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サンパウロ、常軌を逸した旅人ともことの出会い【ブラジルW杯サポーター戦記②】


真のサポーターとは何か。


などという6年前に考えたテーマを今更ながら掲げて書き始めた、「今更ブラジルワールドカップ」の連載であるが、10月初頭が少しばたついていたので、月末に1記事だして、翌月は2本以上の更新を目指す!!

というのも旅記事は執筆効率が悪いのだ。日常系のエッセイなら1時間に8000字でも書けるだけの能力はあるのだが、旅記事に関しては4時間かけて2000字しか進まない。ただ、それは執筆の問題というよりも、それ以外の問題が大きい。

ぼくはにわか林檎使いなので、まだ十分に使い慣れておらず、特に画像管理を苦手としていた。そのあたりを改善するべく工夫したところ、画像の閲覧を大きなサブモニターでしたり、iPhoneから確認して着想を練ったりすることが出来るようになった。

というわけで、量産体制は整った!

世間にも旅の気配が戻ったし、一年近くサッカー旅ができなくてOWL magazineも正直終わってしまうかと思ったのだけど、幸運なことに購読してくれる皆様がちゃんと残ってくれていて(増えてはいないけど、ちょっとしか減ってない!)、よちよち歩きだったOWL magazine執筆陣もすっかり強者揃いになって、なんと1年コロナ禍を乗り切ってしまった。

先日発表した企画も含めて、これから盛り上げていくのでシクヨロ!!(EXIT!)

このように蛇足から始まるような旅紀行文は駄作であると思われてしまうかもしれない。それはある種の「ごまかし」である可能性もあるからだ。実際に自信がない記事の場合には、冒頭にごちゃごちゃと言い訳じみたことを置きたくなることもある。

自制はするが、そうなる気持ちはわかる。

が、今回に関しては大丈夫。


なぜなら——。


もう6年も前のことなのに——。


その記憶は薄れることなく——。


濃密な状態のまま——。


身体中の細胞に浸透しているからだ。


とはいえ、ブラジルへの旅は消耗であった。ぼく以外の多くの人が言っていた。ブラジルにいるだけで疲れる、と。とにかく疲れるのである。


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「ブラジルでよく見る廃れた建物。中はモンスターハウスかも?」


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「ちょっといい感じの小道だね。」
「うん、昼間はね……。」
「そういえば街頭もないね……。」


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「ブラジルの過酷さは鶏まで痩せさせる。」

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「リオデジャネイロのハト。やっぱり細マッチョ」

ブラジルにいるととにかく疲れる。


外を歩けば強盗に遭う危険性がある。

バスに乗っていても強盗に襲われる危険性がある。

商店で買い物をしていてもスキミングに遭うかもしれない。

一見社交的なブラジレイロとハグをした隙にiPhoneを盗まれた人もいた。


気候は悪くはなかったが、北部の熱帯性気候から、中部の温帯気候への移動を繰り返すことになった上、ブラジル基準の強めの冷房を浴び続ける。

それでも、ホテルの部屋の中は安全でくつろぐことが出来た。

それは一つの事実であった。

しかしながら、一歩外出すると話は変わってくる。外で強盗に遭うかもしれないし、殺されるかもしれない。そして部屋に戻ったら荷物が丸々なくなっているかもしれないのだ。

だから我々は、荷物に鍵をかけた。

貴重品は鍵付きの箱に入れて、衣服の中に隠してキャリーバックにいれる。キャリーバックにロックをかけて、ファスナーを閉めた後に南京錠もかける。

そしてチェーンを取り出して、ベッドや椅子にくくりつける。カバンだけ持って行くなら旅行者が泣き寝入りすれば済むことなのだが、椅子ごと持って行くと、話がややこしくなるそうだ。椅子ごと持って行くのは手間がかかるし、ホテルに対しての窃盗にもなるからというのもあるのかもしれない。

これは、旅行関係のお仕事をしている仙台サポのぴでさんに聞いたお話。

それでも、ブラジルは光り輝く土地であった。この国のことを語ろうと思った場合、行ってみないことには何も言えない。統計を見てもわからない、現地の治安情報を見てもわからない、ポルトギーを勉強しても何もわからない。

ブラジルはブラジルにしかない。何を言っているのかよくわからないかもしれないが、本当にそういう心情になった。世界でここだけの場所。最低最悪の場所ともいえるし、最高の場所とも言える。

光は強く、その分だけ闇も深い。

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「暗闇から俺たちが覗いてるぜ」


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「コパカバーナビーチのちょっといいホテルにあったトイレ。左のやつは何に使うでしょうか!」


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富裕層向けの住居。屏の高さは治安を表すのだそうだ。ぼくの身長が231 cmなので、このバリケードは4 mくらいありそう(実際は2.5 mくらいかな?)。

