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ひまそらあかねの公約を点検する(ついでに石丸伸二のポスター裁判も)


 政治家とは何だろうか。

 石丸伸二候補は、政治屋を一掃するという言葉を掲げているが、それは政治に群がって金儲けしている人たちを退けるという意味なのだろう。
 
 それが具体的にどういう人たちで、どうやって一掃するのかを具体化してくれないとこちらとしては判断すらできないのだが、18~29歳には支持されているようだ。

 政治をしているのは悪いやつらで、それがいなくなれば良くなるというような、極めて原始的かつ直情的な、「パパもママもいなくなっちゃえばいいんだ!!」とわめく幼児のような言い方だと、僕は感じる。なので、「政治屋を一掃する」という言葉を言われても、僕は支持しようとは思わない。

 ただ、感じるのは、もし政治屋というものがあるとしたら、それは石丸伸二のような人なのではないかと思う。これは、安芸高田市に住み、石丸伸二の「悪政」を見続けてきた堀治喜氏の著作『虚像 石丸伸二研究』に詳しく書かれているテーマである。

 我々のYoutube番組においても、石丸伸二のポスター代未払い裁判について扱った。その判決文を読む限りは、100%石丸伸二に問題があるという判決が出ていた。

 これは、中小企業の経営者である私からすると、極めて妥当な判決だと感じた。本来であれば選挙前に精算しておいたほうが良い事案だと思うのだが、どういうわけか石丸伸二はこの件を最高裁に上告した。

 ポスター代については石丸支持者が「悪徳業者に引っかかっただけ」とか「喧嘩両成敗」とか言って回っているのだが、判決文によると、ほぼ100%石丸伸二に問題があるので、残りのポスター代金と裁判費用を支払えとなっている。地裁でも、高裁でも、である。

 それは、裁判官が外れだったからそうなったというような話ではなく、誰がどうみても、発注の仕方が悪かった石丸伸二の責任であるというような、私の主観だがこういう判決である。

「そりゃ……代金言わずに特急で頼んじゃって、代金の上限があることを言い忘れてたなら、自分の責任だろ……、常識的に考えて……」

<参考>
Youtubeラジオ
書籍『虚像 石丸伸二研究』最弱出版社社長が読んでみた

石丸伸二は中小企業の敵? ポスター代未払い裁判で残念敗訴の謎を追う

精読「石丸伸二ポスター代 未払い裁判」(地裁編)

おかわり精読!!石丸伸二ポスター裁判(高裁編)

石丸伸二の本質と号泣信者の正体とは

 話が逸れた。石丸伸二氏は新進気鋭の政治家なのだろうと思うのだが、もう少し人生経験を積んでから出直してほしい。流石にポスター代金未払いなどというダサいレベルの案件で揉めて、民事裁判で負けてもごねるという様子では、首長が務まるとは思えない。

 さて、政治家とは何なのか。原義としては「集団が集めた利益を分配する職業」なのだろうと思う。我々国民は、国家に所属しているので税金を徴収される。それは多額の財として国家なり、地方自治体に集積される。

 その配分を任されたのが政治家である。その配分を決めるのが予算組みであり、政策である。こういった理由から、政策立案能力が政治家としての実力だと言われる。

 さて、財を分配する際は、平等に配るというのが基本とはなるだろうが、この平等というものが難しい。より功績のあるものに分配するのが平等という考えもあれば、人間一人あたりの取り分が同じになるように配るのが平等という考えもあるだろう。

 結果の平等ではなく、機会の平等として、教育に投資していくという考え方もある。政治家とは、どこに重点的に分配していくかを決める人であり、選挙とは「誰ならば平等かつ公平な分配ができるか」を見定めて、その決断を託す人に投票する作業である。

 ある人は「自分の会社により多くの配分をもたらす」と期待して投票するかもしれない。一方で別の人は「より世の中のためになる配分をしてくれる」ことを期待して投票するかもしれない。

 それは自由なのだが……。

 今は、非常に判断が難しい局面といえる。日本経済が成長を続け、常に「パイが大きく」なり続けた時期は、多少偏りがあったとしても、多くの人が利益を享受することができた。政治家に求められたのは、パイを大きくしていくことであり、配分の平等性は強く問われなかったように思う。

 バブル経済が崩壊し、失われた30年が経った。その間、日本経済はまったく大きくならず、人口は減り、少しずつながらも確実に縮小を続けてきた。
 
 つまり、パイ自体が小さくなり続けているのだ。その結果、誰もが「パイをもっとよこせ!!」と感じるようになった。物価はあがり、給料がさがっているのだから、誰もがそう感じるステージにまで、日本の縮小は進行した。

