刃物専門編集者の憂鬱 番外編「インタビュー:オールニッポンナイフショー2024 編」
こんにちは。「編集者&ライターときどき作家」の服部夏生と申します。
肩書きそのままに、いろいろな仕事をさせていただいているのですが、ちょっと珍しい「刃物専門編集者」としての日々を、あれこれ書いていこうと思います。
ショーの運営に携わってきた功労者を訪ねる
2024年のオールニッポンナイフショーの開催前日、僕はショーの運営を中心になって行ってきているナイフ作家、雅刀さんのご自宅を訪問した。
表向きの要件は、僕が昔、編集に携わっていた雑誌のバックナンバーを揃いでいただくことである。
大きな声で言えないのだが、僕、会社辞める時に資料室に置いてきちゃったのである、ナイマガ一式を。だから、いただけることは、とっても、とってもありがたいことだった。
だが、僕の本当の目的は、雅刀さんの仕事場を拝見して、お話を伺うことだった。
「30年くらいかけて、少しずつ作り上げたんですよ」
”閑静な住宅街”の見本のような街並みの一角にある雅刀さんのご自宅にお邪魔すると、庭の一隅に工房が設けられていた。中を覗くと、一番奥にフライス盤、両脇にエアコンプレッサーやコンターマシン、入り口近くにベルトグラインダーが設けられている。庭の手前にはバフなどを行う小屋も設けられている。
実に充実した制作環境である。
「最初はボール盤とヤスリだけで作り始めたんです」
そう語る雅刀さん。書店で手にとった『ナイフマガジン 第2号』で興味を持って、DIY量販店に足を運んで、材料を手に入れた。以前からロードバイクを楽しむなど、自分の手を使って工作することには親しんでいたこともあり、気軽に始めることができたという。
少し後に、勤務先で子どもたちがキャンプやアウトドアに親しむためのイベントを担当するようになった。彼らにナイフの使い方を教えるようになって、ますますアウトドアナイフのメイキングにのめり込んでいった。
工具や機械は少しずつ増やしていった。中には先輩たちから譲ってもらったものも多い。
「ナイフメイキングのノウハウも、主に関西の先輩たちに教えていただいてきたんです。皆さん、快く話してくださいました」
そう振り返る雅刀さんは、作家たちとの広く深い人脈を築いていった。オールニッポンナイフショーの運営に関わるようになったのは、豊かな人脈とホスピタリティの精神を見込まれて、関係者たちから頼まれたことがきっかけだった。
「ナイフショーは作家たちにとって、ナイフを販売する場にとどまらず、先輩たちの作品を見たり、話を聞いたりできる貴重な機会。つまり、カスタムナイフの世界を盛り上げていくためには不可欠な存在なんですよ。私自身もショーに参加することで、皆さんとの交流や情報交換ができた。その恩返しの思いもあって、オールニッポンナイフショーのお話を伺った時も、自分ができることがあればやろうと考えたんです」
雅刀さんが所属する三木カスタムナイフナイフギルドの主催で、神戸での開催がスタートしたのが2012年。さまざまな工夫を凝らしながら回を重ねていくと、徐々に人気を得るようになって、今や日本有数のナイフショーにまでなった。
「関わってくださる皆さんのお力でここまでのショーになったと思っています。これからもカスタムナイフの魅力を発信し続けていければと考えています。見にきていただくことは大歓迎ですし、参加に興味のある方は、どうぞ気軽にお声がけください」
そう語る雅刀さん。ショー、ナイフメイキングに興味のある方は三木カスタムナイフギルドの連絡先にアクセスしてみよう。
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