内省と自伝をはじめる


2024/2/13火曜日 臨海公園のスターバックス

文章を書いて売って生活をする。

この際に、「売れるような書き方」をすることと「売れるようなタイトルをつける」ことが必要不可欠だ。実際に僕もそうやってきたし、現在もそうやって書いている。それはいわゆるマーケティングに分類される作業である。

しかし、これは違うんじゃないかという気がしてきた。

文章を書くことの一番の機能は情報伝達であるが、この機能はラジオでも映像でも代替可能である。では文章でしかできないことは何か。

それは内省なのだろうと思う。マーケティングや動画作成は、どうやっても自分と向き合うための作業にはならない。

ラジオ形式はいい線までいっているのだが、どうしても、「こんな話を聞いてくれている誰か」のために話そうという意識が出てきてしまう。優秀な話者はそうあるべきだと思うので、それは良い習慣なのだろう。

一方で、内省するという意味では、他者の存在は邪魔になってきてしまう。実際にそこにいるときはもちろんだ。もしもぼくがもう少し傲慢な人間であれば不機嫌な顔をして無視をすればいい。しかし、そういうことはできないのだ。

そして、実際にそこにいなかったとしても、意識に存在するだけで内省は妨害される。男には孤独な時間が必要で、その時間にどれだけ自分に対する考察を積み重ねるかが大切なのだ。

これから、習慣として、原稿を書く前に内省をする。あるいは、すべての作業を終えて眠る前でもいいかもしれない。

最初は自伝にしようと思ったのだが、かっちりと自伝としてまとめようと思うと、そこでどうしてもノイズが入る。つまり、読者の存在を意識してしまうことになる。そうなると純然たる意味での内省ではなくなる。

いや、そうならば手前のノートに書いて公開しなければいいのだ。その通りだ。でも、どういうわけか、公開はしたいのだ。それが純然たる内省であればこそ、人前にさらすことで、誰かに示したくなる。

承認欲求であろうか。
いや、これは、本能なのだろうと思う。

ぼくの好きな文章というのは、誰かのために便利なサービスを作ったり、何かを売るために頑張ることではないのだろう。

ぼくが好きなのは、文章を通じて考えること。考えながら文章を綴ること。それ以上でも以下でもない。

今、大きな原稿を書くのに本当に苦しんでいる。きっと、もっと気楽に、無責任に書いたほうがいいのだろう。少なくとも初稿はそうするべきだ。そういう気持ちを思い出すためにも、内省を続けようと思う。

・自伝

生誕地は東京都江戸川区。既に現在の自宅がある場所に引っ越してきていたようだ。父方の祖父が非常に目の利く人で、東西線が開通する前に土地を買っていたらしい。祖父の話はまたどこかで書きたい。

僕が生まれたのは、東京大学の大学病院であった。母は難産に苦しんでいた。そのときちょうど5月祭という学園祭が行われていて、なかなか生まれてこないから、先生が見に行ってしまったとか、見に行こうとしたとかいう話を聞いた。

どうして東大病院であったのかというと、母方の祖父は印刷業を始めていた。藤井印刷という会社で、今でも老境の叔父が一人で動かしている。

さておき、祖父の戦友の一人が東大に勤めていたのだそうだ。僕が子どものこれは戦争は悪いことで話すこともタブーという雰囲気もあったし、一度脳溢血で倒れたことがある祖父は、言葉が少なく意味のある会話をした記憶がほとんどない。

ともあれ戦争が結んだ縁もあって、東大関係の印刷物を請け負っていたのだそうだ。そういった理由で東大には縁がある家系だといえる。

幼少期はヤンチャな悪戯っ子であったらしい。すぐ人にちょっかいを出す。他人に興味があるという特性は既にあったようだ。瞬間的にリーダーシップを発揮したこともあるが、根本としては群れるのは得意ではないのだろう。子どもたちの中では、特に目立つこともない存在であったように思う。

当時は、仮面ライダーや宇宙刑事シャイダーへの変身を大声で叫んでいたと近所で言われていた。これは小学生になったあとも言われ続けたので恥ずかしかった。

昔も今も、損得ではあまり動かないタイプなのだと思う。そういった行動をすることで、何か得をしようと駆け引きをしてはいなかった。自分の評価を上げるために行動もしていなかった。ただ単にシャイダーになりたかっただけなのだ。

現在経営者になって思うのは、損得を踏まえずに判断をすることで、最終的に損をすることが多いということだ。同じ一手を打つ場合に、自分が得をする、最低限損をしないという裏打ちを強くしてあるかどうかは、中長期的な収支として大きく跳ね返ってくる。

僕にはそれができない。その時の善意で考えるし、場合によっては自己犠牲も厭わない。だから、損をする。でも、仮面ライダーだってそうなのだ。人類を救うためのバッタ人間に改造され、怪人と戦わせられるのは損以外何ものでもない。

仮面ライダーには恐らく年金はない。健康保険も支払われていない。バッタの副作用で寿命も短くなることだろう。それでも人のために戦う。

それが、僕のなりたいものの原点なのかもしれない。

今僕は、サッカーファンとJリーグのために戦っている。もちろん望まれているとは思わないし、現世のうちに評価されない可能性も十分にある。しかし、それでも、ぼくが戦うことには価値があると思うし、みんなのためになると思っている。

僕の財布に1500円しか入っていなくて、世間的な評価も地に落ちてしまったとしても、僕はそれでもいいのだろう。もちろん、周囲の人が不幸になるのは違うから、その分はやらないといけない。しかし、僕は誰にも評価されなかったとしても、ヒーローでさえあればそれでいいのだ。

あくまでも自分の中で。
自分だけの答えとして。

詐欺や詐欺まがいの商材を売るような仕事はある。そういったものは断固やりたくない。某大手通信社の回線を売る仕事も2日で投げ出した。だって、必要がないものを売りつけるんだから、それは正義ではないのだ。

もちろん、それが必要だという理屈を付けることもできるだろう。しかし、お客さまの目線になって客観的に考えた場合には、そんなものはいらないということになる。ということは売るべきではない。

浅はかな考えかもしれない。
世間知らずだし、お金を稼げないのも当然だと言われるかもしれない。

しかし、ぼくはヒーローにありたい。
いや、ヒーローでありたいのだろう。
自己犠牲と共に、誰かのために全能力を使い、最後は消耗して死んでいく。

それが僕であり、僕の人生なのだ。

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