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野の医者の子供たちは笑えるか

『野の医者は笑う』を読んで生じた、ざわざわぐるぐる

臨床心理学者の東畑開人さん。彼の著書、『野の医者は笑う』を読んだ。
ヒーリング、スピリチュアル、セラピー、その他怪しい治療の諸々。精神医学・臨床心理学とは異なる心の治療が、世の中にはたくさんある。
彼は著書の中で、その治療をする人たちを『野の医者』と呼ぶ。

怪しさを含む、それらの治療。
それを「怪しすぎて良いではないか!」とワクワクしながら、フィールドワークを通して、野の医者とは、その治療とは何かを問うのがこの本だ。
また野の医者を知ることで、臨床心理学とは何かを問う。それが東畑開人さんが書いた『野の医者は笑う』である。

この本を最初に読んだのは2018年の夏。読み終わってすぐ、図書館で彼の他の本も読んだ。面白く読みやすい。他の本のテーマも興味深い。
けれど興味を持つと同時に、私は唸っていた。なんだか眉間にシワが寄る。好きな本だし、人に読んでほしいなと思う本なんだけど、単純に良い本だとも言いたくない感じがあった。

唸りたくなる胸のざわざわ。この言葉にしきれない部分はなんだろう。


本人の講演を聞けば、整理して言語化できるのではないかなどと考えたりして、講演に足を運んでみたりもした。しかし唸りの正体ははっきり見えない。

この2019春、彼の新刊が出た。
買って読む前にこの本で感じたざわざわを言葉にしたいなどと思いつつ、もう夏になってしまった。ときおり本棚からこの本を引っ張り出してパラパラめくっては、ざわざわする。こう、同じところをネコがぐるぐる回ってるような感じ。もしくはmacの回るくるくるした奴になった気分である。ようは思考が進んでいない。

それは最近のしこりになっていた。
言語化できないのが単純にモヤモヤしていや。就活もすすまない(現実逃避!)いっそちゃんと時間を作って一から全部読み直して、感じたことを書き出そう!そう思って描き始めたのが、このnoteである。

ということで、私がなぜ、東畑さんの著書に惹かれつつも、ざわざわグルグルとしているのか。それを解き明かし、ただ私がすっきりするためにこれからの文章を書いていく。

(この記事は以前7回に分けて書いたものを1つにしたものです。25000字ぐらい。無駄に長い。読んだ人以外にもわかるようにを途中で諦めている。読書感想文。)


なぜこの本を読んでざわざわとしているのか

私は本を傍らに、もやもやする気になる箇所をノートに書き出すことにした。文字にすれば、何かインスピレーションが出てくるかもしれない。
そうやって読み進めながら、書き出していく。その中で、一つの気持ちを発見した。

私はたぶん、東畑開人さんに言いたいのだ。
「なんであなたは野の医者とそう笑えるんですか」と。

もっと丁寧に言おう。

あなたは、何故どうして、インチキとも言ってしまえる手法に対して、(例えば呪文のような言葉を患者に向けて発し「大丈夫」と言う医者・子供騙しのような手法・高額なセミナーなど)、臨床心理士として憤らずにいられるのか。
なぜ穏やかに、こんな読んでてワクワクするような(いや本当楽しく読んでます)、そんな楽しそうにしていられるのか。

私はきっと、それらに穏やかにいられない。
私はきっと、私なりに正しいと思うことを彼らに言ってしまいたくなる。苦言を呈したくなる。そういう自分を想像する。

ただ実際は言えなくて、苦虫を噛んだように困った顔で、笑う。微笑む。でも心は穏やかでいられない。

そして、そんな自分を想像すると苦しくなるのだ。
だって、彼らによって誰かの、そして本人たちの心が救われてるのは事実なのに

彼らの関わりで笑えるようになった人がいるのは本当なのに。
私は私の価値観で苦言を言いたくなる。私はその怪しさを受け入れられない。その私の小ささにがっかりする。


そうだ。
私は、本の中の東畑さんの姿に嫉妬している

荒唐無稽な野の医者と真摯に向き合い、裁かず、そして面白がって、交流を深めることができるということ。杞憂なく、怪しさを面白がって飛び込めている感に。

野の医者たちが持つ、「自分たちも医療や学問と同等だ、もしくはそれ以上である」という態度で病者に接する様に、憤らず・理解しようと接することができるであろうことに。それに私は嫉妬しているのだと思う。
「羨ましい」そう思う。

ただ彼が穏やかに野の医者と接する理由をなんとなく考える。
わかってはいる。
まず彼は心の専門家だ。そうではない私と前提が違う。読んでいてわかるように、ユーモアが好きな性格だ。怪しいものが好物だ。
そして書いてないだけで、実際の心の内情はわからないのもわかってる。
そして何よりこれは研究の本である。フィールドワークだ。研究においては主観はありつつも、ニュートラルに見るというのは大切な目線だ。この本は批判ではなく「心の治療とは何か」を問う本だ。
だから、彼は笑うのだ。きっと笑えなければ、この研究はできない。

そう言うことを考えて。もっと考えないといけないことがある。

それは、なぜ、私が笑えないのか。それである。そして、何故羨ましいのか。大切なのはこっちだ。
そう言うことを思いながら、ノートに文字を走らせた。

「野の医者の子供たちは笑えない」
単純にそうだから、私は笑えないのではないか。


野の医者の子供たちは笑えない

完璧にタイトルに乗っかってはいるが、しっくりする言葉が出てきたと思った。

そうだ、そうなのだ。私は野の医者の子供だった。
といってもヒーラー、セラピスト、ユタ。そう呼ばれる、如何にも野の医者な治療者の子供だったわけではない。

本書において、野の医者は

”癒しに関わっていること”
”世紀の科学から外れていること”
 ”病んでいる病むことを生き方にしたひと”
”傷つき 病み その中でその治療と出会い癒され、癒しを行なっている”

など様々な表現で書かれている。
広義の野の医者をこの意味合いの人々とするならば、その意味合いが示す人物像に、私の母はしっくり当てはまる。

そこから見れば、私は野の医者の子供だった。

一人の女性が野の医者になっていく。その横で私は育った。

そしてその野の医者との関わりによって形成されたものを持って、この本を読み、私は野の医者と笑う東畑さんに嫉妬し、野の医者が笑うことの力強さに惹かれつつも、それに反感すら抱いた。
とても複雑な感情があるのはわかっている。
それは一体私のどこから来るのだろうか。

こんがらがっているそれを、言葉にしていってみたい。


野の医者を目指した母

野の医者の子供たちは笑えない、それがこの本を読んで感じたざわざわの根っこにある。

そう感じたので、ならば、まず野の医者である私の母と、その子供の私についての整理をしていくべきかな、と思いながら文字を打っている。

まずは母の話をしよう。

私の母は東北の片田舎の出身だ。
進学とともに都会に出てきて、文学を学び、その後父と結婚する。
そこに生まれたのが私である。子育てのために住み始めた場所で、仲の良いご近所さんができた。
3人のお子さんを育てる育児の先輩Aさんだ。

ある日、Aさんは宗教の勉強を始めたらしい。
母は心配しながらも、一緒に子育てをする中で、楽しそうに勉強する彼女を横で見ていたとのことだ。
私が少し大きくなった時、私たち一家は引越しをする。Aさん一家とは少し離れた場所での生活となった。

近所だったAさんとも離れ、知り合いがいない土地、育児に協力的でない夫。お金にも少し困っていたらしい。在宅でできる仕事をしていた姿を覚えている。まだ携帯もネットもない時代だった。
ある日その家に、Aさんが学んでいた宗教と同じ信者の方が訪問をするようになる。穏やかな肯定的な信者さんの来訪を母はなんとなしに受け入れ、学ぶことに惹かれた母はその宗教を学ぶようになる。
その後、幼い子供を亡くしたのをきっかけに、母はその宗教にのめり込んでいく。
だんだんと宗教で学んだものを人に伝えていくようになる。家族の習慣を、学んだことに合わせて変えていく。異なる価値観には母が学んだ価値観からの苦言や助言を呈するようになる。
そして私が中学生になる頃には、宗教的な洗礼も受け、学ぶ側から正式に教えを伝える者になっていく。

以上が多少フェイクを交えながら、母が野の医者になっていく過程の物語である。(といっても母親に聞いたわけではなく、子供の頃から「なぜ母は宗教にハマったのか」を考えていて、そこから構築した物語であるため、実際とは差もあるだろう)



信仰者って野の医者に当てはまる??

