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終わりゆく人へ

はじめに

彼の言葉を聞いた7/2から、ずっと同じような事ばかり考えてしまっていた。考えるのはやめようなどと思ったこともあったが、このまま思考を諦めてしまうと、思考停止でただ悲しんでいつか忘れるだけになってしまうと感じた。
その姿勢は、思考と言語をもって世界の定義を書き換えた黛灰という存在に対しての敬意も何もないように感じた為、せめて自分の思考に一つの結論を付けることを決めた。

このテキストは、堂々巡りな思考を止める為に、思考のログを付けたものだ。
正直なところ殆どはオタクがどうにか現実を飲み込む為に過去を振り返るような自語りだが、私の稚拙な回顧録が誰かの思考整理のピースとなればと思い公開させていただきたい。

本文

さて、何から書くべきか。と思ったが、やはり出会いから書くのが定石だろう。
私が彼と出会ったのは2020年の秋だった。
少し前ににじさんじ所属のとある悪魔にハマり、切り抜きを漁っていた中、誤タップで10万人凸待ちの切り抜きに出会ってしまったのが初めだった。
すぐにブラウザバックしようと思っていたはずなのに、気づけばその切り抜きを最後まで見終えていた。

そこから、「黛」の読みを知った。切り抜きを漁った。「かい」では変換に出ないことを知った。「まゆずみはい」で変換するようになった。彼の人となりを知った。彼の始まりを知った。彼の感性を知った。彼の笑顔を知った。彼の住む世界を知った。彼の抱える"物語"を知った。

私はいつの間にか、彼の虜になっていた。

その後、私はリアルタイムで物語を経験した。

地方に住んでいた私は、有志による配信越しに彼が現実へ干渉する様を見た。

現実と虚像の境界が曖昧になるような感覚は、それまで味わったことのない物で、畏怖のような思いが強かったように思う。

あなたの居ない1か月で、貴方という存在の大きさを改めて実感した。

その後、投票があった。

私は結局、票を投じなかった。
後悔はしていない。私の一票が無かったことで迎えた3つ目のエンディングなら、それも悪くないと思う。


彼と迎えた7月は、美しかった。

大会に出たいと言った。企画をしたいと言った。バーチャルである利点を最大限に生かしたいと言った。

嬉しかった。

物語が終わり、エンドロールが流れた後に続く、フィルムの終端の向こうにある平凡な人生を観測させてくれるというのだ。

それから、彼は宣言通りに目標を叶えていった。

「あの伝説」
彼の新しい始まりを象徴するような大会だった。
最終試合チャンピオンで総合成績14位から表彰台まで上り詰めたあの様は、伝説と呼ぶ他無い。

「デマばっか」
企画をしたいと言って早速叶えてくれた。
淡々と出まかせだけで進んでいく会話と困惑する周囲という構図は、あなたの好きな「シュールな笑い」の完成形だろう。これこそがあなただ。

「えぺまつり」
タメ口でコメント欄が荒れる様子は、アーカイブでしか知らない初期の彼とそれを取り巻く環境を見ているようで、見ていてとても楽しかった。
最終的にはコメントが落ち着いていたことは、あなたがとても魅力的な人間である証左のように感じた。

12月。彼は活動を休止した。

2月。復帰した彼は以前より精力的に見えた。
今思えば「そういう事」だったのだろう。

「メッシャーズ:Rev」
過去現在未来全てを見て。懸命に食らいついた彼らはあまりにも眩しかった。
きっと絆とはああいう物を指して言う。

「ふわぐさライブ」
親友枠。あまりにもデカすぎた。
黛灰が「黛灰らしさ」を保ったままステージに立つ姿をまさか見れるとは思っていなかった。
彼に。そして彼らに。精一杯の感謝を。


そして7/2。
彼は自らの終了を宣言した。

告知が出たときから、薄々そんな気はしていた。
もっと言えば、「6月は懐かしいコラボが多い」と言ったあのときから。同窓会配信に見せたあの揺らぎから。
もっと言えば2月の復帰直後から。
薄々そんな気がしていた。