※画像の男性は今より15 kgくらい痩せていた私です。半年で元に戻します。顔が疲れているのは、ちょんまげ隊の睡眠時間を計算しない旅プランによって死にかけているからです。

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このようにいくつもバリケードがあって侵入を阻むようになっている。夜は警備員も配置されるかもしれない。もちろん警備員は口径大きめの拳銃を持っている。


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「この富裕層向けの住居は高台にあるらしく、観光地にありそうなリフトで登っていくようだ。これなら安全、上から警備員が目を光らせているから。」


さて、そろそろ旅の話を始めよう。合計何日いたのかよくわからなくなっているので(時差も12時間あるため)、どんぶり勘定だが滞在日数も書き加えていく。

・1日目
成田空港からドバイを経由してサンパウロへ。

・2日目
サンパウロに一泊したあと、リオデジャネイロへ。

・3日目
リオデジャネイロへと移動。コパカバーナビーチでパブリックビューイングを見た後、一泊。ワールドカップ開幕!

・4日目
ちょんまげ隊と共にリオデジャネイロを回る。日本人学校を訪問、コルコバードの丘を観光。そのままレシフェへ。レシフェ泊。

・5日目
おいわさんとなつぴんの結婚式をオリンダ村で祝う。22時キックオフの試合に向けて移動を始める。コートジボワール戦を観戦。

・6日目
コートジボワールに敗北した後、バスで脱出し空港へ。

……。このへんまではJornadaに詳しく書いたのだが、多少オーバーラップしたほうがわかりやすいので、そろそろ語り始めよう。

OWL magazineというメディアがあって、スタッフのみんな、読者の皆様が支えてくれたおかげで、このブラジルでの経験を外に出すことが出来る。なんと幸福なことなのだろうか!

とはいいつつも、幸福感からはほど遠い、失意の中にいた。ブラジルワールドカップ初戦敗退というニュースは、多くの日本人にとっては「やっぱり駄目そうだなぁー」という程度の落胆であったかもしれない。

しかし、我々は賭け金の額面がまったく違うのだ。ブラジルまで訪れるということは、航空券だけで20万円ちかく払っているということだし、世界最悪の治安を抱えた都市と生身で接するということである。

それだけのリスクがあるにも関わらず、日本代表の勝利を支え、間近で勝利を目撃するために、地球の裏側までやってきたのだ。

にも関わらず敗北してしまったのである。要するに大負けをしそうになっていたのだ。ご存じの方もいるかもしれないが、ワールドカップのグループリーグでは初戦を落とすとかなり厳しくなる。

とはいっても、まだワールドカップは始まったばかりである。ギリシャ戦、強敵コロンビア戦をしのげばRound16の進出可能性は残されている。敢えて口に出す者もいた。

「まだまだ全然いけるでしょ!」

しかし、そこは夜の闇に包まれたブラジル。さらにその郊外、森の中に作られたスタジアムからの帰り道であった。

ブラジルでの緊張感あふれる旅路と、22時キックオフ24時頃試合終了という俗に言う「電通スケジュール」によって、我々日本代表サポーターは心底疲労していた。

あの時、あの場所で、疲れていなかった日本人など一人もいなかったのではないだろうか。

我々は、ちょんまげ隊周辺の仲間と一緒に貸し切りバスに乗り込むことが出来たのだが、車内はほぼ全員死体のように眠っていた。それでもまだマシなほうで、一般のバスで市内や空港へと向かうサポーターは、小雨に濡れながら延々とバスを待ち続ける必要があった。

我々が貸し切りバスへと向かっているとき、ブーイングが湧き上がったくらいである。始めたのはブラジル人であったとは思うのだが、そのブーイングが必然に思えるほどであった。

夜の空港では、大阪のサッカー妖怪ことやまさんに遭遇したり、サッカーメディア界の大学者後藤健生さんと、OWL magazineにもご寄稿頂いている我らが宇都宮徹壱さんとも会うことが出来た。

宇都宮さんに「すごい偶然ですね!」と声をかけたところ「空港は結構色んな人に会うものだよ」と教えてもらった。確かにそういうものかもしれない。

宇都宮徹壱さんといえば、ぼくにブラジルへ行こうと声をかけてくれた人物である。

「サッカー王国ブラジルでのワールドカップは50年に1回。次は生きていないかもしれない。絶対行ったほうがいいよ!」

と語ってくれた場所は、北区十条のイベントスペースで、その日はロック総統との対談イベントがあったのだ。それはさておき……。

空港では、恋する旅人窪咲子&セーラームーンというユニットとめぐりあうなど楽しいこともあった。ブラジルの過酷さと、敗北への失意が徐々に癒やされ、少しずつ戻ってきた。


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「窪咲子&セーラームーン」


そう。


旅が——。


旅が、戻ってきた。



我々はサッカー観戦者であった。試合を観るために来ている。と、同時に旅をしている。これは同時進行をしているのだが、まったく別物として存在している。スポーツツーリズムは面白い。

