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好きだったゲームが終わる話
私の青春は9/28に突然終わりを告げました。
もう長いことしていなかったので、サービス終了すると聞いた時は特別な感情は湧きませんでした。
しかし実際に終わりを目にすると非常に寂しいものがあります。
こんなに思い入れのあるゲームは後にも先にもないかもしれません。
かのゲームを一番やっていたのは高校生の頃だったように思います。
今ではすっかり輝きという言葉が失われた毎日ですが、ゲームをしていた頃は本当に綺麗に輝いていました。まるで初夏の朝のような、柔らかい、けれども鮮烈な輝きでした。
ゲームを始めたのは中学3年生。もう11年も昔になります。
始めたきっかけは気になっていた男の子に誘われたから。他にも誘われたクラスメートが何人かいたので、グループを作ってよく遊びました。
朝みんなで登校し、みんなで授業を受け、みんなでお昼を食べ、みんなで午後の授業でサボる(寝る)。放課後は各々部活が終わってからゲームに集合。みんなで夜更かしして、みんなで遅刻しました。
土日なんかはずっとパソコンに張り付いていたような気がします。
弟と遊んだり、部活に行ったり、ご飯やお風呂に行ったりする以外はずっとみんなでゲームをしていました。
今から思えば、かのゲームは私と青春を駆け抜けてくれたように感じます。かのゲームは楽しかった学生生活をより楽しいものにしてくれました。
かのゲームは私から様々なものを奪い、そして様々なものを与えてくれました。
奪われたものは時間と、視力と、弟からの親愛の情。
視力などは1.0近くあったものが0.0幾つになり、眼鏡をかけなければ行けなくなるほどでした。
与えてくれたのは思い出と、それと将来の夢です。
私は昔から理数系と社会科が得意でしたので、テスト期間にみんなでゲームをする時によく勉強を教えていました。
そのお陰か(殆どみんなの努力の賜物ですが)、私たちのグループは軒並み社会科の成績がよく、少々授業中に寝ても許されるくらいにはなりました。
教えることと、教えた人ができるようになることの喜びを知ったのはこの頃です。教師を目指した原体験といっても過言ではありません。
また、ある時ゲームに誘ってくれた男の子から「お前は才能があるから教師になるといい」と言われました。この言葉は私に教師を目指させるのに十分な言葉で、半分呪いのような言葉でした。
事実、この言葉のお陰で病気や精神の摩耗など紆余曲折ありながらも教職課程を満了しましたし、新卒で教師になれなくても諦めることなく仕事をしながら採用試験の勉強を続けることができました。
これはあの男の子が私にかけた呪いの成果に他なりません。
彼らがいなかったら、かのゲームがなかったら、今の私は教壇に立っていなかったでしょう。やりたくもない仕事を毎日繰り返し、休日は死んだように眠る生活を送っていたでしょう。……今も半分はそうですが。
私にとって彼らは恩人です。彼らと長く接する機会をくれたかのゲームには感謝しかありません。
……高校2年生の頃にチームは痴情のもつれで散り散りになってしまったけど。原因は私ではないにせよ、ある種当事者でしたので、後味が悪い終わりになりました。
しかし、ゲームのタイトルを聞くとこの頃が真っ先に思い出されるくらい、私にとって楽しく、大切な時間だったのは間違いありません。
当時の思い出をもっと語りたいところですが、長くなってしまうのでここまでにします。
社会人になってからめっきりすることがなくなってしまったゲームは、私の知らない間にサービスを終了しました。
私の青春は私が気付くことなく終わりを迎えてしまったのです。
月並みな表現ですが、胸にぽっかり穴が開いたような気持ちです。喪失感とはこのようなことをいうのでしょう。
皆さん。万物はいずれなくなります、どのような形であれ。
今楽しんでいるゲームも、娯楽も、いつかできなくなります。その日はきっと来ます。
できる内に、楽しめる内に、後悔がないよう目一杯楽しんでください。
皆さんが私と同じような悲しみに苛まれないよう祈ります。
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