とこの物語を書き出して、はじめに書こうと思ったのは
「おいおい、野の医者の子供といったのに、母親がハマったのは宗教じゃん」
「ヒーラー、セラピスト、そういうのと信仰者はまた話が違わない?」
という、宗教の信者は、野の医者ではないのではないか、という問いだ。

そこのところは、どうだろう?と私も思う。

ただ言ってしまえば、読んでて私は野の医者の子供だった、とそう感じたのだからそれでいいじゃないか!と思うのだけど。

まあ少し本文から考えてみるとする。

前段で書いた”広義の野の医者”で捉えれば、母は宗教という野で自身を癒し、人を癒すことを選んだ、野の医者と言ってもいいと思う。
また母の物語は、本に出てくる野の医者たちの「自身が傷つき癒され、癒しの道を進んだ野の医者」ストーリーと似ている。

また狭義で考えた際も、本書の中で

"多くの野の医者が自分は宗教とは関係がないと否定すると思う。"

の後に、野の医者と宗教が同じと考えれる理由が書いてあるし、(小難しいので割愛する。すみません。)

また、

"治療ってそもそも宗教的なことではないかというのが私の仮説です。"
"科学に見える今の医学とか臨床心理学も実は一皮剥いたら、宗教と同じようなものではないだろうかって考えられませんか?"
"心の治療の本質が宗教と同じもの(確信している)"

と、東畑さんが心の治療と宗教を結びつけている捉え方をしているので、野の医者に信仰者も当てはまるのではないかと、私も考える。(むりやり)
(その心の治療の本質が宗教と同じという確信を得た理由は本書に書かれていない。東畑さんがそう思うまでを書いてる文章があったら読んでみたい。)

また諸外国では少し違うだろうが、近代の日本においては、
・宗教の布教活動をする
・その生まれ育った土地や伝統でない信仰を持つ

これらは、一般的なことかで言えば一般的でないし、マジョリティかマイノリティかで言えば、マイノリティであり、なんというか「野」である。そう思う。

まあ何はともあれ、そうでなければきっとこんなに私はぐるぐるしていないだろうし!という目線で、信仰を持ち、活動をする信者もここでは野の医者としながら、文章を続けていきたい。


母はなぜ野の医者となったか

私は野の医者の子供だったので、わりと年がら年中、母になぜ宗教が必要だったのかを、子供の頃からよく考えていた。
信仰を野とするならば、なぜ母に野が必要だったかという問いである。

そうして子供の私が得た答えはこうである。
「お母さんは、子供が死んで悲しくて、だから宗教が必要だったのだ」

母は現実に傷つきもがいている時に、ピッタリ寄り添ってくれる価値観を見つけた。子供を亡くした母にとって救いとなる価値観や行動がそこにはあった。
母は傷つき、そして野の医者になることで今も癒されている。
その実感を子供の私は感じていた。

だからこの本を読みながら、傷つき野に救われる女性たちをみて、母のことはすぐ頭によぎった。
野の医者を目指す女性たちが、野の医者になっていく過程を解き明かすこの本の文章の中から、母の存在を感じ、なんだか子供の頃に考えていたことを追い直しているような気持ちがあった。
とくに彼女らに接する東畑さんの態度は優しい。昨今では新興宗教にはまる人々には厳しい言葉が募られることが多い中(なぜそんなインチキを信じるのだとバカにしたり、悪者として扱われたり)、この本の中では、彼らは生き生きとしていて、だから安心して、野の医者の子供である私はこの本を読み進められたと思う。


母とAさんと野の医者

まあいろいろなことを感じ読み進めながら、本の中に一つ「重なってて、おもしろいな」と思うことがあったのでそれも書いておく。

この本のフィールドワークの舞台は沖縄であるが、そこは母より先にその宗教に入り、たぶん母が学ぶきっかけにもなった育児の先輩のAさん。彼女の出身地だったということだ。

その合致は本を読んでいてなんだかワクワクした。

Aさんは、子どもの私からみて、典型的な沖縄の人だった。なんくるないがよく似合う人。
私の中のイメージは、ハワイでフラを教えているマム。そういうイメージに合う、大らかであったかい人だった。

母より先に宗教を学び始めたAさん。
彼女はこの本に出てきてもおかしくない、陽気な野の医者だったと思う。


本書において、沖縄には野の医者が多いことが語られる。その理由として、

"ー 沖縄シャーマニズムのすごいところだ。つまり、神と直接話をしてしまうこと自体が伝統文化なので、そこからどんな新奇なアイディアが出てきても、それは伝統の範囲内なのである。これは強力だ。"

と書かれているが、これを読んでいて「あぁ、その文化で生きてきたAさんにとって、生き方に宗教を取り入れることは、造作がないことだったのかもな」と納得がいった。(私にとってあのおおらかなAさんが、なぜ野にはまったか、それも長年疑問があったのだ)


本の中では、野の医者たちが精力的に、そしてある意味都合よく、野に治療によるヒーリングの手段やらをプリコラージュ(生きやすいようにつぎはぎして)して生きていく野の医者たちの姿が描かれている。
母の友達のAさんもそういうことができる性格の人だった。

彼女は宗教の考えをうまく取り入れ、笑う、野の医者だった。

母はきっと、そういう野の医者に憧れ、宗教にのめり込んでいったのではないかとも思う。


朗らかな野の医者とそうなれない野の医者

東畑さんが書いた『野の医者は笑う』に出てくる、彼らは朗らかだ。
彼らは雑草ばりに、生き生きと育っているように見える。

私は読んでいて、そんな彼らのエネルギッシュな姿に少し好感を持つ。東畑さんの表現のまま、怪しさも「え、なにそれ面白そう」と単純に思う。しかし同時に、野の医者というものを捉えた時、私の中には家族として見た母自身の姿が浮かぶ。

彼女は、沖縄人の気質もなく不安が強い人だった。
「なんくるない」ではなく、物事に対して「どうしよう」の不安が強い人。
本書で描かれる、様々な野の良いところをブリコラージュして「生活をより生きやすく!」という人々。そんな彼らと違い、私の母は、その野の性質のもつ特殊ゆえの生きにくさに、振り回されているように見えた。そういう母だった。
(もちろん、そんな母も野の医者として出会ったら、本に出てくる人と変わらないくらい朗らかに笑っているのかもしれないが)

野の医者の力強さは、すごい。
野の医者は笑うのだろう。

ただ、本当にそうなのか。
本当に野の医者って笑えているの?

