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軽度のうつ病でもたくさんの心配をしてもらえるのが羨ましかったという話

ときどき見ているYouTuberが軽度のうつ病になったと動画を出していた。軽度でもうつ病はうつ病だから色々つらいんだろうなという気持ちと、こんなに画角をこだわって動画を撮れる気力があっていいなぁと思ってしまう自分がいた。

自分のほうがつらいと思う気持ちがあるんだなぁと嫌な気持ちになった。つらさは人と比べられるものじゃないとわかっている。でも、自分よりできることが多いように思えてしまって、くだらない比較をしてしまう。

数日後には買い物に行ったり、食事を自分で用意していたりで本当にうつ病なのかなと思ってしまった。
コメントには”ゆっくりしてください”とか”頑張り屋さんだから無理しないで”とか励ましの言葉がたくさんあった。

正直羨ましいと思った。

自分がうつ病になったとき、夫にさえ心配されず死にたくてたまらなかった。自分のつらさをわかってくれる人がいなかった。

今は家族が自分のつらさを理解してくれるようになったので、さみしさみたいのはなくなったけど、過去の自分が惨めに思えてしまった。

見る動画は厳選しないといけないなと思った。自分を守るために。ワタシはどうしても人と比較してしまうようだから、同じうつ病でつらい想いをしている人の投稿は見ないようにしよう。

Xを見なくなったのも同じような理由だった。どうしても引っ張られるし、つらさのマウント合戦みたいに思えてしまってやめた。そんな風に思う自分も嫌になるしね。

それでも、自分の心の中だけなら比較しようが別にええやろとも思う。直接本人にワタシのほうがつらいと言うのはアカン。そもそも、つらさの基準も種類も人によって違うから。

でも、心の中で思うのは自由。それで自分のことを労わってあげられるならええんちゃうかなと思ったよ。

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