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言葉をとどめる


 誰かと喋っている時、自分が発する言葉に違和感を感じるときがある。昔からずっとある。

 そんなとき大抵、「なんか違う言葉」のまま話を進めてしまう。自分の発言に対してなんか違う、と思うのはふたつの私があるからだ。ひとつは、自分が思っていることを相手に伝えられたらいいなと思う私。もうひとつは、無理に言葉にしようとする私。無理に言葉にしようする私は、結局気持ちや感覚が伝わることを願う私を覆い隠してしまう。


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私たちは、カフェでとある映像作品の話をしていた。常設展の一番下の階の、小さく飛び出た一室に展示されていた作品についてだ。私たちは竹橋の国立近代美術館の常設展をみた帰りだった。



 作品の話をするのは特に苦手だ。ぴったりな言葉が浮かばないし、「なんか違う言葉」が頻出する。実際、好きな作品という話題を相手が取り上げてきたとき、私は緊張した。それでも相手が、好きな作品について話してくれたのが嬉しかった。これは素直な気持ちで、誰かが話をしてくれると、相手の言葉にうまく自分の気持ちを乗せて返事をしたくなる。(打ち明けるようにされるとなおさら)その人が話し終わった後、私は自分の思ったことを話そうと口を開いた。

 案の定うまく話せなかった。「うーん」と言って言葉が詰まった瞬間がなんどもあった。自分で「うーん」を積み重ねては、増えていく「うーん」の回数に焦らされる。焦って出てくる言葉にしっくりくるものがあるはずがない。私は、一番最初に出てしまった「なんか違う言葉」を挽回しようとして、事態を悪化させていった。

 そのとき、その人が言葉にしなくてもいいんだよ、と言ってくれたような気がする。確か「今度urlでも送って」と言ってくれた。なのに私は止まれなかった。挽回しようとする気持ちは恐ろしい。思っていることを伝えたい、という元々の思いすらかき消す。結局、自分の言っていることが全くわからなくなったところで私は口をつぐんだ。つぐむしかなかった。言いたかったことすらわからなくなっていた。本当に伝えたいと思っているなら、今は無理だからまた今度、ととどまれば良かった。


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 その人が作品について話していた時も、思っていることを言葉にしきれていない様子ではあった。作品について、なんかこんな感じ、と握った両手の拳をくっつけて見せてくれた。言葉を使っては、撤回するように拳と拳をくっつけて何かを表す。「接続している」と言葉にはしていたけど、「接続している」ではなんか違うからジェスチャーになるんだと思った。

 私も、その人の言葉よりもジェスチャーの方が、その人の言おうとしていることがイメージできた。もちろんそれでも、その人は言葉にするのが上手な人だし、私だってその人の言おうとしていることをすぐ言葉にする力はない。とにかく私たちは拳と拳をくっつけて頷いた。そこでその話題は終了した。その時はまだ、言葉にする努力(のような足掻き)をしたかったけど、今になってそうしなくて良かったと思う。

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 あのジェスチャーは間違いなくストッパーだった。「なんか違う言葉」で気持ちを塗りつぶしてしまうのを、あれが押しとどめてくれた。言葉にするのは今日の夜でも明日でもずっと先でも……言葉にならなくたっていいのかもしれない。焦らなくていい。無理やり言葉するのはよくない。気持ちを言葉にすることが難しく、時間がかかるということ。拳と拳をくっつけてその話題を終わらせてくれたその人は、ちゃんとわかっていたのかもしれない。

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