もしかしたら、いやもしかしなくても、笑えない野の医者の方が多いのではないか。そういう思いが浮かんでくる。

笑えない野の医者

野の医者が提言するその治療、一見した人が顔に出さずとも引いてしまうような奇抜さは、それをする彼ら自身にとって役になりきれなければ、笑えないものだと思う。

『野の医者は笑う』の本の中で描かれる野の医者の様子を読みながら、私はフィールドワークの舞台の沖縄ではない、私の生きている場所での野の医者たちを思い浮かべる。
本当に野の医者は笑えているのだろうか。
世の中には、笑えない野の医者の方が多いのではないか。

野の医者のもとで育った私はそんなことを考えてしまう。


都に暮らす野の医者

母が野の医者になった物語を書いたが、そこを考えつつ、少し私が見ていた野の医者たちの生活の背景的なものを考えてみる。

まず、私たち家族が暮らした沖縄でもなく田舎ではない「やや都会」の生活圏は、沖縄のように怪しいものに寛容ではなかった。
ただ閉鎖的な農村や噂がすぐに広まる田舎ほどには、異文化に対して嫌悪を示したり、彼らを排除したりもない。

隣人の顔を知っていてもそう深い仲にはならなくても生活ができるし、下手すればお互いを知らなくても生活ができる。そういう土地である。
都会のよいところは許容である。
悪く言えば無関心さである。
どんな人も、自分たちに危害を与えずいるなら、遠い位置から受け入れる。
生きやすくもあり、しかし見ないフリ・怪しいものには触らないという孤独、それは人々の中にある。
沖縄のように、神の声が聞こえるという子をユタと呼んだり、そういう不思議や怪しさをそのまま受け入れてくれる場所とは少し違う。


私が子供だった当時、1990年代はオウムの事件もあり、世間の目は怪しい集団に対しての目は厳しいものになっていたと思う。
また近年になると、SNSの発達でだれでも情報を仕入れることができるようになったから、「怪しい」ものの怪しさは人々が警戒しやすくなっていたりする。それゆえに公ではなく野の治療に手をだす、そういう人にまた都会の目は冷たさは少し増している。


世間の目から見て「一風変わったこと」をすることはひどく大変なことだ。

その時・その場所において、野の治療と言われるものは、公的なものではないものである。一風変わっていて、科学とは違くて。

万人受けしないから野の治療は『野』なのである。

そういうふつうではないに都会の目は寛容でありつつ優しくはない。


郷にいて郷に入らず生きる野の医者たち

「郷に入れば郷に従え」そういう言葉がある。

「その土地やその環境に入ったならば、そこでの習慣ややり方に従うのが賢い生き方である」

そういう意味のことわざだ。

野を持たない人々は、基本的に郷に入れば郷に従う。
生活する土地・働く場所・周りの関係。そういう普段生活するところ、その文化を知り、慣い、今までの自分の生活や文化と掛け合わせながら、そこでのベターな生き方を見つけて生きていく。
たぶんその方が生きやすいから。

ただ反対に、多くの野の医者は、郷に入れば郷に入らない、そういうことが多いのではないかと思う。

ここで、普段生活する生活の場・文化・習慣、そういうものを便宜上『野』に対して『都』と呼んでみる。(郷でもいいかもだけどあえて都で)

野の医者には、大切なその野が持つ文化や信念がある。
その野の文化を郷に入ることよりも大切にしながら、『都』で生活していることが多いのではないかと思う。(もちろんその野にコミュニティを作り、生活自体も野で行なっている人たちもいるだろうが)

そういう人たちの生き方は、それは、ことわざ通りに言ってしまえば、「賢くない生き方」である。

なぜなら、「私には信じている大切なことがある。だから郷には従いません。」その信念に基づく主張は、そのまま郷に生きる人たちと軋轢を生むからだ。

多くの野の医者は、目の前の生活の中でのその軋轢や居心地の悪さに、途中で野の文化を諦めるのではないかと思う。
コラージュをうまくできなかった時、やはり合わなかったといって都の生活に戻っていったりする。

彼らはうまく笑えなかった野の医者である。ただ都に溶け込むこともできたものたちである。諦めることができた野の医者である。

ただその中でも、生きづらさを選び、野の医者になる人、野の医者であり続けられる人がいる。

その人たちには実感がある。
どんなに普通の人から見て怪しくても、それは「私を癒した・助けてくれた」そういう実感である。私は野が必要で、誰かにも野が必要であるという実感である。

『都』の人が笑ってくれなくても、その人は笑う。
その癒しの実感があればあるほど、彼らは野の医者として、伸びていく。
そしてその実感があればあるほど、都との軋轢は増え、周囲からの冷ややかな目線に対して、彼らは意固地になる。だって私はこれに助けられたのだから、同じく必要がある人はいるはずだ。そういう信念を強固にしていく。

そして彼らが信じる野から見た『外(=野の治療を知らない・胡散臭いと思っている人の間)』で耐え抜けば、野というコミュニティに戻った時に、自分を受け入れてくれる人がいる。
褒めてもらえる。ともに笑える人たちがいる。そこには安心と信頼がある。そこには人との繋がりがある。

だから一度、野にどうしようもなく救われた人は野の医者を目指す。
野の人といたいと思う。野以外でいくら傷ついても。彼らには野があるから。
だから『都』で孤独でも構わない。むしろ、そういうものだと思っている。


『野』を持てば持つほど、その人は『都』で孤立する。
彼らのする怪しいことは『都』での生活に馴染まない。野で治癒を受けるということは、野以外の場所で癒されにくくなる道につながっていく。
そう思う。

前述した、都での生活とのバランスで生きにくさを感じ、うまく笑えず野の医者を辞めた人たちはまだいい。

ただ一度特定の野の考えに救われてしまったからこそ、生き方を変えられてしまったからこそ、野の医者になるしかないような、そういう人たちが多くいるのではないかと思う。

野の医者に救われ、救われるほどに、同時に野以外で生きる道が狭まっていく。
真面目な気質ゆえ、うまくブリコラージュすることができない。ようように生きやすくなっていけない。
そして一度救われたものに一途でいるしかない。大切なものを一つしか持てない。そういう「笑えないけど笑ったふりをする」野の医者たちがきっとたくさんいるのではないか。




私から見て母は、傷つき治療することで治癒する野の医者であったが、そういううまく笑えない野の医者だった。

母の信じる野の先には、笑うAさんがいた。野のコミュニティに行けば、同じ信念を持つ人たちがいた。野のやり方に癒された。きっと野では笑っていたのだろう。

反面、その野を生活する『都』である家庭に持ち込んだことは、父との軋轢をもたらした。冠婚葬祭で郷に入らず、伝統からすれば奇異な行動を選択することで、姑にため息をつかれた様子も見ている。
野の人との付き合いが増えるため、野以外との関係性も希薄になる。娘の私は母の野についていけず、母は野を受け入れられない娘を受け止められず、良好な関係は築けていない。
私たちはともに笑いあえなかった。

私と母の関係だけ言えば、母が野の医者にならなければ、私たちの関係はもう少しうまくいったのではないか?と思う。

野を選んだことで、野に治療されたことで、うまくいかなくなること。
そういうものを私は見ていた。




野に救われた母、理由と時代背景

ただそれでも母は野の治療によって癒されたのは事実だと思っている。
子供を亡くした親が持てる希望として、その野が掲げるものは彼女の心をケアし、傷を癒した。
郷に則っていたのでは手に入らなかった、都の生活ではどうにもならなかった。だから、野のそこで得たつながりや教えを信じることで母が生きることができた、と思っている。あの頃、母にはあの野は必要だった。

私の母は、臨床心理学ではなく、そして共にいる家族ではなく、都の生活の中の何かではなく、より外のものに救われた。そう思っている。

例えば何かストレスがある時に、ママ友と話したり、本を読んだり、おしゃれをして気分をあげたり、趣味をしたり。いろんな形で人を助けるものはある。

けれど、そういうものでは足りず、より強烈なものを選んだ。


母が野の治療を選んだ時代背景として、苦しかったり生きずらさでカウンセリングを受ける発想は、一般人にはほぼなかったのも要因の一つだろうと考える。

精神や心のことを専門家に委ねる、それがやや肯定よりになったのはこの十年だろう。私が子供の頃はまだまだその壁は高かった。

それに今よりも育児をする女性に対して手の届く範囲に彼女を助ける専門的な支援は今よりずっと少なかっただろう。ネットもなくSNSもない。本だって専門書を簡単に得る流通もない。
困った時にどうすればいいか、そういう支援は今に比べたら本当に少なかっただろう。
だから新興宗教の野の人の関わりが、その住んでいた土地で、その困ったお母さんたちのケアとして、うまくはまり先端にいたのだろうと、思う。


私は医療職であるが、彼らのケアは、ある面では素晴らしいのだ。
・定期的に訪問してくれる、おだやかなおばさん。
・友達には言いにくい困った話・人生の話・哲学的な話を聞いてくれる。
・なんなら子供とも接してくれる。年上の人に育児の相談もできる。
・週に90分ぐらい、お金もかからずに居てくれる。
・同じ場所に行けば必ずその人たちがいる。知りたいと思う人・意欲がある人を暖かく迎えてくれる。


