蓋をしたい感情と墓とかの話

母の頬を打ちたい、父が座るちゃぶ台を蹴り上げたい。
ふと、そういう気持ちが疼いて、どうしたらいいかわからない。

とりあえず蓋をする、そうやって時間だけを過ごしていく。
いかん。

色々想いふけった結果、私はあの家に兄の骨壷が未だあって、墓がないことに、そこはかとなく苛立っている気がしてきた。
最初のうちは、子供を亡くした親心を思えば仕方ないと思っていたけれど。だんだんと。


個人的に、子供の命は、その子自身のものであって、親のものではないと思っている。(本当に子供のうちで家族以外に共にいたものがいないなら少し違うかも。)
だからずっと、死後もあの閉鎖した家に、私の兄弟たちの骨があることを暖かく思えない私がいるのだ。生きていた時から、亡くなってからも、正直に言って大切にされていない、って思う。

先日、糸井重里さんのブイヨンちゃんが亡くなった時も、ツイッターで追っていてその悼まれ方が少し羨ましくなってしまうくらいだった。愛されているのがわかる悼まれ方。

うちのあの弔われ方・悼まれ方なら、ない方がマシと思う。
私がもし両親より先に死ぬことがあった時、同じように扱われるのは死んでも嫌だなと、そう思う。

それはきっと”彼らの子供、以外の私”である私の方が、もはや私の中の割合として大きいからもあるのかも。いつまでも家に置いておかないでほしい。
そして、別に全く死後の霊とかを信じてもいないけれど、あの人たちにゆだねたくないと思ってしまう。
それならば、無宗教でも、私はどうあるかどうしてほしいかちゃんと考えておかないといけない。


もやもやした日々。


そこから脱出するために、もう少しそういう話を、ぼーっと考えるのではなく、こう動こうと先に決めて、それに向かって動くようにしてしまえばスッキリするのかもしれないと考える。
そういう部分を具体的に家族と話せばいいのだろう。

そして、この場合はまず墓。
墓のことなんてこの年で考えたくもないけれど。

そんなことを考えながらお墓のサイトなんて見ていたら、あぁここは綺麗だなって、墓場を見つけた。
こういう景色の一部になれたらいいな、みたいな。

んだけど、墓それなりに高いね。
気が滅入るぐらいに。まあ常識的な範囲だけれど。
貯金をちゃんとしないといけない。


しかし、墓。
母方の墓は叔父さん一家が管理するからいいとして。
父方の墓は、最後は私が管理することになる。
幼少の頃に祖母に墓守になってほしいと言われたこともあったけど(思春期の孫にする話でもない)、私はお寺にあるお墓を私の代で締めるつもりである。

締めるつもりだからこそ、去り際というか、上手な終い方みたいなものは考えてしまう。
墓守になってほしいとおばあちゃんが言う墓を閉めるつもりだから(ごめんね、ばあちゃん)こそ、ちゃんと閉めてあげるのは礼儀かな、とか。ただ、墓じまいも簡単に検索をかけただけだけど、100万以上するんだろう。

そう思うと綺麗に収めたり、去るということの難しさを思う。
一言に去ると言っても、蓄えがそれなりにいる。
現実的な部分。
死ぬにも何にもお金がかかる。それが現実。

ただ、そういう物理的なめんどくささも含めて人生ではある、と思う。
貯蓄したり、保険かけたり。
描くもののための、先のための、めんどくささの中の工夫。


私の両親はそういうのを見ようとしないタイプだ。
おとぎ話みたいな。
人形みたいな生活。
現実感からやや遠い。

私は、両親の、その何かがあるまで何かを見ようとしない姿勢が好きでなかった。目の前を見ていない感じ。
子供を持った、家族を持っているのに、あの人たちは刹那的だと思う。
つなげる気がない。

そして私もその素質を十分に引いてしまっている。

現実感からの離人さ。きっと今を見ればやるべきことはたくさんあるのに
少し前の過去と、少し先の未来にばかり目をやって。今にいない。
今を見るならば、今を見せないといけない気がして。
それが憂鬱と言い訳をして、結局今を大切にしない私。

多分、今を見る時にわく感情は、
最初に書いた”頬を打ちたい”とか”ちゃぶ台をひっくり返したい”という感情に近く。

そうすると、やっぱり持て余してしまう。


刹那的に育てられた私は、つなげることが苦手すぎる。
ちゃんと繋げて背負わないといけないのに、難しい。


ただぐるぐると墓の資料請求して、いろいろ考えて気づいたんだけど。
「私が死んだらこの子達の骨を一緒に入れてくれればいい」とか母いってたけど、つーことは、いつか私が4人分合わせてどっかに収めないといけなくなるんじゃないかと思ってちょっと戦慄する。
絶対その分の貯金なんてしてないやろ。それ私が払うんやろ。

やはり両親と少し現実的な話をしないといけないよなぁと
思いながら、曖昧な散文終了。



果ノ子

(まだ考えたくないなあと思うことを、ちゃんと考えていった方がいいなって思う。私はどこまで何をするのか。どう繋がりを持つのか。ちゃんと考えたい。)
(頬を打つほど、近寄るか、そういうのも含めて考えよう。)

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