刃物専門編集者の憂鬱 その19「作家インタビュー: 伊藤飛翔」
こんにちは。「編集者&ライターときどき作家」の服部夏生と申します。
肩書きそのままに、いろいろな仕事をさせていただいているのですが、ちょっと珍しい「刃物専門編集者」としての日々を、あれこれ書いていこうと思います。
今回は「JKGナイフコンテスト」2023年の大賞を受賞した新進作家・伊藤飛翔さんのお宅を訪問して、お伺いした話です。
「JKGナイフコンテスト」2023年大賞を受賞した新進作家
「羊蹄山ってでかいんですねえ」
筆者のなんの捻りもない倶知安の第一印象に、伊藤飛翔さんはそうですねえ、と笑って話を合わせてくれてくれた。
昨年(2023年)の10月のことである。
その時点では公表されていなかったが、9月末に開かれた「JKGナイフコンテスト」の審査会で、伊藤さんの「クリスタルパレス」が大賞を獲得していた。
以前から彼の手がける作品に興味があった筆者としては、大賞受賞を機会に、ぜひとも北海道の倶知安町にある彼の工房兼ご自宅に伺ってみたいと考えていた。すると、実にタイミングよく、札幌での仕事が入った。
早速、伊藤さんに連絡を取って、双方の都合がつく日に、札幌からレンタカーで2時間ほど走って、やって来たのである。
倶知安は、街の中心部にさまざまな施設が集中し、周辺に野球場などのレクリエーション施設、博物館などの文化施設が広がっていた。いわゆるコンパクトシティを地でいく、いかにも住み心地の良さそうな街の周りには、羊蹄山をはじめとする雄大な自然が広がる。
いい街だな、と感じた。
生まれも育ちもここなんで、あんまり他との違いはわからないですけど、と話す伊藤さんも、ニセコのスキー場も近いし、確かにここに住む人たちは、当たり前のように自然の恩恵を受けている。うん、いい街だと思います、と、筆者の考えをあくまでもやわらかく肯定してくれた。
あたたかい人だな、と思った。
欧米文化を下支えしてきたポケットナイフという道具
伊藤さんが大賞を受賞した作品は、ナイフの中でもポケットナイフに分類される。
ここで言うポケットナイフとは、ヴィンテージスタイルの折りたたみナイフである。
その元祖は、産業革命前後の欧州にまで遡る。まさにポケットに納められるくらいの小型サイズで、汎用ナイフとして使われてきた。
要するに身の回りの用を足すための道具である。
道具としての重要度としては、現代におけるスマートフォンくらいだったと思う。あくまで私見だが、実に多種多様なモデルが存在することは、多くの人たちに不可欠な道具として重用されてきた証ともなるであろう。
ブレードやハンドルの形状、併せて搭載されるサブツールの数、種類の組み合わせは無数にある。ポケットナイフ百科事典の決定版とも言える ”Levine's Guide to Knives and Their Values” を眺めているだけで、往時の欧米の人々の暮らしぶりが見えてくるような気がして、想像がどこまでも膨らんでいくのである。
用途のみならず、グレードを変えたモデルも数多く生み出されてきた。誰もが手にできる普及モデルの一方でハイエンドモデルも登場した。
世界的な刃物産地として産業革命前後に栄華をほしいままにしたイギリスの都市、シェフィールドで作られた多徳ナイフである。
断言するが、そのトップは、各メーカーの展示用モデルとされる「エキシビションナイフ」になる。
中でも1851年にロンドンのハイドパークに設けられたクリスタルパレスで開催されたロンドン万国博覧会(Great Exhibition of the Works of Industry of All Nations)で展示されたモデルは至高とされており、シェフィールドスタイルのハイエンドモデルは、正式には別の名称があっても、推しなべて「クリスタルパレス」と呼ぶことが多い。
少々ややこしくなったが、クリスタルパレスと総称されるエキシビションナイフは、有史以来生まれてきた『ナイフ』全体のマスターピースのひとつと言って良いだろう。
筆者はものを知らないので、うまく例えを出せないが、パテック フィリップの懐中時計とか楽や真葛に代表される京焼の茶碗とかに匹敵するんじゃないか、と思っている。
少々乱暴なカテゴライズであることをあらかじめ断っておくが、懐中時計も京焼も、世間からの多大な需要に応えるため職人たちが作ってきた工業製品である。ゆえに作家性はほぼ必要とされていない。