結論を宗教に絡める、という性質はあったり、結果的にお金を取ったりするが、信仰を持ち勧誘する人は基本的には傾聴を得意として、彼らの根は、困難にある人に同情的である。

金がかかるのも、基本的には「あなたに良いと思って」その結果にお金がかかるだけという認識の人の方が多い。そして頑張りに対しての褒めは彼らは非常にうまい。
彼らの理論に持っていくところはあるが、あれは無料の「カウンセリング」に近いかたちを取る。

子供が亡くなるという経験をしている母にとって、その時間と宗教という心の治療は必要だったと、子供時代の私も思っている。
信じれば、ハッピー。そう"いられるなら"それは素敵なことである

それで心が安定し、生活していけるならば。


様々な形の治癒がある、その肯定

本書の締めに治療というものについて書かれている。

"治療が違うように、また求める治癒も違う"

そうなのだ。

野の医者の治療と心理療法家の治療が異なるように、心に困りを抱えた人たちそれぞれが求める治癒の形も違う。それは本当にそう思う。
だから、その野によって本人が治癒したと思うなら、それを他の人にも伝えるのが治癒だと思うならいいのではないか、という思いも私の中から出てくる。野の医者が野の医者として彼らの間で笑えているなら、それでいいのではないか。それも治療の一つではある、と。

本書は、治療の形は様々あり、そして治癒の形も様々あっていいことを肯定…とまでいかないのかもしれないが、それが「在る」ことを肯定している。
近代医療的でない治療による治癒の、その野の治療の価値や存在そのものを肯定する。(読み直してて、そうではないのかもしれないが、そう感じられた。)


その肯定を私もできる。
母が傷つき、野の人になる過程での癒しを間近で見てきて思う。母に宗教は必要だった。傷ついた者に野の医者は必要だった。それは事実であった。

それが『都』から見て怪しく見えたとしても。
生活の中で、あの週一知り合いが来て時間を過ごし穏やかに学ぶ、都の生活から少し切り離した野の時間、それは必要だった。それは心底そう思えている。

野の治療は『都』からしたら、批判は簡単にできるものである。
「怪しい」「よくないものだ」そう言って、野に癒される人がいても、そんなの関係はないと、その怪しいものを叩くのは簡単だ。
ただそういうものは、野で癒された母を知っていると痛い。野で癒されるしかなかった母を見て悲しくなる。

だから本書にて、よくあるルポのように批判するのではなく、その治癒が「ある」を肯定し認められていることは、なんだかホッとする。
人から「怪しい」と、偏見を持たれる私の大切な家族が肯定されているようにも思えてホッとする。

怪しい藁をつかむしかなかった人。
そう生きるしかなかった彼らの肯定をしてくれるようでホッとするのだ。
人は毎回正しい藁を掴めるとは限らない。彼らはその時それしか選べなかった。
それを事実として扱ってくれていることに、ホッとする。

それを、敵になっても然るべきな心の専門家である臨床心理士が肯定してくれているように思えることに、ホッとする。
そういう点で私はこの本を読み直したくなるのだと思う。


だがしかし。声を大にして書いておきたい。

ここまで書いていて、野の治療によって救われた人たちのその事実を肯定しつつ、心の専門家にそれが、母の悲しみと癒しの過程が肯定されている本の内容に嬉しさを思いつつ、同時にモヤモヤも沸き立ってくる。

そうなのだ。
私は野の治療、そしてその治癒にけっして納得しているわけではない。


野の医者に思う私の感情

私の中に野の医者のこどもとして二つの気持ちがある。

1つめは、「野の医者に頼るしかなかった人たちが、その野で治癒されている」その事実を、普通の人が怪しさから忌避するのではなく、単純にその「在る」はまず認めてほしいなと思う気持ち。
頭ごなしに責めず、本書に書かれているように、人の治癒の形は一つではないをちゃんと知ってほしい気持ち。
特に治療の専門家、医療者も含め、それを学問をしている人には、バカにして欲しくない気持ち。転じて、そういう野の治療をバカにする人にはお前らの力不足がその要因の一つやんけと言いたくなる気持ち。
そういう、『そこにある野の医者の治癒自体の存在の肯定』が一つ。

そして、二つめ。しかしそうはいっても、野の治療が肯定され過ぎて欲しくないという気持ち。本書が臨床心理士さんの中で読まれ、好評を受けていると思うと少しやきもきする気持ち。
専門家の人たちが野の医者のする治療と治癒にそのまま肯定的になったら、やだなという気持ち。
ようは、『その治療と治癒、認めたくねえぞ』の気持ちがもう一つ



その後者の、肯定されすぎて欲しくない気持ち、そのやだなという気持ち、その理由は、簡単に書けばこうだ。

だって野の医者のそばで育った私は、野の治療の「在る」に救われていない。むしろ傷ついてきた。
そういう子供の時からの気持ち、それである。



私の母は、確かにその野の治療で助けられた。

でもその治療は私を助けることはなく、野の治療の特性ゆえの生きづらさを作ったのも確かだ。
「治癒の形はそれぞれある。」そういう大人な理解をしようとすると、子供時代の私が出てくる。

「野の医者は周りを子供を傷つけるのに、それをおいてそれを知らないまま、心の専門職の人、それを肯定なんてしないで」
そういう気持ちがある。


本書では取り上げられない野の怪しさ

本書において、野の医者のもつ"怪しさ"は、東畑さんのキャラクターもあり「わあ、なんて怪しいんだ!!」と肯定的に捉えられ、あまり掘り下げられない。

それは、「野の医者はそもそも『都』の文化から捉えると怪しいもの、そういう前提は語るべくもなく皆、そう思っているでしょ?」という部分もあるのだろうし、ブラックユーモア的な意図もあるだろうと思う。
またそこを掘り下げると本筋とずれるという部分もある。

本書ではその怪しさへの追求は主題ではない。治療とは何かを考える本だ。


その東畑さんの巧みな文章を読んでいて、色々野の医者に対して複雑な感情がある私ですら、「野の医者たちも生きているんだな、前向きにひたむきに。なんとなくいいなあ。自分も東畑さん見たく捉えれば、野の医者への嫌な気持ちを感じないで済むのかな?」なんて、読後に爽やかな気分でなんだかハイになってしまったりした。
そうなんだよ、治癒の形はいろいろ在るんだ!と腑に落ちる部分もあって、なんとなく答えの一つを知れたような気もして。

しかし、そしてそのハイな気持ちに、時間が経つと、腹の底で嫌な気持ちが湧いてくる。
いやいや、そこで止まらないで、と野の医者の側で育った自分の内側からなんか出てくる。


「野の医者は、野の医者本人と、そして治療を受ける当事者を治癒させる。」それは事実だと思う。
「野の医者は野で笑えるようになる。」それも事実である。

「でしょ、人それぞれ治癒の形は違うのだし。だから、野の医者の治癒もありではないか。」いや、それは、そうなってしまったら、なんだか違う。
それはなんだか納得がいかない。ザワザワする。

だって。
野の医者が野の医者として癒し癒されていく中で、彼らは笑えない親しい者を作っている。
私はそれをちゃんと知っている。

個人の治癒に大きな力を持つ、野の医者の治療の力を知っていると同時に、彼らは野に当てはまらないものを助けることはない。

それを知っているのだ。



この本は良い本である。
ただ、そういう野の医者が野の医者で「在る」悪い面が、この踏み込んだ本で描かれない。
そのことに、この本は本当良い本だ!と思うとともに、なんとなく読んだ人々が怪しい野の医者の治療にただ寛容になるような、そう思えてしまうのでは、と思えてしまうことにとてもモヤモヤする。


