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武田泰淳『審判』を読んで(備忘録的な雑記的な)

武田泰淳『審判』を読んだ。戦時中、学のある青年が人を殺したことを思い起こす話。読んだ後、何年に書かれたんだろうと検索してみるとAmazonの商品ページに以下のような記載あり。

1947年発表の『審判』は、『上海の螢』より古く、一兵卒として中国参戦した自身の戦場での体験告白でもあり、誰にも裁かれない自分の犯した戦争犯罪を自身の手で裁くために描かれた問題作。

おもわずなるほどと言ってしまう。何がわかったのかもわからないけど。

とても面白かった。戦争との距離感についていろいろ考えても、この話を読んでそれは感じない。後半の日記という強引さが痛々しく、この話の力になっている気がする。そうするしかなかったんだと思う。

感じたこと。まず1947年に書かれたことと、戦場での(特に加害の)体験の語られなさが書かれていることについて。素直にそうかと思う。今戦争を見て考えることが、どれほど前から繰り返し何度も何度も考えられてきたものであるのかを目の当たりにしている気分。当たり前のことだし分かっていたはずのことでも、腑に何かが落ちていく。

最近「組織との距離感」ということを考えたりもする。戦争なんてしたくない。戦争は組織が起こすものだと思う。私は戦争と関係のある組織とどう関係するのだろう。それをはっきりと答える覚悟は、今は正直ないよ。そんな元気はない。

以前武田泰淳『ひかりごけ』を読んで考えたり話したりしたことを改めて読んでみた。ここに「戦争」の空気が出ていないのいろいろすげえなと思いました。


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