にもかかわらずそれらの中でも最高級の製品からは、抑えようもない個性が滲み出てしまっている。作家性と呼ぶか、ブランド力と呼ぶかは、捉える人たちによって異なってくるだろうが、ともかく、それらは極めて高い属人性によって創出されたプロダクトである。
伊藤さんは、そんな「クリスタルパレス」を現代に甦らせようとして、一言で言えば「成功」させているのである。
すごいことである。
倶知安に向かったのは、彼が暮らす地で話を聞くことで、そんな作品を生み出す素地のようなものを窺い知ることができれば、と思ったからだ。
パイオニア的存在の作家に託された「クリスタルパレス」
「これで倉本さんに、幾分か恩返しができるなって」
受賞を知って最初に浮かんだ思いを、そう振り返りながら、伊藤さんはファイルや小物入れのボックスを何冊も持ち出してくれた。
それらは、宝石のようなポケットナイフの資料だった。往年のシェフィールドを代表するメーカーであるジョセフ・ロジャース&サンズや、ジョージ・ウォステンホルム、さらにはドイツ系ポケットナイフの最高峰、レミントン(詳細はとてもじゃないが語りきれないので割愛)のカタログのコピー、日本を代表するポケットナイフ作家、川村龍市さんがまとめた制作の虎の巻、それらをベースに自らCADで描いた図面…。2階の仕事部屋には洋書も並べられる。
清潔でよく手入れされている一軒家は、19世紀のイギリス貴族が使っていたような重厚な調度品で飾り立てられてはいなかった。だが、分厚いファイルを一枚ずつめくっていく伊藤さんの頭の中には、ポケットナイフが日常に欠かせない道具として使われていた頃の欧米の世界が広がっていることは、はっきりと理解できた。
資料類の中で伊藤さんがひときわ大事そうに取り出したものが「クリスタルパレス」の図面とパーツ類だった。
「つくりかけのクリスタルパレスのパーツがあるから、それを君に託すよって図面と一緒に倉本さんが送ってきてくださったんです」
以前の記事でもご紹介したが、伊藤さんがフォールダーを作り出してほどなく、SNSで繋がった大渕 勲さんや松﨑 猛さんといった『九州のナイフ作家』たちが声をかけてきた。
彼らはシェフィールドスタイルの多徳ナイフを得意とする作家で、米アトランタの「ブレードショー」で受賞を果たすなど、軒並み高い評価を世界で得てきた。
ハードルは高い上に量産も効かない。ややもすると時代に逆行するようなジャンルで切磋琢磨を続けてきた彼らにとって、若いポケットナイフの作り手が登場したことが、どれほど嬉しかっただろう。その喜びを体現するかのように、彼らは倉本俊文さんを伊藤さんに紹介した。独自にシェフィールドナイフを研究し、世界的な評価を得るに至った人物であり、前述した九州のナイフ作家たちにとっては、先達とも言うべき存在である。
「倉本さんがすごい実績を持っていることは知っていたので、失礼があってはいけないと、できるだけの資料を揃えて、お電話したんです。恐る恐るですよ」
その電話で、倉本さんは前述のようにパーツと図面を託すと言い、本当に送ってきてくれた。
これがあったから、僕もどうにか制作できたんです。想像よりもずっと手間も時間もかかってしまいましたけど。
伊藤さんは、今も大切にしまっているそれらを前に話す。
「倉本さんにお見せしたところが、僕にとって本当にこの作品が『完成』する瞬間なのだと考えています」
他では感じられなかったものづくりの醍醐味
「最初の1本は、川釣りで使うためにつくりました。ラブレスタイプのレプリカでした」
小さい頃からものづくりは好きで、釣り用のタモ網などを自作してきた。どれもそれなりにつくり上げることはできた。自作した道具を自分で使う。それで満足していた。
だが、ナイフメイキングは「つくって使う」だけには止まらない魅力があった。制作そのものに面白さを感じ、文献やインターネットを使って、必要なものを揃えていった。
「1本目はネットショッピングでヤスリとボール盤を手に入れて始めましたが、そこからはナイフを作るための作業環境づくりをはじめました。2年くらいかかりましたね」
ベルトグラインダー、バンドソー、フライス盤、リューターといった電動工具を時間をかけて買い揃えていった。自分のペースで進める、と決めていたから、時間がかかることは苦にならなかった。設計図は、雲型定規などもつくった手書きも試した上で、本業で習得したCADを使う方法で描くことにした。