だって、野の医者の家族はくるしい。

私はそれを知っている。


郷に入らない野の医者のそばで郷で育つこども

私は野の医者のこどもとしてとても苦しかった。

都で生きているのに、ある特定の野が家族に持ち込まれていくことは、家族の習慣や都の文化と違う『野』の文化で生きることを求められることであった。

「郷に入れば、郷に従え」という生きるための知恵。
それを信念のもと使わない親。それに倣って、それを使うことができず、「郷にいても、野と振る舞え」そういう風に近しいものから勧められる日々。

私の場合は、父は野の医者ではなかったから、もともと家族が築いていた「郷」と母が新しく持ち込んだ「野」の軋轢を間近で感じて育った。私は結局、母からしたら「都」を選んだ。けれど母を嫌いにもなれなかったから「郷」にも馴染みきれなかった。


「こうすることで、すべてがうまくいくと言われたの」

ある日突然、家族が、自分たちの『都(生活する文化・習慣・場所)』から見て、やや不思議な何かふつうではないものを日常に持ちこんでくる。

本の中で、東畑さんが受けたマインドブロックバスターと言う一つの野の技があるが、

"「心のブロックを外してもよろしいでしょうか」"

本書にあったこういう文言を、ある日家に帰って、家族が真面目にもしくは嬉々として言ってきたとしたら、あなたは笑えるだろうか。


本の中で野の医者との交流の中でハイになっている東畑さん。
そんな彼を冷めた目線で見る奥さん。
そうなるのが、生活をともにする人たちの一般的な反応ではないか。

もしくは当人の性格によっては、(変なことにハマっているな)とあまり問題視しないかもしれない。
ただ、その出会った野の治療にその人がピタッと癒されてしまったら、時間とともにそれを確信してしまったら、それはずっと続いていく。関わりが増していく。

それが、続くとさすがに家族は声を出す。
都に侵食する野の陰に気づく。野の治療が奇抜であればあるほど、それは家族の文化に生活している都での生活に影響を与えるのが見えてくる。
それは好ましいものだけではない。彼らがもたらすのは往々にして「怪しい」変化である。

しかし、その野に興味を持った家族の誰かが、きちんとその野の治癒されてしまったら。これが私に必要な者だったと確信してしまったら。

家族の声は往々にして届かなくなる。彼・彼女はすでに変化している。その人は、もう家族の人ではなく、野の人になっている。



野の医者と育つ子供達

野の医者の子供はどうなるだろうか。

そもそも子供というのは、環境やその文化に合わせて発達していく存在である。
泣いて意思表示するだけだった乳児の時代から、周りの環境に合わせて、自分の気持ちを表出することを覚え、快・不快を解消する方法を学ぶ。近しいものを真似ながら、その感覚を学び発達していく存在、それが子供だ。

親が野の医者になるのは、それは生活しているコミュニティ(家族・夫婦・地域など)の文化をある程度捨て、独自のものに塗り替える行為である。

彼らは都で生活をしていたとしても、都ではなく、心は野にいる。
都のふつうではなく、特別の野を選ぶ。
子供たちは都で生活をしながら、その近しい人の影響を受けながら野に合わせた発達をする。野のロジックを学んでいく。郷に入っても郷に従わない生き方を。

小さい時は子供の社会は狭いから気づかないだろう。
けれど子供達が生きるのはその日常は、広がるにつれ、どうやっても住んでいる街・学校・友達・文化習慣の中にある。
野の”特別”ではなく、都の”ふつう”の中である。

野の医者に育てられる子供は、生活の中で「野」の知識と「都」の知識、その狭間で生活をすることになる。


例えば靴を履くのがふつうの都で、野の主張として健康にいいから裸足での生活を求められる。その方が健康にいいのよと親には言われる。
そういうものなのだと子供は発達する中で学ぶ。大好きなお母さんが言うことだ。
しかし都で生きる他の友達は誰一人それをしていない。子供は発達の中で他者と自分を比べるから、そのことに戸惑う。恥ずかしいと気づく。

発達とは、環境に合わせて最適化していくということでもある。

それが進んでいく中で、自立心を持ち始めた子供は、親が言う野の約束をやぶり都での生き方に合わせていくか、都で変な人と言われながらも野の生き方をしていくか、そういう葛藤をしていくことになる。(こどもによっては、また家族の力がある家庭だったり、自立しなくて済む環境では、疑いもなく、野にいるままで問題なく生きていくこともある)


まわりの顔色を見る子供たち

野の医者の子供の多くは、その親が自分の心の治癒のためにしていることを同じくするように求められていると思う。だって「しあわせなことは、周りの人にも分けたい!」が野の医者の、というか人の、そして親の普通である。自分が生きやすくなった方法は提案したいのが人である。

自分と子供は別の人間であると分けられている親の場合は、そうでもなくやっていけることもあるかもしれない。
ただ、まあ野の治療を学ぶという癒しが、その唯一がなければやっていけなかった人の多くは、そこまで自他意識が安定していないことの方が多いのではないか。(これはちょっと偏見である。)

そして野の医者の子供は、野の医者のそれが、その信念が、彼らの心の”唯一”の治癒だと知っている。だって、そういってるから。

子供はその唯一を否定できない。

もしくは、否定したとしても、その気持ちを決して理解してもらえない。もしくは、野の医者が持つ性質によって、信じない=不幸になるよ!と揶揄される。
なぜなら、「こうすることでハッピーになる」は、裏側に必ずこうしなければアンハッピーになるを含む。
子供は言葉にされなくてもそれに気づくのだ。

都で生きるこどもたちは、心は野に生きる親との間で板挟みになる。
板挟みの相手は祖父母や親戚かもしれないし、学校や近所の目かもしれないし、友達かもしれないし、好きな子かも知れないし、仲違いをはじめたもう一人の両親かもしれない。

こどもたちは、それらを比べて、野か都かの選択を求められる。


野の医者のこどもの生きづらさ、その選択

野の医者に育てられた子供は、野の医者になるか、いつか去るか、もしくは生きづらさを抱えて生きる。

自分から野の医者になった野の医者、彼ら自身は、それまでの自分の人生と野の考えを少なくともブリコラージュして生きている。
その唯一を選ぶまでに色々な癒しを渡り歩いている。選ぶ自由を持ってそれを選んでいる。

けれど、こどもはそれが許されない。特定の野の医者となった親は、子供がブリコラージュしていきていくことを、往々として受け止められない。最初から正しい唯一を教えられる。
子供には、力を持った親であるドラゴンのもとで子供として生きるか、別のドラゴンになって敵対するか、そっとそこを去るかになる。


本書で

心の治療とは一つではない

という結論が書かれるが、

多くの人は自分が考える治療が一番だと考えているし(それは医者や専門職であってもそういう人は存在するし、私が最初の方で、野の医者と笑う東畑さんに憤ったのも、医療者ゆえのその感情があるだろう)
特に文化から見て怪しいと揶揄されることを自覚している野の医者たちは、他の救いを信じない。それは自分たちの否定だからだ。

親が野の医者であることは、こどもの生き方に「野の人になるか」「ならないか」の選択肢がつく。

野の医者の子供たちは、親の傷を癒した何かを肯定するか否定するかの選択肢を与えられる。選択すれば喜ばれる。選択しなければ心底残念がられる。もしくは、この子は嫌がってるんだけどね、とこちらの意向は関係なく、行為を続ける彼らの姿に、「見てもらえていない自分」を感じ人知れず絶望するのだ。


野を見ていたわたし

そういえば『野の医者は笑う』本書において、そういえば野の医者の家族である人物にはフォーカスが当たらなかったな、と思う。

家族との関係の悪さが野の医者になるきっかけだったというような語りはあるが、ただ野の医者が野の医者になるその過程を見ていた、家族や周りの人物のそのものの物語はないのだ。

それでもいくつか台詞を抜粋すると以下のようなものがある。

”「早く寝て」怪しい治療にハマっている浪人*の妻は冷たく言った。” 
”旦那は全くそういうの信じないからね。嫌がってるよ”
”夫にもやってみたんですけど、洗脳されてるんじゃない大丈夫?って言われましたよ”
”先輩は心底軽蔑した目で上機嫌な私*を見ていた。”    *浪人/ 私=東畑さんのこと