それなのに私は見ないふりをした。
全て悪い夢だと振り払った。

そんなこんなでこんなつまらない回想とつまらない後悔をnoteに吐き出している。

どうしようもない現実を直視して居ると、「どうしようもない」というのが結論のような気がしてきた。
否、そもそもどうにかなんて出来るはずがない。我々は悔しさと寂しさに身を窶すしかない。VTuberとリスナーの距離感とはそういう物だ。彼は一時的にその壁を飛び越えてこちらと近づいたが、結局彼がVTuberである以上本質は変わらない。
本来我々に選択する権利などない。与えられる物はいつだって結果だ。それが当たり前だ。
心の整理をつけたいなんて言葉も、本当はすべて嘘なのかもしれない。そうだ。あの人が言っていたように、結局は感傷に浸りきった自分を見せたいだけなのかもしれない。

どうしようもないんだ。
あなたは消える。
それが架空に生きる者の当然の終わりだ。

黛灰はバーチャルで生きているなんて綺麗事を言わないでくれ。
そんな嘘をつかないでくれ。
ここで黛灰の人生は幕を閉じるとはっきり言ってくれ。

最期に優しさを見せないでくれ。


そうでなければいつまでも亡霊に縋ってしまう。

..........

..............................

.....................................................................................…

違う。

黛灰が、自分の住む世界を自分にとっての現実であると定義し、その現実で生きていくと宣言したあの日から。我々の住まうメタフィクションとは違った、彼にとってのメタフィクションが始まった。その世界では、彼は絶対に生きている。誰にも侵せない聖域だ。彼がプレイヤーの意思で動くバーチャルであることは、キャラクターであることは、ガワであることは、ロールプレイであることは、茶番劇であることは、我々の世界からの見え方でしかない。彼が彼として彼の世界に立つ限り、そこには彼の意思しか存在しない。

彼は優しい人間だが、優しさで事実を歪めるような人間ではない。事実誤認も甚だしい。彼が見ているのはいつだって現実だ。そこに世界の隔たりがあっても、彼がそう定義した以上、彼の世界が彼にとっての現実であることは揺らぎない真実となる。彼が生きると宣言したならば、物語の末に生まれたメタフィクションの向こう側で、彼は、彼の現実で生き続けるのだ。
彼のVTuberとしての生の終わりをそのまま彼自身の死とするのは、彼と彼の物語に対する冒涜だ。

彼は生きつづける。

正気に戻ったらしい。

彼が現実と定義した場所で彼が生きていくなら、彼は生きているのだ。

それはあなたの生命の証明だ。

ただ、それでも。

あなたをもっと観測していたかった。

マリカ杯の待機画面で遊んでいる姿を見たかった。

正座でローションの上を滑っていき静かにプールへ落ちる姿を見たかった。

悪態を垂れながら背中を預けあう姿をもっと見たかった。

仲間と本気で大会に臨む姿をもっと見たかった。

気の置けない友人とくだらない話で笑う様をもっと見たかった。

願わくば、同期でステージに立つ姿を見たかった。

あなたの深い深い思考のその片鱗を覗けるような静かな雑談をもっと聞いていたかった。

深夜に謎ゲーをしている様をずっと見ていたかった。

歌も踊りも出来なくても、あなたは表現者だった。

あなたを見つめてきた過去を思い出す。

悲しい事も決して少なくなかった筈なのに、思い返すと楽しい事ばかりが想起される。

楽しかった。悲しかった。辛かった。嬉しかった。楽しかった。楽しかった。楽しかった。楽しかった。楽しかった。

否。違う。それは過去形ではない。それは現在進行形だ。
あなたと共にした感情は、今も私の中で生き続けている。
あなたと共にした過去は、今の私を形作っている。

それは、あなたが有限ではない証明ではないだろうか。

そうだ。生は無限だ。
架空であれども、生きる世界が違えども。
たとえあなたが忘れ去られても、あなたの生み出したものが全て消えても、あなたの生きた記録が全て消えても。あなたという生命が与えた影響は永遠に消えない。
百年先。あなたに影響を受けた人間の全てが死んでも、あなたに影響を受けた人間は、きっとまた誰かに影響を与えている。あなたは、そうやって脈々と繋がっていく"人間性"に生きるのだ。
あなたが死ぬが、あなたは永遠だ。


拝啓 永遠のあなたへ。

あなたと共に、新しいあなたと出会えない事は。やっぱり寂しいけど。

あなたが、最後まであなたを貫くためにその生を終えるなら。

その強さは、あなたの永続性をなによりも証明するのだろう。

これからの黛灰に、幸多からんことを。

敬具
2022年7月7日 リスナーA


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