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母に「私あなたのお友だちじゃないから」って言われたこと

急に思い出しました。母の日だからでしょうか。

中学生になって、世界が広がったことに浮き足立っていた私に言い放たれた「あなたの友だちじゃない」という言葉。

どうして母にそんなことを思わせてしまったのか、全く記憶がありません。でも、いま娘の言動をみている母親として、なんとなくわかる気がします。

親の付属品ではなく、私は私。

手伝ってもらわなくったって自分で考えてやっていけるし、いろんな人とも仲良くしていけるし。自分も世の中に存在するひとつの「個」であることに気づいて、自分を大きく見せようと、必死だったんじゃないかな?と思います。

母は21歳で結婚して22歳で私を産みました。見知らぬ土地での育児。衣食住すべてにおいて、丁寧に丁寧に育ててくれました。手作りのお洋服、冷凍食品やインスタントのない食事、庭で育てた季節の花や野菜。

母より7つ年上のザ・団塊の世代の父はとても厳しくて、中学生以降大学生にになるまで(なってからも)私はお友だちとのお出かけがなかなかできませんでした。子どもが自由に行動するなんて、しかもお金がかかるなんて、父にとってはありえないことだったようです。

そんな父に怯えながら、長女としての期待に応えるべく、真面目で神経質に育った意識があります。下の子の面倒はしっかりみる、我慢するのは当たり前、お姉ちゃんなんだから。

期待に応えない限り、家の中での私の権利はなかったのです。まぁもともと権利などなかったのですが…。さらに褒められた記憶がありません。できて当たり前。できなかったら…その程度で自分の主張なんてするなという話になるだけです。

小学校の高学年の時にひとりの人としてまっすぐ向き合ってくれる恩師と出会ったことで、自分を認めてもらえる場所を見つけました。密閉されたところから少し世界が広がった感じがしました。

わかってもらおうと無理して合わせなくてもいい。期待に応えなくていい。
わかってくれる人はわかってくれる。受け止めてくれる。

学校での女子特有の同調圧力みたいなものが苦手だったので、素のままで対等に話せる人としか付き合おうとしませんでした。別につるまなくても、連れションしなくても、平気でした。

いや、平気だったと今となっては思っていますが、もしかすると、当時の私はそう思い込もうと必死だったのかもしれません。

だから、家の中での唯一の安全地帯でいてくれた母に対して、自分のあり方の「正しさ」を認めてもらいたくて、「素のままで対等に」ぶつかっていったんじゃないかな…青い、青いよ。

田舎育ちで、私の頃とは勝手が違うから分からないわ、と華麗にスルーしてくれていた母でしたが、とうとう耐えきれなくなっての発言だったのだと思います。

その時は衝撃を受けたし、いまも忘れられない重たい言葉です。でも、やっぱり、このまま娘が同じような行動を続けて耐えきれなくなったら、母と同じことを伝えると思います。

私は友だちじゃない。友だちとは違う。
友だち以上に、無条件に、あなたを信じて応援している。
どんなときでも、いろんなものを投げ出して、支えて助けてあげる。
だから、無理しないでいいんだよ。ごまかさなくていいんだよ。
どんなあなたであっても、すべて受け止めてあげるから。

家が素のままで安心して過ごせる場所であるように、まだまだ日々精進ですな。もうすぐ母13周年なう。

以上

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