現代の売文稼業 内省と自伝 2

私の内省
西葛西出版のオフィスにて

ライター稼業のことを売文屋ということがある。ギター弾き、歌うたいのような言い方ではあるが、それらよりも自嘲あるいは蔑視している度合いが強い言葉である。

どうして売文屋という言葉があるのだろうか。

こういった表現を他に見たことがあるかというと、売春、売女というような表現しか思いつかない。売飯屋、売酒屋、売車屋、売音楽家などという言葉は見たことがなく、売という文字があっという間にゲシュタルト崩壊してしまう。

私の知る限りでは、春、女、文くらいしか使用例を知らない。他にも例がある場合には教えていただきたいのだが、そこには自嘲や蔑視が含まれていることは間違いないだろう。

女性について言及されているところから推定すると、本来は売るべきものではなく、大事にしておくべきもの、大切なときのため、大切な人のためにとっておくものを、お金と引き換えに売り渡すということに対する自嘲あるいは蔑視があるのだろうと思う。

日本において売春というのは犯罪である。いやいや現実にはあるじゃないかという人もいるかもしれないが、いわゆるパパ活は犯罪行為を見つからないようにしているだけで、立件された場合には罪となる。

昭和三十一年法律第百十八号
売春防止法

第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることに鑑み、売春を助長する行為等を処罰することによつて、売春の防止を図ることを目的とする。
(定義)
第二条 この法律で「売春」とは、対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいう。
(売春の禁止)
第三条 何人も、売春をし、又はその相手方となつてはならない

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=331AC0000000118_20240401_504AC0100000052


そもそも、売春がどうして駄目なのかについては、キリスト教による価値観をもっている欧米諸国と付き合う際には必要なことであったために、厳しく禁止したというのが実情なのだろう。

日本人は本来もう少し、性の意味ではおおらかで、性によって人生を切り崩すのもそれもまたその人の生き様だと、ニヤニヤしながら見守るくらいの余裕があったはずなのだ。そのあたりは江戸時代の性風俗を調べていると色々と思うことがあるのだが、話がどんどんシモの方向に走って行くのでこのあたりで止める。

もっとも、下ネタはセクハラだから駄目という価値観は、私は嫌いである。アフリカの少数民族の写真を撮っているヨシダナギさんは、下ネタは世界共通の言語だといっていた。

ジークムンド・フロイトは、子どもが育っていく家庭で、まずはお尻とうんちに興味を持つ肛門期、自我が芽生えてきたあとの男根期などとショッキングな名前で整理している。

人間は下ネタから自我を形成して、本能に基づいて異性を追い、あるいは追われ、その情熱や機能を失ってからは、社会のために奉仕して死んでいくだけの存在なのだ。下ネタを否定するのは人間の否定につながると思う。

セクハラが嫌だという感覚はあるだろうし、それは確かに嫌だろう。しかし、そもそも他人とは嫌なものなのだ。嫌ではない他人、例えば恋人の場合には、それは良いセクシャルであり、ハラスメントではなくなる。

シモに走ること自体が悪いのではなく、そこまでの関係性を作る前にシモに踏み込むことが問題なのだ。そして、文章においては、途中でやめて退出すればいいだけだし、文章とシモは妙に噛み合う。ベストマッチなのである。

星野源のエッセイをパラパラめくると、うんこだらけである。

「ウンチは作品、僕の作品はウンコ」と言ったとか言っていないとか。

逃げ恥によって好感度が極まっていた独身時代の星野源ならば、何をいっても許されたはずだ。一方で、私のような中年男性が、若い女性にむかって「うんこー!」と言った場合には、痴呆の類を疑われて心配されるか、セクハラで訴えられるかである。

つまり、問題は下ネタではなく、その人の好感度なのである。だから、セクハラの被害を訴えられた場合には、その人が周囲の人との人間関係を構築できていなかったことを示している。下ネタが悪いのではない。

そういえば新宿ゴールデン街でこういうことがあった。

ボーイッシュで豪快なお姉さんがいるカウンターに座っていたときのこと。私は個人的に仲良しなので(そういうことではない)、彼女の付き合ってきた男性の話とか、時には性的な話も聞いたことがあった。これは私から振った話ではなく、飲み屋での自然な会話として彼女から話してくれたことだ。

そして少し時間がたったあと、「この前お客さんに乳がでかいねーとか言われてむかついた。セクハラだよね」と言っていた。

そうなのである。相手によって違うのだ。人によってはセクシャルな話をしても大丈夫。人によっては少しも許さない。下ネタの話は、純然たる意味で、話題の善悪について語られるものではない。実は人間の関係性と、ATフィールドの内にいるのか、外にいるのかを判断できるかどうかなのだ。

ちなみに、若いころモテた人のほうがセクハラと言われることが多いと聞いたことがある。若くてかっこいいときは、自然とATフィールドの内側にいたのだが、加齢とともに、自分でも知らないうちにフィールドの外側に立たされていたということを表しているのだろう。

売文の話がしたかったのに、話が逸れたのでこのへんにしよう。


僕の自伝
今日は短めに。
仮面ライダーに憧れると同時に、工事のおじさん、学者さん、運転手などにもなりたがっていたと母に聞いた。

運転手にはなれた。技術と経験はそこそこだが、素人には絶対に負けない立派なプロドライバーである。狭い場所への駐車もお手の物で、左右1cmくらい空いていれば車庫入れ可能である。

学者もすんでのところまでいった。博士号をとっていないし、研究職に就いたわけではないが、大学院生として、巨人の肩の上に立とうとしていた。

工事のおじさんはよくわからないのだが、恐らく作業者に憧れたところがあるのだろう。売文稼業をしているとなかなか大きな作業をすることがないのだが、一度作業に入ると妙な気持ちよさを感じて延々と継続してしまうことがある。

物書きになりたいと思ったのはもう少しあとのことだ。

僕は、いわゆる地頭がいいタイプではあったと思う。しかし、成長は極端に遅かった。自分の心と体が制御できて思うように動けるようになったのは、30歳くらいである。逆に言うとそこまでは、出来損ないの状態であり、社会で生きていくだけの基礎能力が足りていなかった。

だから、ヒーローにもなれなかった。

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