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FC東京サポーターを6年で卒業することにした・前編 【続・サポーターをめぐる冒険】

FC東京サポーターとしての6年間の総括と、これからについて書く。

2019年、FC東京はホームスタジアムを長期間使えないという不利な状況にも関わらず首位を走り続け、最終節まで優勝の可能性を残した。

最終戦、日産スタジアム。4点差で勝てば優勝という状況の中で、横浜F・マリノスの完成度の高い攻撃に耐えきれず、ファールが嵩み、それでも身体を投げ出し続けたが、ついに決壊。4−0での勝利どころか0−3の敗北となり、FC東京のシーズンは終わった。

そしてぼくは、自分のサポーターとしての歩みに一区切りをつけようと思う。

その前に6年間のFC東京との歩みを振り返りたいと思う。


2013年10月5日、Jリーグを初観戦した結果。

ぼくがJリーグを始めて観戦したのは2013年だった。その時は正直言ってJリーグのことは舐めていた。当時はバルサとレアルの試合ばかりを見ていたから、海外に比べてJリーグはレベルが低いと思っていたし、観客も集まらず寂れていると思っていた。

試合結果は、FC東京が鹿島アントラーズ相手に1−4とボコボコにされていて、FC東京というのは何て弱いチームなんだろうかと感じたのを覚えている。

優勝を視野に入れた大一番であったらしいのだが、試合開始から為す術もなく0−4にされたからだ。

しかし、点差が広まっていき、勝利が遠ざかっていったにもかかわらず、FC東京を応援する声は高まり続けた。ゴール裏を中心とした応援する声は、いつしかスタンドまで広がり、ぼくが座っていたバックスタンドの中央あたりでも、声を出して応援する人が増えてきた。

小雨が舞い落ちる夜の旧国立競技場は、光に照らされて妖艶なまでにキラキラと光っていた。

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鹿島アントラーズは、鬼のような形相をした小笠原満男選手を中心に、最後の最後まで手を緩めなかった。失望して帰る人がいてもおかしくないような状況にありながら、サポーターの声は強まっていく。

バモバモ バモ東京
バモバモ バモバモ東京
この気持ち止まらないぜ
オオオオオオオ オオオオオオオ オオオオオオオ 東京

そんな中、平山相太選手が1点を取り返した。とはいえ、残り10分で、4点差が3点差になったところで、勝敗には大きな影響はない。

しかし、あの時の旧国立競技場は、平山の得点に沸いた。大きな歓声が上がった。そんな中、平山はすぐにボールを回収してセンターサークルへと向かった。

そして、試合終了の瞬間までサポーターの声がやむことはなかった。

あの時何かが変わった。

それまでまったく興味がなかったJリーグに対して、あるいはFC東京に対して、言葉にならない強い愛着を覚えるようになった。理屈はよくわからないのだが大好きになってしまったのだ。

それから数日間。何とかしてあの時の気持ちを文章にしようと思った。そして書き始めた。構想に2,3日かかり、書き始めてから1週間かかった。まだ文章は下手くそだったので荒削りだったけど、Jリーグ初観戦の時の思いを綴った。

今となっては懐かしい6年前の記事で、PVはもう20万を超えている。少し概略を引用する。


サッカーは好きだが、興味の中心は「自分でプレイすること」、「日本代表」および「海外サッカー」だった。そんな中で、とあるJリーグフリークからこう言われた。

「日本人のサッカーファンなのに、Jリーグを見ないのはどうかしている。」

そう言われてしまってはどうにもならない。自分なりに努力をした。サッカーマガジン、サッカーダイジェストを読み、やべっちFCを視聴することにした。テレビで放映している試合も何度も観た。

しかし、正直言ってJリーグの魅力が伝わらなかった。

一方で海外サッカー、とりわけチャンピオンズリーグのような強度の高い試合では、呼吸を忘れるほど興奮した。残念ながら、それと同じような気持ちにはJリーグの試合ではならなかった。

テレビユーザーを惹き付ける力は、Jリーグよりも海外サッカーのほうが強いと感じた。知っている選手は少ないし、選手名鑑を買って勉強してみてもいまいちしっくりこない。

どこのチームも応援する理由がなかった。

これは実は大切なポイントだ。応援するには理由が必要なのだ。

スタジアムに行けば違うのかもしれない。

そうは思っていたのだが、なかなか足が向かずにいた。

そんな中、10月5日土曜日、国立競技場、FC東京vs鹿島アントラーズに行くこととなった。「誘われたから行く」というあまり積極的な動機ではなかった。この試合は、東京オリンピックに向けた工事が始まるため、現在の国立競技場で行われるJリーグの試合としては、このカードが最後とのことだった。