上記のような、家族・親しいものが持つ、
野の医者に対する「心配・軽蔑・冷め」そういうものが本書の中に出てくる。そういうものが人々の野の医師への反応である。

『都』で生活する者にとって、やはり野の医者は怪しい。

野の治療は都で機能するのか

野の治療について、

ミラクルで躁にさせる。

そういう治癒の形が、野の医者の治癒の一つの形でもあると、本書では書かれている。なるほど、文章を読んでいるとそのことに納得する。そういう治療もあるのか、と思う。
しかしその治療の形は、当事者が”野”にいる時に機能したとして、日常や家族という”都”の生活の環境において、本当に正常に機能するのだろうか。


野の医者である、私の母。

野ではうまく笑えていたのかもしれない、ただ私から見て『都(生活する環境・場所)』ではうまく笑えない、そういう母。

母がもたらそうとした野は、家族の中では機能しなかった。
私にとって、その治療は私の心に痛みをもたらした。

治療が治療として機能するのは、その文化が通用する範囲だけではないか。
(ここら辺は東畑先生の別の本で書いてあって、面白いなーと思っている。読み込み途中)
彼らのもたらす野の”治癒”は、都において生きていく人に新たな傷みを作るのではないか。



野の医者になる母の横で育ったわたし

とここまで書いて、私のことも、ざーと記しておく。


私は幼少期は野に関わらず、朗らかに育った。

住んでいる生活の場所の文化・幼稚園の文化・祖父母宅の文化・両親が作る家庭の中で違和感なく、そこでいい子にすくすくと育ったと思っている。

そのうち家に野のおばさんが訪ねてくるようになった。その人と母が話してる時間は、横でお絵かきをしながら過ごしていたと思う。
そのおばさんを野の人と捉えるようになったのは、おばさんが言った、一緒に勉強する?、そのあとだったのではないかと思う。
当時「かみさまに救われたい」なんていう難しい感情は一つもなかった小学生。でもお母さんのそばにいることを好ましかったし、おばさんのことも好きだった。本を読むことも好きだったから、私はそれにうなづいた。
単純にいろいろ学びたい時期だったのだと思う。そうして日々の生活に宗教を学ぶ時間やなにかの集まりに行く時間ができる。
母が好きなものに興味を持つは、私の中で自然なことだった。その野の勉強の時間も、人との交流も悪いものではなかった。
ただ小学校中頃には、母が本格的に家の中に持ち込み始めた宗教に、生活の中で疑問を抱くようになる。

まず母が宗教を本格的に学ぶことで父との関係は目に見えて悪くなった。いただきます、と声を揃えてから食事をしていたのが、母がお祈りをするようになって数秒の無音ができる。家の生活に入り込む野の習慣。それに父がいらだっているのを感じる。食卓が楽しくなくなる。
家のそれまでの習慣を母が変えていき、それまでの普通が普通でなくなっていく。場合によっては今までの普通は禁止され、新しいルールができていく。
そのルールに父は賛同していない、言い合っている姿もみたが、多くは、無言の苛立ちで抵抗を示す。その空気感を肌で感じる。

それにどういう態度を取ればいいかわからない。

また宗教を学んでいると年齢に合わせ求められることが増えてくる。
宗教の文化を学校に持ち出すように求められる。最終的には宗教とともに生涯生きることを求められているという雰囲気を感じる。それは学校という都で楽しく生きている私にはなんだか生きづらさをもたらす。

幼少期は朗らかに育った分、母が癒しを感じた宗教により生じる生活の困難(父のいらいら、家族の習慣の変化などなど)に、何かが違うと思うようになって。
そうして私自身は宗教という野に癒しを求めていないことを実感し(だってそれより学校がたのしい)、子供なりにいろんなことを考えた結果、中学生になった後、宗教を学ぶことを辞めることを選ぶ。

私は母が選んだ野を捨てた。

その後紆余曲折あり、色々の結果、簡単に言えば子供好きの部分と、子供を亡くした親が悲しみから宗教にハマるさまを見てきてたのも一つの要因として、医療職として子供と家族のケアに関わる仕事をするようになる。

そうして、その過程で、治療に関わる仕事をする者としてこの本に出会って、野と自分を改めて考えたくなり、この文章を書いている。

というのが私の物語である。


と、こんな私が今いちばんここまで書いてきて、思っていることがある。

彼らのもたらす野の”治癒”は、都において生きていく人に新たな傷みを作るのではないか、ということをもっと大きく考えて。

野の医者だけではなく「心の治療」それ自体が他者を傷つけるものではないだろうか?いや、心に限らず、治療というものは他者を傷つけるものではないだろうか?という思いである。

私は、母や野の治療者の治療の有りようを否定したい、というのではなく、私たちがするすべての治療というものについて考えたい、そうなんだと思う。


治療は他者を傷つけるか

心の治療は他者を傷つけるのではないか。
野の医者に限らず、みんな、そうなのではないか。
そもそも私たちの誰かをケアをしたい、誰かの治療をしたい、そう思ってる者全員、治療しているつもりで、目標にした部分は治療できていても、
実は新たな傷つきを生み出すだしているだけなのではないか。

そう思うから、だから
私は野の医者を責められなくて、責めたくもやもやするのではないだろうか。


心が治療されることについて、『野の医者は笑う』の中でこういう言葉があった。

イワシの頭に癒された人はその信者としての生き方を始める
心がイワシの頭的になる、それを治癒という

つまり、生き方の変容そのものが心の治療となるということである。

それまでの自分を変化させること、それが心の治癒につながる。その人があるロジックを得て変化することがそのまま治療となるということだ。

ある状況下において心の状態が改善するという、脱皮にも似た変化。それはその個人だけではなく、親密な他者やその人が所属する家族・団体の文化にも多かれ少なかれ影響を与え、否応無く変化をもたらす。

心の治療は一人の人の生き方を変容させる。
変容した人によって、その人の周りの文化が変容する。

その当事者の”治癒”から広がっていく周りの変化、それが与える”良い悪い”影響。それについて視点を向けられることは広がりつつあるものの網羅することは難しい。
だって治療対象はまずは目の前の当事者で、なおかつ当事者は治療によって治癒したと認識されているのだから。(と書きながら家族のフォローもできるかぎりしていくことが治療の成績をあげることでもあり、家族全体に介入はあると思う)
ただ、その当事者に対して行われる治療の、そして治癒による「変化」は、その変化自体に置いていかれる『親密な他者』をどうしても作り出すのではないか。

生き方の変容はそれまでの自分を捨てることでもある。
変わるということはそういうことだ。

そこには必ず、捨てられて失われる関係性がある。
それまでの自分と絆を築いてきた誰かの関係は、その変化によってともに柔軟に変化して関係を継続するか、終わるかである。
もしくは捨てられない関係性のガワだけ残って歪む。

治療とは必ず傷を作る。

そして新たな人の歪みのもとになる可能性、それを治療者はどれくらい考慮できているのだろうか。私はどれくらい意識してこれただろうか。

その当事者のその外に新たに生まれる痛みを、心に関わる人、治療をする人はみんな意識できているのだろうか。



私が感じた、母の野の治療によって生じた苦しみ。野の医者のそばで感じた、与えられた苦しみ、できた傷。

そういうものが野の治療において表出しやすいのは、その変化の在りようが「野」であり、最初からすでに突飛であり変化が激烈だからではないかなと思う。

激烈な変化だからこそ、わかりやすく親密な他者を傷つける。
多くの人がその変化の様変わりについていけない。


治療をすることは傷をつけるということ

この激烈な治療が治療対象以外を傷つける、というのは、心ではなく肉体の治療で考えるとわかりやすいかなと思う。

例えば外科手術。

手術で例えば腸を取るとしたら、まず腹をかっさばくと言う行為をして、皮膚も血管も切る必要があり、その傷に適応するために全身が頑張る。
その治療は身体全体に”侵襲”をもたらす。対象の腸だけではない。
皮膚も血管も急激にダメージを与えられたことで心臓やそれ以外の臓器も傷を受ける。
そういう治療は、対処したい腸以外の皮膚も血管もなにも、きちんと管理しなければ死んでしまう怪我を負わす、そういう治療である。

