エネルギー的に詰まっていたものが取れて頭が冷たくなる感覚を実際に体感したことで、どれだけ自分が頭でっかちの状態だったのかに気づくことができました。
知識や情報を詰め込む学校教育から解放され、それがどれだけ無意味なのかを "頭では" わかっていたつもりだったけど、ようやく腑に落ちたというか。
本当の意味で「頭を使わなくても大丈夫なんだ」っていうことが、ようやく理解できた気がします。
これまでの経験を踏まえても、悩んだ末に出した結論より、「なんとなく決めたこと」や「突然のひらめき」によって面白いことが起こったり、上手くいったりすることが多かったですし、本物の知恵は、一生懸命頭を使って答えを出すというよりも、「降ってくる」とか「湧いてくる」という感覚に近くて、自分でコントロールできるものではないのかもしれません。
こういう面白い発見があるから、やっぱり瞑想はやめられないですね。
ヨガや瞑想をやっていると言うと、ストイックに修行していると思われることも多いのですが、実のところ全然そんなことはなくて、瞑想自体が快楽であり、欲を満たすためにやっている部分があります。
食習慣や生活習慣に関しても禁欲的だと言われることがありますが、自然と「こうしたい」と思ったことを選択し続けているだけです。
頻繁ではないにせよお酒だって飲みますし、厳密にヨガの規律を守ろうという意識は実はそこまでない、というのが正直なところだったりします。
過去には短絡的な快楽にどっぷり浸かるような時期もあり、ある意味ではそれに飽き足らずさらなる快楽を求めて辿り着いたのが瞑想だったんです。
こんなことを言っていると師匠に「快楽を得るためにやるもんじゃない」って言われそうですし、瞑想を始める動機としては不純かもしれないですね。
ただ、快楽を求める「欲」さえも無ければ瞑想にも出会えなかったでしょうし、続けることも出来ていないと思うので、自分の欲望には蓋をせず、向き合ってあげるのが大事だと思ってます。
もしもこれまで、禁欲的なイメージが先行して「ヨガや瞑想なんて自分には程遠い世界」と思っていたとしたら、試しに一度やってみてはいかがでしょうか?
実はすごく相性が良かったりするかもしれませんよ👀✨
Cover photo by Dorota Dylka
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