 こういうステージとなって「自分に親しいものに、限られたパイを配分する」ことを目指す政治家は、マクロな視点で見ると害悪であるといえる。パイが小さくなっていく中で、特定の集団への配分を増やすということは、他の人の取り分がさらに小さくなるということだ。

 従って、現状に求められるのは、パイが平等に配られているかを検討し、仮に既得権益があったとしたら、そこにNoを突きつける強いパーソナリティである。同時に、自分に縁のあるものへの配分を増やしてリターンをもらうような考えを持たない、無私無欲の人であることが求められる。

 もちろん、完全に無欲な人は政治家には向いていないと思うので、相対的に私欲の少ない人が求められていると考える。

 ドトールの会長に支援され、ドトールのワッフルを食べるパフォーマンスを見せる石丸伸二氏は、それ自体が悪というつもりはないが、旧来の政治家であり、今の時代が求めるような政治家ではないと思う。つまり、彼こそが一掃されるべき政治屋なのである。

 少し長くなったが、この配分の平等性を基準として、ひまそらあかね氏の政策をみていただきたい。

 もちろん、現状は泡沫候補であり、どれだけ票読みをしても奇跡を3回連続で起こさねば勝利は難しい。

 それはサッカーでいえば、PKを10回連続で止めるようなものであり、野球であれば、9回の裏に30連打を放って25点以上を獲得するようなものだ。

 バードウォッチングでいえば庭の雀が全部レンカクであり、空をみあげればワタリアホウドリとオオグンカンドリが飛んでいるようなものである、というのは誰もわからないであろう。


超レア鳥のレンカクさん(宮古島で一回見た、写真はフリー素材)

 さておき、奇跡を起こさないと難しいのはあるだろうが、支持者は自分の出来る範囲で頑張っている。セカイ系のアニメであれば、間違いなく奇跡は起こるのだが、これは現実である。

 だからといって、負けたらすべて失って、ゼロになり、何もかも無駄だったのかというとそういうことではない。ひまそらあかね氏が立候補し、政策を掲げたこと、その政策が見渡す中で一番マシなものであったが、この都知事選で特筆すべきことなのである。



というわけでひまそらあかねの政策をみてみよう。


公約

①公金チューチューをなくす
②東京都をデジタルで楽しませる
③政治献金の一切を受け取りません。
個人献金、企業献金、政治資金パーティの全て0

 ①の公金チューチューをなくすというのは、少し説明が必要だ。公金チューチューとは、国家や地方自治体に集められたお金を、蚊やダニが血を吸うように、チューチューと吸い取る行為である。生物学的にいうと「寄生」である。

 寄生する生物は得するが、寄生される側は一方的に損をする。そういった行為を、ひまそらあかね氏は公金チューチューと呼んでいる。

 前述した通り、日本が好調なときには、多少の無駄が出ても、国内でお金が回るならそれでよし!という傾向はあったと思う。しかし今は、首都に暮らす東京都民であっても、貧しさを感じるようになってきているのだ。僕だって、牛肉が食べたいこともあるのだが、今年になってからは、スーパーで買うのは100g50円の鶏胸肉ばかりである(西葛西のスーパーはとても安い)。

 鶏胸肉を使わないと、子供が必要とするタンパク質を確保できないという計算になる程度には家計が厳しくなっているのだ。これは多かれ少なかれ、どこの家庭でも一緒だろうと思う。

 こういう状況においては、誰か特定の集団だけが得をすることは容認しがたい。もちろん、必要な支出であれば良いのだが、無駄なものは一切許せない。

 我が家が豚肉から鶏胸肉になったように、東京都も支出を減らして効率化していくべきなのだ。

 ちなみに鶏胸肉は少しだけ調理が面倒なものの、旨味が強く低カロリーである。保存は効きづらいが、一度塩を振って丁寧に拭き取り、チルド室にいれておけば1~2週間は余裕でもつ(要加熱、我が家の環境なので各自要検討)。ゆっくり非を入れて行くようにすれば、柔らかくてもちもちである。そして何より安い!!たっぷり食べても安い!!最高なのだ。わさび醤油でも甜麺醤でもオイスターソースでもトマト煮込みでもうまい!