制作意欲を刺激するようなモデルをたくさん見つけたい、とナイフそのものについても調べていった。その結果行き着いたのが、ポケットナイフだった。
スタッグ(鹿の角)やアイボリー(象牙)、ジグボーン(動物の骨に掘り込みを入れたもの)をはじめとする天然素材を使ったハンドルと炭素鋼の組み合わせ。ハンティングなどのタフな用途のモデルでも、優美さを保ったシルエット。
鋼材や構造の進化著しいモダンフォールダーが世界を席巻する時代の流れに逆行するかのように、手仕事の痕跡や作り手の息遣いが感じ取れる「人間くささ」に魅力を感じた。
その思いと制作へのモチベーションが現在まで続いている。
後世に受け継がれるマスターピースの作り手
「自分がつくりたい作品を、自分のペースでつくり続けていきたいんです」
いつかはどんなオーダーにも対応できる作家になりたい、という思いはある。だが、本業にもやりがいを感じているから、ナイフを専業にすることは考えてはいない。『クリスタルパレス』は再び制作する予定はない。知れば知るほど、ブラッシュアップしていくべき部分が見つかるし、新たに挑戦したいことが出てくる。多徳ナイフを制作することで得た知見を活かして、新たな作品に取り掛かることにより興味があるーー。
訥々と言葉を重ねていく伊藤さんは、純粋に作品のクオリティを上げていきたい、という思いを強く抱いているのである。そんな彼にとって「JKGナイフコンテスト」に応募し、大賞を受賞したことの大きな収穫のひとつが、人とのつながりが増えたことだという。
「多くの方々とお会いして貴重なお話やアドバイスをいただいています。古川四郎さんの工房にもお邪魔して、色々なことを勉強させていただきました」
世界最高峰のナイフ作家のひとり、古川四郎さんのもとでは、彼がシェフィールド最後のリトルメスター(Little Mester:同地でひときわ腕のいいナイフ職人に与えられる称号)から伝授された独自の技法などを学べたという。
「コンテストは自分の作品を発表する絶好の機会です。多くの方々に見ていただくことで、ナイフメイキングに限らず、ものづくりの奥深い世界に目を向けさせていただくような出会いにも恵まれるのではと思います。メイキングをされている方々は、ぜひ一度、応募してみることをお勧めします」
伊藤さんの作品を見て心を動かされた人たちはほぼ一様に、何か力になれることはないか、と彼に声をかける。実際、取材の際にも「お世話になった方々」として、実に多くの先輩作家やディーラー、刃物愛好家たちの名前が挙がった。
彼らからの申し出を素直に受け止め、自身の制作に活かしていくところが、まさに伊藤さんを伊藤さんたらしめる柔軟さであり、人柄なのだろう。
先人の知見を活かして、自分だけが生み出せる作品をつくり続けていく。
そんな作家の作品はたとえ寡作であろうとも、1作ごとによく観察すれば、随所に技術的進歩が見えてくるはずだし、さらには歴史や先達たちへの敬意と、本人の「ここまで」が見えてくるはずである。
隠しきれない作り手の思いが滲み出てくるものに、人は作家性を見出して心ゆくまで楽しむ。込められた「思い」がひときわ深い作品は、いつしか人々から『マスターピース』と呼ばれるようになる。
「いつか、倶知安に生まれ育った自分だからこそつくれるような、特別なナイフを生み出したいんですよ」
すっかり日も暮れてご自宅を辞するとき、それまでの話をまとめるかのように伊藤さんはそう語った。
伝統を引き継いだ人々によって、時計や茶碗の名作が今も生み出され続けているように、彼の手から時代を超えたマスターピースが生まれる日が、必ずくる。
筆者は、その日を楽しみに待とうと思う。
おわりに
冒頭でもご紹介したように今年も「第39回JKGナイフコンテスト」が開催される。
審査員の末席を汚すものとしても、ぜひとも多くの方々に応募していただきたい。
ちなみに昨年と同様に「SNSで作成過程等掲載していただいてもかまいません」
とのこと。それらはここでも昨年同様にまとめてご紹介していこうと思う。
2024年9月1日 ~9月10日必着。
改めて、我こそはと思う方はぜひご応募いただきたい。
フォローよろしくお願いいたします!!