こんな出だしで始まる記事だ。当初は、「Jリーグから金をもらって書いているステマ記事」などと言われることもあったが、過去記事や経歴などの整合性から「リアルガチ」であることが判明して一気に拡散された。


戦術的な観点から楽しむのは、前提知識を豊富に持っていないと難しいと感じた。リプレイもスローモーションもない試合の会場で観戦する場合には、戦術分析を楽しむのは玄人向けの楽しみ方なんだろう(広島や浦和のあのややこしいシステムなんかは、理解していないサポーターも結構いるのではないだろうと思っているのだけどどうだろうか)。※注フットボリスタなどでミシャ戦術について特集されていたので仕組みだけは知っていた。

お互いのチームのフォーメーション&システムと戦術、またそれを機能させるためのキーポイントを把握しておく。その上で、キーポイントをいかに潰しに行くかという守備戦術をいくつか想定しておく。そして、実際にそれらがいかに機能しているかを理解し、その上で監督がどう対応していくのかを理解し……

多分、こういうのは、サッカー通やプロの分析者や監督経験者みたいな人じゃないと難しいのではないだろうか。サッカーをあまり知らない女性や子供に言ってもあまりわかってもらえないタイプの楽しみ方のような気がする。

Jの面白さをマニアに尋ねた時に「戦力が均衡しているから戦術の差を見るのが面白い」と言っていたが、それではマニアのためのリーグになってしまう。

かつて天下を取ったプロレスという興行が衰退してしまった原因は、マニアしか見ないものになってしまったためだと聞いたことがある。「戦術が面白い」なんて言っていたら駄目だ。

そりゃ確かに戦術分析をする対象としては熱いリーグなんだろうと思う。例えば、リーガのレアル・マドリード対ヘタフェの試合では、大抵はレアルが勝つ。その理由は戦術ではなく戦力の圧倒的な差だし、さらに言えば「金」の差だ。

一方でJリーグは、若干の傾斜あるものの資金力には大差がない。だから、戦術が“効く”。というわけで理屈はわかる。しかし、スタジアムで戦術を楽しむというのは、マニア向けの楽しみ方だ。そういう楽しみ方もあるし、ぼくも当然好きだが、それだけでは成り立たない。

Footballistaの編集長の木村浩嗣氏が、グアルディオラの戦術の師匠筋にあたる人にインタビューした際に(誰だっけ……)、「戦術がどうのとか、ファンが気にする必要ないんだよ。」という風に怒られたというエピソードを聞いた(このイベントの時、引用先には記述なし:フットボリスタ編集長木村浩嗣氏の話を聞いてきた 月刊化編)。

戦術を楽しむのは高度な楽しみ方だ。一方で、「個」を楽しむのはどうなんだろうか?縦横無尽に駆け抜けて小憎いパスを捌く柴崎岳には感心し続けた。ジュニーニョは明らかに目立っていた。徳永に注目してみようと思っていたのだけど、この2人ばかりが気になってしまった。全体を俯瞰して見るよりは、自分のお気に入りの選手や気になった選手に集中するというやり方はいいかもしれない。

しかし、柴崎岳さんは本当にすごいね。ああいう風にサッカーが出来たらどれだけ楽しいんだろうか。ディフェンスラインまで降りていってパスをもらって、即座に鋭く前に出して、そのパスがチャンスに繋がっていく。何分か先の世界が見えている(ように思える)選手は大好きだ。やっとさんも生で見ると違うのかもしれない。

戦術分析は段々とうまくなってきたが、サッカー観戦の入り口にはならず、玄人向けの楽しみであることは初期段階から考えていたらしい。将棋やチェスのように止まった盤面で考えられるならまだしも、あるいはスポーツでいうならアメフトやカーリングなどのように制止して思考する瞬間があるならまだしも、サッカーは連続的かつ流動的なので、戦術分析には経験が必要だ。

残り時間の間、FC東京も猛然と反撃をしていたが、これ以上相手のゴールを崩すことはできなかった。サッカーなんてそんなもんだ。どれだけ頑張っても得点するのは簡単ではない。

