自分は存在しない
AIの自動生成で文章を書くのが流行っているみたいですが、私もnoteでは頭を使わずに自動生成みたいな感じで書いてます。
朝起きたらなんとなくのテーマと内容が頭に自動生成されてて、それをただノートパソコンに打ち込んでるだけ。
朝起きて何も生成されていないときもありますが、そういうときはだいたい前日にお酒を飲んでいますね。
逆にお酒をたくさん飲んだ翌日に、いつもよりも激しく「これを書け」的なニュアンスで自動生成されていることもあります。
私に搭載されているAIは、気まぐれでお茶目です。
今日は「自分は存在しない」というタイトルにしましたが、これは今から5〜6年前、うつの真っ只中にいたときに気づいたことです。
うつの症状って人それぞれだと思いますが、私の場合はすべての感情と欲がなくなりました。
喜怒哀楽と欲望の無い世界は「無間地獄」というか、これまでの行動指針をすべて奪われていきなり無重力空間に放り出されたような感じでした。
水を飲みたいとか、お腹空いたとか、眠いとかいう当たり前の欲求も無く、嬉しい、悲しい、苦しい、楽しいという感情も無いという状態は原動力と目的地を失った車と同じで、人も動けなくなります。
そうなったとき、自分が自分として存在しているという感覚はなく、どこか別のところからアバターを眺めているような体温の無い視点だけがありました。
情緒が無いとあらゆるものが俯瞰的に見えて賢くなった気もしましたが、そのような状態は強すぎて処理しきれない感情とストレスで一時的に起きたエラーだったので、今は感情も欲も元通りかそれ以上に回復し、人並みかそれ以上にドラマを演じる日常に戻ってきました。
しかし、「アバターを眺めているような視点」は消えることなく今も残っています。
残っているというより、その視点に気づいてからというものずっと、感情や欲や自我よりもその視点が本体のような感覚で生きています。
私は私であって私でないというか、「自分が存在する」というアイデア自体、最初から勘違いだったというか。
世の中、こんなことを言っても訳のわからない人が大半かもしれませんが、面白いことにこういう感覚で生きている人って結構たくさんいるんです。
自分がこうなるまでは出会ったことがなかったけど、こうなってからは同じような感覚が共有できる人とたくさん繋がるようになりました。
私のnoteに遊びに来てくれたということは、もしかしてあなたも「自分は存在しない」ことに気づいちゃった側の人ですか?
そういう方は、瞑想をするとすごく面白いと思います。
だって、瞑想は「何も無い」ことに気づくための階段を登っていくことだから。
普通一合目からスタートするところ、「自分が存在しない」ことを知っているとしたら二合目くらいからのスタートにはなるんじゃないでしょうか。
Cover photo by Olegs Jonins
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