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「なぜ」2023年7月5日

ずっと社会の授業を受けていたような1日だった。
社会ついて考える日。こういう日は自分の心にある程度の余裕がある日だ、結構珍しい。なので、時間は無いけどとりあえずnoteを更新してみることにする。

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怪物


映画『怪物』を観た。

この予告編、映画を観た後でも何度も見返してしまう。ネタバレ気にせず書くので注意。

まず、何よりもリアリティ。
一人の個人としての人間がそこにはいた、フィクションなのにも関わらず、この圧倒的な現実は映画だからこそ出来ることだと感じた。最近は、アニメなどのポップカルチャーばかりを吸収していた人間からしたら尚更だった。

それなのにも関わらず、感情が大きく揺さぶられるような演出、先の見えない展開など、エンタメとして楽しめる部分も丁度良い具合、最適なバランスで組み込まれていた。
2時間で映画としても比較的長編なのにも関わらず、ファスト世代とも言われている私でも、最後まで全く飽きずに観ることが出来た。むしろ、一瞬のように感じた。

各俳優の演技は言うまでも無く、加えて特に関心を受けたのは登場人物各々の生活環境だった。この作り込まれたセットは作品のリアリティに大きく貢献しただろう。

主人公、湊のいる母子家庭である麦野家は、母親が忙しなく整理整頓を行う余裕が無いからか、全体的にごちゃごちゃしている。加えて、部屋中に湊の図工か何かで制作した成果物が至る所に飾られていることからも、母親が如何に息子想いなのかも読み取れた。
しかし、同じ主人公格である依里のいる星川家は、その小綺麗な一軒家も去ることながら、気持ちが悪い程までに整理整頓されてた。私はその環境に映画の序盤から直感で恐怖を抱いていたが、それは後半で依里の家庭環境について暴かれてからより一層顕著になった。
また、教師保利は、彼の人間性が描かれてから生活環境が登場した為、素直に「そうだよなぁ」と思えた。書籍、書類で散乱した室内、彼自身を象徴するように中心に配置されている金魚、その二つのギャップは彼の独特な人間性を現していた。
また、舞台である長野県諏訪市も印象深い。俯瞰して見ると日本人の抱く「美しい日本」を象徴するような場所だが、住宅街などは東京都郊外も含めた地方郊外と何も変わらない。

鑑賞を通して、現代日本の諸問題について考えた。
ただ、作中で描かれていたのは一人の人間に降りかかる葛藤と現実の不条理の中で起きた事実。その諸問題が作中で直接描写されていた訳では無く、鑑賞中、鑑賞後に自身で咀嚼して経験に当てはめ、そこから考える。それを行うことが出来るほどまでにリアリティのある脚本だった。

取り上げられる問題も、まさに今の、現代日本を象徴するものだった。具体的に言えば、家庭、自己犠牲精神、いじめ、ジェンダー……etc.
直接ではかなり際どい、難しい内容を、人と人との関係性、認識の齟齬など、善悪などわかりやすい指標から逸脱して描いていたことに感銘を受けた。
それがあまりに優れいていて、その驚きが故に泣くことは無かった。ただ、湊が母親の手を握るシーンと、ラストシーンでは泣きそうになった。久しぶりに感情の大きな揺さぶりから涙が出そうになった。

また、作品の真髄に関わる各々の諸問題への答え、結論をあて描写しないというところについて。私は鑑賞直後、あのカタルシスを一気に解放するラストシーンを経ても違和感や取っ掛かりのようなものを感じていた。しかし、鑑賞後改めてストーリーを振り返りると、その違和感や取っ掛かりも含めて自然と飲み込むことが出来た。それに加えて、一つの映画としては描き損ない、描き過ぎは一切ないことに気付き、改めてその脚本に感銘を受けた。

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感想書いただけで疲れちゃった!
また明日。

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