 というわけで、東京都の台所事情を精査し、現状にあった効果的な使い方をするという、家計をみるものならば極めて当たり前のことをしようといっているのだ。

 これは、直前に50億円のプロジェクションマッピングという最低最悪の無駄遣いをした現職の小池百合子と好対照の姿勢といえる。

 ちなみにひまそらあかね氏は、公金の使い方について、東京都相手に多数の裁判を起こしている。その数は本人でもたまに忘れるほど多く2桁を超える。

 また、公金の使い方を検討するために情報開示請求をしたのだが、「黒塗りをゼロにする」という趣旨の公約に反して、黒塗りだらけ(途中から黒だと公約違反だと思ったのか白塗りにしてきた)の書類を出してきた。

 これは、もう公金の使い道が悪かったと自白しているも同様で、この点についてはしっかり追求していく必要がある。こういった活動を、在野で、かつ、個人でやっていたのがひまそらあかね氏である。

 Youtubeやnoteなどから収益を得ているとはいえ、誰かから命令されてやっていることではなく、自発的に、民主主義のシステムを活用しながら、東京都の公金の使い方について検討した人物であるといえる。

 ここで1つ、問題とされている団体について軽く触れておくが、少なくともColaboについては、歌舞伎町において困窮する女性たちを救いたいという志はあり、実際に活動実態もある団体であることは言っておきたい。会計についてはだいぶ大雑把であったようで、そこは追求されてしかるべきではあるが、志はあったと思う。

 もちろん、実際にどの程度効果が出ていたのかについては公金を用いた事業であるならば精査が必要だ。

 若草、BOND、ぱっぷすという3団体については活動の実態もよくわからないため、都民としてはしっかりと検討していただきたいと思っている。

 さらに、ひまそらあかね氏は、情報開示請求のあり方がおかしいことを指摘し、東京都に対して国家賠償請求訴訟を行い、勝訴している。9割勝てないと言われる国賠で勝っているのだ。詳細については、司法の素人ながら、判決文と格闘して解説コンテンツを公開した。

暇空茜、国賠勝訴! 東大卒の最弱出版社社長がゼロから解説します

 次に②東京都をデジタルで楽しませるについてだが、これはスマホアプリを作って、デジタルクーポンを展開するというもの。たとえば映画代の無料券や、ファミレスの割引券がもらえるなどという利用方法が考えられる。

 つまり、東京都が都民に配分する際に、NPO団体などを挟むと中間搾取が生まれる可能性があるため、東京都が都民に対して直接事業者と繋ぐことで、ダイレクトな支援をすることを狙っている。もちろん、苦労はあると思うのだが、NPO団体がブラックボックスと化して、お金がどう使われているか把握出来なくなっている実態を踏まえてのアイデアである。

 東京都民の多くはスマートフォンを持っているので、非常に利便性は高いと思う。一方で、全員がもっているわけではないので、そういった点についてのきめ細やかな対応は必要となる。とはいえ9割以上はワンタッチで済むようになるし、何より公平性という点が、少なくとも配分という問題においては担保される。

 ③政治献金の一切を受け取りません。これは、個人献金、企業献金、政治資金パーティの全てをゼロにすることで、特定の集団に対して、リターンを出すことをしないという宣言である。

 現在の政治活動はお金がかかりすぎると言われる。そのため、親の地盤と鞄(お金)を引き続いた二世議員でないと、なかなか政治家にはなれないことが問題とされている。

 ひまそらあかね氏の活動でもう1つ特筆すべきなのは、お金のかからない選挙を行い、「お金をもらった恩」を感じることなく、公正な政治を行っていくことができることだ。

 こんな当たり前のことができないのが、日本の政治のバグであるし、それは、日本だけではなく、世界中でもそうなのかもしれない。

 選挙活動に金がかかるんだから、政治家が金が得られるように行動するのも当たり前の行動原理なのである。なぜなら、お金が集まらないと当選できないからだ。

 お金を集めて選挙に出て、政治家としてお金を集め、次の選挙でお金を使い、また政治家としてお金を集め……。

 こういったバグをどうにかするためには、個人献金、企業献金、政治資金パーティの全てをゼロにすることを掲げている、ひまそらあかね氏が躍進し、都知事になることを期待したいと考えている。

 また、本人は否定するかもしれないが、仮に今回がダメでも、国政であったり、次の首長選であったりと続けて活動をしていって欲しい。

 あるいは、本人がやらなくても、彼が引いたレールに乗って、活動する政治家が出てくるのも面白いと思う。

 僕はひまそらあかねに投票するし、ポスター裁判をみるかぎり、石丸伸二氏は中小企業の敵になる可能性があると思う。なので、投票対象には到底なりえない。

 彼の活動がどうなっていくのかについては、西葛西出版のYoutubeで語り倒しているので、是非お聴きいただきたい。


西葛西出版のひまそらあかね論(探すと立候補前から色々あります)



この記事は無料ですが、投げ銭いただけましたら、あしか氏とのランチ代にさせていただきます。



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