かりに手術自体が問題なく終わっても、術後は体が癒されるように浮腫みが生じたり、元に戻るために多大な労力をかけている。
そしてその波が収まっても、もう腸はないのだから元に戻るともそこはまた違う。
そういう激烈な腸以外にも起きている過程を、当事者が一番悩んでいたものを治癒することで、無かったことにする。なかったことにできる。


そんなことを心でも考える。
もしかして、外科治療と同じようなことが、個人の心を治療する時に生き方の変容をもたらす際に、その人と生きる家族や人の間、文化の中で行われているのだろう。
傷ついた誰かを生かすために、心臓役の誰かが頑張っているかもしれないし、治療自体でダメージを負って人知れず痛んでいる臓器としての子供がいるかも知れない。


生き方を変えることはその人の文化の変容である。
その文化というものは個人のものではなく親しい人たちと共に築いたものだろう。

誰か一人の心が救われると言うことは、その人の生き方にメスが入ったということであり、それはその人が構成員となっている文化にメスが入ったということだ。
それは否が応でも、その人の親密な他者、生きている環境・家族にも、その文化にも見えないところでメスが入っている。
治療をしている間、きっとそっちでも血が噴き出している。



都から見たら劇薬すぎる手術にも近いような治療をする野の医者たち。
彼らは、それをちゃんと知っているのだろうか。

怪しい野の医者もその治療で人々を助ける。それをすることはできる。

その効果が出ているのは母を見た子供として、身をもって知っている。
私の中には、野の医者がいることで治療される事実がある、それが事実であることは肯定されるべきだという思いがある。

けれど、野の医者が気づいていなそうなその治療による侵襲の深さに大きな抵抗がある。
だから、治療を歌い、朗らかに笑う彼らに私は憤ってしまう。
いや、その侵襲の高い治療で、傷ついて横で倒れている人いますよって思う。

彼らが救ってる、救われている人がいる。それは知っている。
でも、あなたたちは私たちを生み出している。
「万能のふりをしておいて」

そうなのだ、私の中で、野の医者と笑えないのは、きっとこれなんだと思う。
多くの野の医者たちは、誰かを傷つけていると思っていない。見ない。彼らは立ち還らない。私に気づかない。万能感を持ち、癒えないものをかわいそうがる。


「ちゃんと周りを見て。」
それをたぶん、野の医者と関わる人に知っておいてほしいのだ。なのに、この本には出てこなくて。野の医者がなんとなく肯定されていく、その様に。
私はきっとこの本に、惹かれつつ、もやもやしていたのだ。

治療と文化は切っても切り離せない。それまでの文化から逸脱した文化の形成という、そういう治療を行う点で野の医者は他者を傷つける。


そうして書きながら改めて思うし、こっちが主軸なのだ。

それは野の治療だけでない。私たちも同じ。治療に関わる人はみんなそうなのだ。治療を行うことで確実に誰かを傷つける。

私たちはちゃんと見れているだろうか。
野の医者を否定できるだけの、そういうものを知っているだろうか。
治療している、また治癒した当事者の外に噴き出している血に気づけているのだろうか。

安易に万能なふりをしていないか。

あなたたちは犠牲を出していないのかと他者から言われたら私は否定ができない。だから私は、安易に野の医者をバカにできない。


都で生きる治療側として

といっても、野の医者には信じるか、信じれないかしかなくて、信じない者は救わない。その嫌な性質を持つのが野の医者である。
比べて、学問として学ぶ我々は絶対を持たずに変化していける。それは大きな彼らとの違いである。
治療対象の周りに対してのケアについても研究が勧められ変化の受容ができるような取り組みがたくさんできている。


けれど、それでも専門職の中でも医療や学問を信じないものをバカにし、立ち還らない医療者がいることも知っている。

彼らは医療の信徒以外をバカにしていて、自分たちが医療の信徒であることすら気づいてなかったりする。万能であるという態度の人。

そういう人が持つ性質は、野の医者で私が苦手とする性質と変わらず、そいういう人たちが大手を振って野の医者を蔑んでいると、とてももやもやする。
そういう態度でいる限り、そう言う人たちは彼らとなんら変わらなく感じてしまうのだ。そして野の医者の、人との親密な距離をとる、取れるという点において、私たちはある意味劣る部分はかならずあるのだと思う。
そこを我々は事実として認めないといけないのではないかなと思ったりする。(もっともやり方によっては、その技法を使わないことが誠意である部分もある)


とこう書いていると
いやなにいってんの?野の医者と専門の治療者、専門の治療者が劣ることはない、と言う人もいるかもしれない。


しかし実体験として、知り合いの患者家族と話していた時に(患者家族歴20年ぐらい。ケア者と言う関係性ではない)、
「怪しいセラピーやらなんやらと医療の何が違うっていうのか。この子を育てるにあたって医療や福祉に救われたと思ったことはない」と、はっきり言われた経験がある。

これは、本当にめっちゃ悔しかった。
それがその当事者にとって事実だとわかっているから、本当に悔しかった。
ちょうどこれを言われたのは昨年この本を読む前だったから。

なおのこと本書に揺れたのだと思う。

私たちがしていることは、当事者にとっては野の医者と変わらない。支えになれねば、本人たちから価値がないの。

医療も野の医者と変わらず、人を置き去りにする。そうなってしまう。ということを私に突きつけた経験である。


専門であり学問である医療だって、当事者の治療に目を向けるばかりで、
家族ケアやQOLなどその治療の外まで見え始めているが、ごく近年だ。
入院患者のきょうだい児ケア、親が入院している時のこどもの面会の可否、セラピーとしてのセラピードックの導入、諸々のケアをとりだたされてきたのは本当に最近であり、まだまだたくさんの視点が不足している。

そういう意味で、医療者は野の医者を嗤えないし、笑ってはいけないのだろうと思う。私たちだって欠けているのだ。


けれどそうはいっても、医療は学問である。
学問だから振り返り伸びていける。変わっていける。

学問とは変化していくものだ。

野の医者や宗教はそこが弱い。
疑問を持つことを良しとされない習慣があり、意固地さがある。そしてそこを顧みれない性質がある。

その差は本書にも書いてあったように大きな違いなのだろう。



これからのわたしのための問い

とここまで、書いてきて思っている。

書いてて、くそめんどくさいし、なんかループしているし、正直心の治療に視点を向けつつも、私は心理士ではないし(そうなのだ)、当事者の治療と周りの文化とかおもしろそうで、この本をきっかけに読んだ医療人類学の本も面白くて、研究…したいなってちょっと思うけど、場もないし、ここまで書いていったい何になるっていうの??と。

ということで、最初にこう書きたくなってしまった気持ちに焦点を戻す、なんで私はこんなに長文を書いているのか。

言いたいこと

たぶん第一には、
『野の医者は笑う』を読んで、共感を持って、野の医者もいいなと思った人に言いたい気持ちがあるのだろう。

本書の中に出ていた、

荒唐無稽であるにも関わらず、野の医者の治療はなぜ癒すことができるのか。

この問いに、私なりの方向で答えを言うなら、それは巻き込めない人を見捨てるからだ、ということを。

野の医者が見捨てた人は去っていく、だから癒せるように見えるのだけだと言いたい。笑ってればいいんじゃない、と。(いや笑えないよりマシでもあるけれどさ)

もちろんその治癒はすべてが嘘ではない。野の医者と野の医者を目指す人にとってその治療は本当の価値があることだと思う。
けれど、野の医者が救うのは野の医者として笑えている人たちだけだ。
この本にはでてこない「笑えない」野の医者も多くいるということと、野の医者として生きるようになったことによって、必ず生まれている文化の狭間で新たに生まれる苦しみが、その変化のそばできっと起こっていることを書いておきたい。
そういう上に、野の治療があるのだ。野の医者は笑っているとは限らない。
それを野の医者を飲んで好ましく思ってしまった人に言いたかったのだ(そんなん知ってるわってあるのかも知れないけど、野の医者の子供として)