しかし、最後の瞬間まで戦意を喪失せずに勇敢に戦っていた。試合後は、「バカヤロー、金返せ-!」というようなやり取りがあるのかと思えば、そんなことは全くなくて、選手達の健闘を称える歌が響き渡っていた。

観客達は、食べる、飲む、そして歌う。

心が高揚し、数万人のサポーターの気持ちが溶け合い一つになっていく。この気持ちよさは、テレビでも味わえないし、他のレジャーでもそう簡単に味わえるものじゃない。

サッカー観戦に外れなし。
負け試合でもこんなに良い気持ちになれるとは。これで接戦を制したりとか、優勝したりとかしたら、どれだけ嬉しいのだろうか。どれだけ幸せなんだろうか?

買わないくじは当たらない。その幸せを得るためには、賭け金を支払う必要がある。チケットを購入しスタジアムに行ったり、グッズを買ったり、アウェーの試合結果をじりじりしながらチェックしたり、チャントを大声で歌ったり、雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ、ライバルチームへの憎しみを燃やしたりしながら生きて行く必要がある。

思えば、これは世界レベルの話なのだ。世界中の多くの都市で、数えるのも面倒なほどのたくさんの人が、お気に入りのチームを人生をかけて応援している。

これはサッカーの問題じゃなくて、人生の問題なのだ。



さて、それからサッカー観戦漬けの2013年を送ることになるのだが、その時のことは、拙著『サポーターをめぐる冒険』に事細かに書いたので、ここでは割愛するが、大まかな流れだけは書いておく。

・Jリーグ初観戦でFC東京への謎の愛着が芽生える。

・その後色々な試合を見に行く。浦和レッズのゴール裏にもご招待頂き、その迫力と、想定外の平和さに衝撃を受ける。

・その後も色々見るが、FC東京サポーターになる気はなかった

ルーカスが大けがをして、仙台での天皇杯の決戦へ。

クリスマス帽子をかぶって仙台との死闘を応援する。

・次の試合で森保広島の塩試合に敗れる。

クリスマス(12月23日)の仙台での試合は、今でも何度も思い出す。そして、文章にするのは非常に苦労したが、ポポビッチ東京の一つの最高到達点を記録することが出来たのは、一つの仕事として誇れるものだと思っている。

この試合では、不思議な経験をした。ゴール裏で観戦している自分が、まるでピッチの中にいるような感覚になったのだ。繋がっていくパスを見ながら、選手の名前を呼び、あるいは相手の攻撃をチェックする度に選手の名前を呼んだ。その時ぼくは、間違いなく12番目の選手として、戦っていた。シンクロ率が上がった状態とでも言うべきだろうか。

これと同じ状態を経験したのはこの時を除くと、ブラジルワールドカップ第二戦のギリシャ戦だけであった。サッカー観戦者としての一つの究極到達点といえるかもしれない。

観戦や応援に対するスタンスは人の数だけある。スタンドから冷静に分析する人もいれば、ゴール裏から大声を出しながら試合に埋没していきたい人もいる。ぼくはどちらかというと、スタンドから冷静に見るほうが性に合うようなのだが、この時はゴール裏の住人になっていた。

そしてこの時の感覚は、心を侵食してしまったようだ。

それから迎える2014年、そして2015年。マッシモ・フィッカデンティというイタリア人監督がやってきた。

この時、ぼくの心は青赤に完全に浸食されていた。マッシモフィッカデンティ監督の少し退屈なサッカーと、その退屈さを完全に吹き飛ばす最強の槍が2本。

石川直宏と武藤嘉紀。

そして、セットプレーになると出てくるのはオオオオオオーオーオオオー太田宏介

あの時は最高だった。絶対的な固い守りと、強力な個の力による破壊。

武藤嘉紀は開幕戦の柏レイソル戦でこそ可能性を示しただけに終わったが、次第にJリーグのサッカーに適応し、最終的にはディフェンスが二人いても吹き飛ばして抜いていくほどになった。

かつてフランス代表のリベリが酒井宏樹ともう一人(確か遠藤保仁か内田篤人)の間を抜けて、二人とも吹っ飛ばして抜いていくのを見たことがあったのだが、それと同じような衝撃的なプレーが毎試合見れた。