旅の目的が二つある。ダブルミーニングである。と、同時にその二つは不可分で複雑にからみある。

試合で受けたインスピレーションが旅に影響することもあるし、旅での経験が試合の色合いを変えることもある。

世の中に旅の記事を書く物書きは多い。サッカー記事を書く人もいる。しかしながら、スポーツツーリズムを描ききる人は非常に少ない。いずれか片方を扱うよりも難度が高いのだろう。

OWL magazineでも、スポーツツーリズムの記事に挑戦する人はいるのだが、書き続けるうちに疲れていく傾向がある。旅の記事は、旅をする以上に大変なのだ。もちろん、自己満足な記事なら簡単に書ける。「スポーツツーリズム文学」として仕上げるには、それ相応の実力が必要なのである。


再び旅人なったぼくは、レシフェの空港で朝4時だか5時だかに出る飛行機を待った。

誰も寝てはならない。

起きたら荷物がなくなっているかもしれないからだ。

飛行機に乗り込んだ後は何の記憶もない。塩ゆでになったほうれん草のようにぐてたまっと眠っていたはずだ。

サンパウロのグアリョーリュス空港に到着し、ペルーや薬師寺という旅の仲間と一緒に、宮城県人会へと向かった。そして、また眠った。

そして、再び起きた時にはもう夜になっていた。

詳細は忘れたが、記憶を辿るとこんなスケジュールであった。

0時 コートジボワール戦終了
1時半 レシフェの空港へ
5時 サンパウロ行きの飛行機に乗り込む
8時 サンパウロ到着
10時 宮城県人会到着
18時 起床


朝起きても身体は重く、胃はもたれていた。ブラジルが求めるタフさの基準に対して、当時の僕はまったくもって軟弱であった。

もっとも、日本代表の選手ですら、気候への馴致に失敗したと言われているので、無理もないのかもしれない。ブラジルは想像を絶するほど大きい。これは図に描くと一目瞭然なので、どこかで作って紹介しよう。

起きた後、シェラスコ屋へ行こうと誘われたのだが、そんな胃のコンディションではなかった。しかし、宮城県人会の残っていてもしょうがないので、車に乗り込んだ。

夜はシェラスコ。

翌昼はともこ。

旅は仲間達が彩ってくれる。その中でもサンパウロで出会ったともこは特別な仲間であった。OWL magazine界隈において、クレイジーな旅人といえばFJまりこなのであるが、彼女は極めて常識的な旅をしている。バイタリティは異常だしとても真似は出来ないのだが、それでも「意味」はわかる。

一方でともこは次元が違っていた。

彼女ほど突き抜けた人を見たことがない。世の中には旅をお金にかえるビジネス的な旅人もいるのだが、そんな人達では絶対に到達できない境地にいる。

彼女は誰とも争っていないし、お金を稼ごうとも思っていない。彼女の中の感覚に従って普通に生きているだけなのだ。



我々が乗り込んだマイクロバスは日本人学校へと向かった。本当ならば、バスにはともこも乗っているはずであった。

しかし、ともこは行方不明になっていた。

連絡係であったペルーは、ちょんまげ隊のツンさんに怒られていた。

「こんな治安の悪い町で女の子一人にしてどうするんだ!!!」

ともこは、飛行機の遅れか何かで合流し損ないサンパウロで迷子になってしまっていたのだ。世界中を旅しているツンさんといえど、ブラジルの異常なまでの治安の悪さにはまだ慣れていなかった。

サンパウロの日本人学校。

高い外壁には銃痕が残り、警備員は重武装している。入り口の門は、まるで異民族でも攻めてくるのではないかと思えるほど頑丈な作りをしていた。


その前に佇んでいた可愛らしい日本人の女性は、日本代表の青いユニフォームを着込んでいた。

そして、こちらを見て微笑んだ。


「バスに間に合わなかったから、電車で来ましたー」


ともこ、ここはサンパウロだよ。

新宿三丁目じゃないんだよ。

観光客を狙った犯罪者もたくさんいるって言われていた町だよ。

後ろの壁にあるのは銃痕だよ。


旅の仲間にともこが加わり、ブラジルでの旅は加速していった。またともこの存在は、ぼくの旅に対する考え方に影響を与えた。ともこもFJまりこも、ぴろぽんもガンパパも、ブラジルでの旅を共にした仲間は、ずっと友達だ。


というわけで、OWL magazineでは有料部分も必要なので、ここからは有料記事とさせて頂く。

有料部分の内容は、サンパウロの本書くシェラスコとクレイジー旅人ともこの話を書く。


・シェラスコという名のわんこ蕎麦
・南アフリカにアフロヘアーで陸路侵入した女ともこ

ブラジルワールドカップの旅はまだ3週間以上残っている。他の記事と平行させながら気長に続けていくつもりなので、是非月額購読をお願いします!!


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