そして第二に、野の医者が持つ”己を省みない”という、そう言う性質は、いくらでも彼らと違い、医療や学問的な治療をしていると自負している我々にも生じるということを書いておきたい。
立ち還らずに入れば、私たちはいくらでも同じになる。
医療を信じない人をただ嗤うならば、それは野の医者と同じである。

だって医療を信じれない人しか救わないのと同じだもの。
それじゃ野の医者の信じるものだけ救うのと変わらない。

学問と言う性質が持つ、検証、チームで話し合う。そういうものに私たちはきちんと目を向けるべきだと思う。


たぶん、そこをたぶん強く思うのは書いておきたいのは、
SNSの発展で、わりとわかりやすく医療者が野の人たちをバカにするというのが目に入るようになったからだと思う。

SNSの発達で、科学的検証がなされていないことを人が安易に信じないように専門職が情報提供する、そのことはとても素敵なことである。野の医者の怪しさではなく、生きる場所、都の情報を経て彼らが困った時に助けられ生きていければ、第2第3の私が減ってくれる。
けれど、それを信じたことで嘲笑われている誰かに、私は必死で生きていた母の姿が浮かび、胸がぎゅっとなる。こどもの私の胸が母を思って痛くなる。
そして都の正しさでどうもならないものがあることも私は知っている。

だから、安易に野の医者をバカにしてあざ笑う、そういう医療者に言いたい。お前ら同じ穴の狢になってんぞ、と。
どうしても野に行ってしまう者をあなたたちが嗤うとそのことで傷つくものもいる。
たぶんそれも、どこかで言いたかったのだ。


私は野の医者か、学問の徒か、どっちになるか

そして最後に考えたかったことがある。

私は野の医者か、それとも学問の徒である医療者として生きていきたいのか。そういうことだ。

もちろん私は学問を学んでの専門職である。しかし、私もまた自分の傷つきを持っている。

野の医者の定義である、

”癒しに関わっていること”
”世紀の科学から外れていること”
 ”病んでいる病むことを生き方にしたひと”
”傷つき 病み その中でその治療と出会い癒され、癒しを行なっている”

この項目に当てはまっていないと言い切れない部分が確実にある。

だから野の医者を目指す彼らの気持ちはどうしてもわかってしまうし、傷つきを持ったまま、ケアをする立場の人間になっている、その過程に、自他を分ける意識は持っていても、単純に子供が好きだとしても、その日々に自分の癒しへの思いがないといえば嘘になる。

私が専門にしたいのは子供と家族だが、そこを見るという点で、私の中には必ず私の傷があるがゆえの視点が必ず入るのだ。それはなかったことにできない。傷ついたがゆえに傷ついた他者を助けたい、そういう視点ははいってしまう。

そのことで私は私に対して「いつだって私が苦手とする野の医者の性質を持つ人物に私自身もなってしまうのかもしれない」そういう思いを持っている。
そうなったら?私は第二の私を作る何かになるのかもしれないし、単純に気持ち悪いなと思う。

ただ同時に私はAさんという笑う野の医者を知っていて、あの人柄に癒されたのも事実であり。あのおおらかに笑う彼らのような「大丈夫」と根拠はないけど言えてしまう、そういう者の力に憧れたりもする。

医療の現場においても、ああいう魔法を使える人がいる。
私は彼らの様に「信じて救う」ことがきっとない。信じて救われる、信じさせて救う、それが怖いことと知ってしまっている。
こういう支援者であることを私であることを寂しいなと思う。そして、考え続けていることがはたまた幸せなことかというとそうとも言えないので、私は私の対面する人に、同じ考え続ける難しさを与えるのではと思うと、うーんと思う。

でも、わたしは考え続けることの可能性を諦めたくはない。
私は野の医者ではなく医療職になりたい。
学問の徒でありたい。信じるのではなくて、横で考え続けられる人でありたいと思う。

万能的に語ってその根拠はない絶対さで人を安心させられる野の医者に憧れ、その魔力的な部分に焦がれ、けれど、そういう野の医者を憎む思いを持ったまま、人と関わりたい。

そしてその「大丈夫」を信じるものしか癒さないのではない、見捨てるのではない、そういった形ではない形を行けたらいいな、と思う。


そういうことを思っている。



無理やり終了


あとがき的な

長い読書感想文。7つに分けていたけどそこまでの内容でもないのでまとめました。

読み直していて、
治療の現場にいる時に、野の医者的に振舞える人、「私を信じて」と微塵の疑いもなく素で思って、それを相手に言える人に対して、ずっと違和感と憧れを持っていて。
たぶん、そのことについて、なぜ自分はああなれないのか、を言葉にしたかったのかなと、読み直してて思いました。
あとは正論という暴力を振るう医療者にどうすれば、同じ穴のムジナにならないでもらえるかとかそういう視点はもっと言いたくて、今後も検討していきたいなどと思ったり。

ただ最後に書いた、

その「大丈夫」を信じるものしか癒さないのではない、見捨てるのではない、そういった形ではない形を行けたらいいな、と思う。

について、私は私の家族を見捨てているので、またややこしいのですよね。支援者としての自分と娘としての自分。

そこらへんは支援側としてはファミリーセンタードといったりするケアの形と含めて今後ゆるく考えていきたいところ。


しかし結局治療というよりは「変化」は人を傷つける、それが大きいものであればあるほど。っていう話なのかもと思っています。
ただ人生に変化はつきもので、今なんてさらにそれが目立っている時期で。

つーことは、極端な変化をなくす(野の医者をなくすみたいな視点)というよりは、「変化を楽しむ心意気」なのか、とか器なのか、とか、いやでもしかし…などと考えておしまい。


東畑開人さんの本はマジオススメです。
医療人類学とか社会学的なのに興味を持ち始めた入り口になった。

しかし、これで、やっと居るつらを読める。



ちょっと追記

「野の医者の子供は笑えるか」

ここまでまとめて、(しばらく前に書いたことだし、けっこう違和感ある部分もあるけど、まあ投稿しよう)って思いながら、トップ画像にする写真を選んでいて。こどもで写真を検索して、その笑顔だったりする一枚一枚を見ていたら、もともとつけていたタイトルの『野の医者の子供は笑えない』を変えたくなって、『野の医者の子供は笑えるか』にタイトルを変えた。

そうして考えたくなった。
野の医者の子供だった私は笑えるだろうか、と。

正直わたしは、もう親の前で笑えない。
友達と笑う時のような、なんの憂いもない、ただ笑うことが楽しいという気持ちで親と笑えることはないと思う。親が抱える野、大きく言えば生き方と、わたしはまた別の生き方を持っている。かれらは私のそれを受けいれて"笑って"はくれないし、私は過去に与えられたものから、笑うことができない。親密な他者の皮だけ持っているのに、私たちは笑い合えない他者になった。よく言えば自立、悪く言えば決別した。もし笑い合うなら、多分その前に殺し合いをしないといけないぐらいだと思う。
それは悲しい。子供は親と笑い合いたいものだ、視線が合うあの甘い感覚、それが共有できなくなったことは悲しい。

ただ、それでも人生において、野の医者のこどもだった私はいま、それでも笑えている。
与えられた野以外でだって、人はいくらだって笑うことができる。
笑えなくなったら笑える場所を探していい。親から与えられるものが唯一なんてないし、一度選んだものを捨てていけないわけはない。
自分に与えられた野が合わず、目の前にある都が合わなく感じても、地球は広くて野原はいくらでもどんなものだってあるし、都だって一つではない。

野の医者の子供として笑えなくたって、笑う方法はいくらでもあるのだと、なんとなく付け足しておきたいし、野の医者のこどもたちにそれを伝えていきたいな、などと書いておしまい。

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