武藤嘉紀は間違いなく世界レベルの選手だった。ということは、近づいてくる悲しい別れも意識しないといけなかった。

ぼくはホームは基本味スタへ行っていて、テレビで試合を観る場合でも、発狂したかのように絶叫して応援していた。スタジアムでもゴール裏で両手を突き上げて応援した。目が悪いから跳ぶのは苦手なのだが。

マッシモのサッカーは面白くないと言われるが、ひねくれ者の多いFC東京では「ウノゼロ(1−0)の勝利を味わうのもサッカー通のあり方だ」と言いながら楽しんでいた。というよりも、武藤を中心とした攻撃陣が、どんなフラストレーションも切り裂いてくれたのだ。

最高だった。最高に楽しかった。

優勝のことは意識していなかった。FC東京は軟弱なメンタルをしたクラブなので、優勝を意識した途端に負け始めて結局10位くらいで終わると言われていた。だから、みんな敢えて優勝を意識しないように試みた。

優勝を意識しないで勝ち星を重ねていくと5位で賞金を獲得し、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)と天皇杯でベスト4くらいになるという説に思わず笑ってしまったのを覚えている。万年中位のクラブにはそれなりの楽しみ方があるのだ。

2015年の半ばに、武藤嘉紀が旅立った。当時の心境がブログに残っているので引用する。

ぼくはイライラしているらしい。

明日は、FC東京vs清水エスパルスの試合であるが、我々にとって最大の関心事は試合の勝敗ではなくなっている。

ドイツのクラブ「マインツ」へと移籍する武藤嘉紀のラストゲームなのである。ああ、書いててちょっと辛くなってきた。

海外志向であることはずっと前から知っているし、一人の選手のキャリアとして海外挑戦は全く悪いことではない。東京でもう少しプレーするという選択肢も当然あったし、検討はしただろう。

しかし、FWとしては既に若手とは言えない年齢になりつつあるから早めに行きたいところだろうし、後半年東京に行くと移籍交渉や移籍後の環境整備が難しい冬のマーケットで勝負する羽目になる。

後一年だけ東京でプレーしたほうが、もしかしたら最終的には選手として向上する可能性は大いにある(もちろん逆の可能性も大いにある)。しかし、才能に溢れ、野心に燃える一人の青年の挑戦を誰が止められるだろうか。

数々の失敗事例を踏まえて、リスクが高いのを承知で、それでも行きたいという若者を止めることは出来ないのだ。頭ではわかっている。

しかし、清水戦を最後に「東京の武藤」が見れなくなってしまうと思うと、やっぱり辛い。いつの間にか武藤の成長を見守るのが生きがいになっていたらしい。
さよなら、よっち。いや、武藤嘉紀。その前夜に記す。

そして、さよならの日。この日に書いた記事は読み直すのが怖いのだがしょうがないから読み返す。

武藤嘉紀なんてただの子供さ。俺たちの前ではよっちのままなのだ。よっちは、何でも出来るように見えるけど、大舞台でシュートを決めることも出来ないし、大事なスピーチで号泣してしまうようなやつなのだ。

もしかしたら、自分でハットトリックを決めて、見事なスピーチをされたら、嬉しさと同時に何だか寂しい気持ちになったかもしれない。俺たちのよっちはこれでいい。これで良かったのだ。

オーレ オレオレオレ
よっちー よっちー

愛情溢れるFC東京を離れ、武藤は世界へと挑戦する。リスクは高い。確実に成功出来るとは限らない。全然上手くいかずに試合に出られない可能性も十分にある。

「日本に帰ってきたら、是非またFC東京に暖かく迎えて頂けると嬉しいです……」

よっちは、大泣きしながらこう言っていた。

もちろんだ!!
いつだって構わない。
ここは、あなたの家なのだから。

いってらっしゃい!よっち!

ぼくはFC東京を応援し始めてまだまだ歴が浅い。でも、トップチームでの武藤の物語には全て参加することが出来た。

本当はもっと長く見ていたかった。しかし、支持しよう。武藤のすべてを支持しよう。武藤がいないのは寂しいけど、FC東京には素晴らしい選手が揃っているのだ。

中島翔哉や橋本拳人の出番が増えるかもしれないし、ヨネや平山も戻ってくる。前田にも復調の気配があるし、ナオも怪我から戻ってきた。東のシュートも何だか入りそうな予感がしてきた。

2ndステージは優勝だって狙えるし、プレーオフに出たらお祭り大好き青赤軍団の本領発揮だ。そして、ACLに出場が決まったら世界の何処だろうとついていくぜ!!

