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OWL magazineの近況報告


色々と動きが出ているので、読者の皆様にもご報告したいと思う。

あ、すごく細かいんだけど、最近気になっていること。

「ご報告」という敬語の使い方。これは尊敬語なので、動作の主体に敬意をかけている。つまり、報告をしている人物である「私」に敬意をつけていることになる。自敬表現に見える。

ただ、ぼくの動作の先に「相手」がいる場合は、尊敬語を謙譲的に使うことが出来るらしい。つまり、「ドアをお閉めします」とか「お預かりしましょうか?」なんていう表現も正解なのだそうだ。

ただし、「今から原稿をお書きします」とかいうのはおかしい。これは字面でありえないのでわかるのだが、結構微妙な用法もあるなと。タクシー乗務員をしていると、この敬語は良かったのかどうかと後で悩むこともあって、そういう意味でも勉強になっている。

ちなみに、お客様にも「新宿。速く出せよ」みたい感じの方もいるし「ありがとうございます。新宿駅の東口までお願いできますか?」という感じの方もいる。

言葉について疑問を持った時は、考え続けることが有効だ。普段から考えていると、テレビを見たり、知人と話したり、本を読んだりした時に自然と使い方が頭に入ってくる。

「なんでそんなに文章を書くのが速いのか」と言われることもあるし「どうして一発で(清書しないで)原稿が書けるのか」と言われることもあるのだが、多分こういうことの積み重ねなんだろうと思う。

文章については教えられることと教えられないことがあるのだが、文章を書くのが楽しくなる方法は伝えられると思う。

昔、Dろ○Nというブロガーさんが「自分が楽しんで書いていれば読んでいる人も楽しんでくれる」ということを言っていたのだが(今は考えも変わっていると思うけど)、これは全然違う。「自分が楽しいかどうか」と「読者が楽しいかどうか」は全然違う話なのだ。

もちろん、楽しんでいる姿を見せるという表現方法は存在している。でもそれは、個人が満足するだけではなく、あくまでも読者を満足させるために、楽しんでいる姿を見せているのだ。

ぼくはよく「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原則として当為せよ」というイマニュエル・カントの道徳律を引用する。文学部時代にカントとヘーゲルを扱う難解なゼミに入っていたので、どうも思考に染みついているらしい。

けったいなドイツ人に言わせるとこんな難しい表現になってしまうのだが、おおまかにいうと「自分が良いと思うことと、他人が良いと思うことが一致するのが道徳だよね」という話である。専門の人に言わせると違うかもしれないのだが、カントが専門の人と議論するのはもう十分、トゥーマッチ。

さて、というわけで最近は「文章を教える」ということを考えている。そうなると、そもそも文章とは何なのかということを考える必要があって、自分の中にあるスキルや考え方を棚卸ししているのだ。

1月30日にやろうと思っていたのだが、2月7日までにタクシー本の原稿を片付けたいので、その後にさせて頂こうと思う。

ハードルはなるだけ下げた楽しさ優先のものと、プロ仕様のガチムチにハイレベルなものをやりたいなぁ。

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