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刃物専門編集者の憂鬱 その14 『日本のカスタムナイフ年代記』、できました。

巻頭言の文章を文字数を気にせずにアレンジしました


 僕がナイフの世界と関わりを持つようになったのは、1996(平成8)年にとある出版社に入って、『ナイフマガジン』という雑誌の編集に携わるようになって以来である。

 以前も書いたが、それまでの僕はナイフはもとより、刃物を持ったことすら、義務教育時代の家庭科や図工の時間くらいしかなかった。
 要するに全くの門外漢である。
 そんな若造を、刃物の業界の人たちはとても温かく迎え入れてくれた。

 彼らの話を伺っていると、ともすれば危険なイメージもある「ナイフ」の本来持っている魅力を、少しでも多くの人に健全に伝えたい、という思いがひしひしと伝わってきた。
 彼らの言葉から『浅沼事件』に端を発する刃物追放運動を知り、刃物がいかに人々の生活から遠ざけられてきたか、自分のここまでを振り返って実感したものである。
 一流品も、たっぷりと見せていただいた。英才教育である。
 山ほど家庭教師をつけられたボンクラ息子の体で、僕は、実用性と芸術性が高いレベルで共存するカスタムナイフ、すなわち作家もののナイフの良さを、少しずつ理解していくようになった。
 ありがたいことである。
 
 そんな、奥行きのある世界を見せてくれた人々は、「あの頃」のことになると、一様に、本当に一様に、楽しそうな顔になって、さまざまなエピソードを語ってくれた。
 初めてアメリカのカスタムナイフをみた時の衝撃、仲間内で乏しい情報を交換し合った時の話、アメリカのナイフショーに行って散々な目に遭った話、R.W.ラブレスとの邂逅…。
「危険なもの」「不良の持ち物」だった「ナイフ」が、世間からも真っ当に評価される。
 話を伺っているだけで、その喜びの質や大きさが、形あるもののように、眼前に浮かんできた。

 そして、それらはいずれもカスタムナイフという専門的な分野の話でありながら、昭和の日本文化の盛り上がりと成熟の過程を、生き生きと描き出しているように感じた。
 さらに言えば、それらはいずれも真摯で、可笑しみや哀しみも混ざり合った、すべての人の営みに共通する「なるまで」のものがたりのように感じた。

 だからだろう。聞くのが、楽しくて仕方がなかった。

 きらぼしを集めていくかのような貴重なひとときを、幾度も、幾度も過ごしながら、僕はいつしか「あの頃」の話を彼らの言葉で記録した本を出したいと思うようになった。

 今回の本は、2020(令和2)年以降、ホビージャパン社から出版された幾つかのナイフの本で掲載した原稿をベースに、新たなインタビューを加え、緩やかな流れを持った”ものがたり”として構成した。

 登場した方々のほかにも、当時をよく知る人は大勢いる。
 正直、あの人にも、この人にも、お話を伺いたかった、という思いも強い。もちろん、いずれ機会を見つけて彼らからもお話をお伺いしたい。
 だが、この本は、僕がお世話になってきた「刃物業界」という分野で「カスタムナイフ」のブームを牽引したコアメンバーとも言える方々のお話で構成させていただいた。
 
 監修は銀座菊秀の井上武さんにお願いした。
 お会いした最初の時から、穏やかな口調と圧倒的かつ豊富な知識で、根気よくナイフ、そして刃物の歴史を教えてくださった方である。

 井上さんに加え、この本でお話を伺った、岡安一男さん、相田義人さん、相田義正さん、加藤清志さん、赤津孝夫さん(本編ご登場順)には、この場を借りて、深く感謝したい。

 彼らに加え、そのお話に登場した方々、そしてすべての始まりとも言える故R.W.ラブレスが、それぞれの志を持って尽力したことで、日本のカスタムナイフの世界は大きく前に進んだ。その恩恵を被る一人として、彼らにも、深く感謝したい。

 そして、もう一人。僕がフリーランスになってからずっと、刃物に関する本を出す機会をつくり続けてくれただけでなく、一緒になって考え、ブレークスルーを生み出し続けてきてくれた編集長の渡辺干年さんにも、精一杯の感謝を捧げたい。


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