武藤嘉紀は旅に出た。しかし、ぼくと、あるいは俺たちとFC東京の物語は決して終わらない。ずっとずっと続いていく。

ずーっと。ずーーーーっと。

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結論
武藤嘉紀の物語を経て、FC東京のことが一層好きになった!


東京!!!


感情がぐちゃぐちゃで何が書いてあるのかわからないのだが、何とか意味が通っている箇所を引用した。

2014ー2015年のマッシモ・フィッカデンティ時代は、比較的堅調にFC東京サポーターをしていたと言える。

といっても、2014年のブラジルワールドカップへの1ヶ月滞在によってコアサポというよりは一歩引いたところからの応援となった。それは、精神的・肉体的疲労にくわえ、貯蓄の消滅、世界のサポーターを見ることによるコアサポ的価値観の消滅などに影響される。

特にアルゼンチン人サポーターは凄かった。精神がとても自由だった。日本のサポーターは、小さなルールに縛られすぎてサッカーを楽しめていないとすら思った。もっとサポーターは自由でもいいはずだ。

とはいえ、日本人はアルゼンチン人ではなく、Jリーグはプリメーラ・ディビシオンではない。

そして、迫り来る「育児圧」。

2014年は子供が1才、2015年は2才。このくらいまでは、スタジアムに連れて行くことが容易だった。抱っこひもとおむつさえあれば、試合中は静かに寝てくれるからだ。ある程度重いのだが、慣れていれば移動にも問題はない。

当時は息子を抱えて一人で味スタまで行ったものだった。しかし、2016年。息子がイヤイヤ期に突入して、スタジアムに行くのが困難になった。行くには行けるのだがとんでもなく時間がかかる上、試合中は5分も座っていられずコンコース散歩になってしまう。夫婦で行けば交代制で子供を見ることで半分くらいは試合が観られるのだが、そのためにチケット代を払うのはコスパが悪い。

育児家庭の家計繰りはシビアなのだ。特に僕は零細物書きなので、収入が不安定なのである。

そして、長女を授かり、妻が再び妊婦となると、スタジアムでのサッカー観戦が難しくなった。そのあたりは、時々家族連れで味スタまで行ったり、子供を預けて埼スタまで代表戦を観に行ったりしていたのだが、大人だけで行くよりもはるかに労力がかかるので、自宅で観戦する機会が増えた。

さらに、FC東京には冬の時代が訪れていた。

2015年はクラブ史上最高の4位で終わったのだが、監督のマッシモ・フィッカデンティは解任されてしまった。サッカーに華がないからだとか、守備重視のサッカーでは未来が見えないだとか、あるいは女性トラブルを起こしたに違いないとか、色々な噂が流れたが本当のことはわからない。

マッシモ・東京は突然終わりを告げた。そのことに当時の僕はかなり怒っていたのを覚えている。その怒りが醒めていくとと共に、FC東京への熱狂も少しずつ引いていった。

マッシモの代わりに訪れたのが城福浩監督で、ヴァンフォーレ甲府で堅実なサッカーをしていたことから好印象はあった。マッシモのシステムとも相性がいいのではないかも思った。

しかし……。

この年は勝ったり負けたりを繰り返していた。勝った試合もあまりすっきりした勝利ではなかったように思っている。印象的なのは6月に行われた埼スタでの浦和戦で、2点を先取したにも関わらず、終盤に力尽きて3点を取り返されて敗北した。

7月の鳥栖戦も2−1とリードしながら、アディショナルタイムの最後の2分で2点を取られて敗北した。

この辺り、若干記憶が曖昧で調べながら書いていたのだが間違っているところもあるかもしれない。試合を観る度に少しずつ醒めていくという状態だったのだ。

その後も勝ったり負けたりが続いたのだが、次第に負けの頻度が増えてきた。そして、試合後には、焦燥した城福監督のインタビューを見せられて、なんともやるせない気持ちにさせられた。

この年はオフが短かったことによって調整に失敗して、選手の多くがコンディション不良であったらしい。そういう事情はわかるのだが、子供を抱えて無理に観に行った試合が不甲斐ないものだと、なかなか次も行こうという気にはなれない。特に僕は、特定の観戦仲間と一緒に観ているわけではなかったので、足が遠ざかるのも速かった。

その後、死相が出ていた城福監督は解任され、後任はコーチを務めていた篠田善之監督となった。一時期は降格の危険性もあったのだが、篠田監督がうまくチームをまとめたことにって、最終的には9位となった。

2017年は、篠田体制2年目となったのだが、ぼくは妻が産休・育休に入り、財政事情が安定しなくなったことと、一度本屋さんで務めてみたかったといことから、渋谷にあるBOOK LAB TOKYOというお店に務め始めた。

始めてみるとなかなかゴタゴタした現場で、勤務時間外も常に問い合わせが飛んでくる。このへんの事情は詳しく書かないがとにかく現場仕事が忙しくてサッカーどころではなくなってしまった。

その間、鳴り物入り入ってきた某選手が、ユニフォームを蹴り飛ばして大ブーイングを浴びたり、2年目の篠田体制があまり好調ではなかったり、天皇杯2回戦で長野パルセイロに負けたりするなどろくな事がなかった。というかあまり記憶がない。仕事が忙しすぎたせいもあったのだろう。

FC東京は低空飛行を続け13位でフィニッシュ。この年は久保建英のJ1デビュー以外にポジティブな話題はなかったように思う。というより覚えていないのだ。記憶喪失である。篠田監督は途中で解任され、安間貴義コーチが監督を引き継いだが、めぼしい成果はなかったように思う。

そして、2018年。

長谷川健太監督が現れた。

やはり日本人を率いるには「怖い上役」が必要なのだろう。そういう意味では城福監督は怖そうなのだが、優勝した実績などはないため舐められてしまうところもあったのかもしれない。想像でそんなことを言ってはいけないのだが、監督実績はFC東京を除くと、U15〜17の日本代表とヴァンフォーレ甲府のみである。

FC東京の選手はエリート然としたところがあるので、そこまで気が引き締まらなかった可能性はある。

その推論はさておき、長谷川健太監督は国内においての実績は文句なしであった。

選手としては、JSL時代(Jリーグ以前)に、日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)の選手として、2年連続3冠(リーグ、天皇杯、JSL杯)に貢献している。

Jリーグが始まると清水エスパルスに入団し、日本代表として1993年のドーハの悲劇を味わっている。イラクに対する日本代表の先制点は、長谷川健太選手のシュートがバーに弾かれたところを、三浦知良選手が押し込んだことによるものだった。

そして2013年、J2に降格したガンバ大阪の監督に就任すると、崩壊した守備を立て直し、J2優勝。1年でJ1昇格を決め、2014年には何と3冠を達成している(J1、天皇杯、ナビスコ杯)。3冠の制覇は、2000年に鹿島アントラーズを率いたトニーニョ・セレーゾ以来、2人目。日本人監督としては初であった。

というわけで、選手としても、監督としても日本サッカー史上屈指の実績を持つ怖い監督がやってきたのである。

そして長谷川健太監督が最初に着手したのは、緻密な戦術でも、ハードトレーニングでもなかった。

[1]ガムを噛まない
[2]ソックスを上げるなど試合中と同じ服装とする
[3]必ず返事をする
[4]早目に練習場へ来る

後編に続く。

さて、あまりのも長すぎて一回で終わらなかったので後編に続くのだが、有料部分を何か作るのがOWL magazineの掟なのでどうしたものかと考えた結果……。

おまけ 味スタ観戦の「前」に新宿ゴールデン街で飲む方法

これを書くことにした。朝に開いているお勧め点を、務めている美女の情報(写真)込みで紹介する危険なコーナーである。といっても勝手に画像を使っているのではなく、Twitterから引用している(良かったらフォローしてあげてね)。

割とコアな情報なのだが実用性は高いと思う。時間帯的にイケメンよりは美女のほうが多いので、男性向けともいえるかもしれないが、美女めあての女子も結構いる。

あるときぼくは、シャドウというお店で背の高いお姉さんの絡み酒に付き合って…… お姉さんはキューティクル美女なんだけど、勤務先は歌舞伎町のおかまバーだそうで「ちょっとあんた飲みなさいよー!」とかいいながら色々触られるなどコアな体験も出来た。




というわけ以下は有料記事となります。

OWL magazineは月間15本以上の記事を掲載するのですが、正直今月はピンチでこれから怒濤の構成をしかける必要があります。FC東京記事の後編も有料部分はコアな内容にしようと思っているので、これを機会に是非ご購読ください。
記事一覧

オフシーズンを迎えた年末年始の読み物にOWL magazineは超お勧めです!!


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