ネロは生まれてこない方がよかったのか
春になった。日中窓を開けていれる、気持ちがいい時期である。
昨年の春にはまったドラマを見直す。『カルテット』の坂元裕二が描いた、『それでも、生きてゆく』というドラマである。
*
この作品の中で一つの印象的な台詞が出てくる。
「ネロは生まれてこない方がよかったのかなぁ」という台詞。
このネロはもちろん、パトラッシュの飼い主のネロである。
ネロとパトラッシュのお話は悲しい物語だ。
第一話において、主人公の小学生の妹が本を読みながら言う。
「なんでこんな悲しいお話があるの?」
「ネロは生まれてこない方がよかったのかなぁ」と、主人公に問いかける。
悲劇を読んでの子供の素朴な疑問だ。
パトラッシュのアニメをうろ覚えながら思い返す。個人的には、ネロが楽しそうにしているシーンもあった気がする。が、確かに町の人に嫌われ、おじいさんも亡くなり、最後が有名なあのシーンだ。
「ネロは生まれてこない方がよかったのかなぁ」
子供が純粋だからこそ持つ、残酷なある意味まっすぐな感想だろう。
その問いは、何回か浮上するように台詞の中に登場し、明確に物語の中に佇んでいる。けれど、物語を通して、その問いの明確な答えが語られることはない。その答えを出すための場面があるわけでもない。
「かわいそうなお話だよね」「なんでこんなお話あるんだろうね」
問いに対して、無邪気に同情だけで感想を言う女性もいる。
その台詞すらこのドラマの物語自体を見つめている台詞だと思う。
このドラマは、殺された主人公の妹と、殺人犯となった主人公の友達。その被害者家族と加害者家族、それぞれの家族の15年後の日々を描いた物語だ。
「〇〇は生まれてこない方がよかったのかなぁ」
この純粋な問いは、子供のまま殺されてしまった妹自身に、
その妹を殺した殺人犯の少年自身にひっそり向けられているようにみえる。
殺されて、一家離散と悲しみと罪悪感をもたらした妹の存在。
殺人を犯し、家族の未来を狂わせた、少年の存在。
物語で、その問いは否定も肯定もされない。ただ問いが置いて在る、そんな感じ。その姿勢が、逆にまっすぐと感じる作品だ。
語れるものなどない。けれど物語の中で、『それでも、生きてゆく』彼ら自身が、その答えであるように見える。
私も、昔同じ問いを持ったことがあった。
「〇〇は生まれてこない方がよかったのかなぁ」と言うその言葉を
呪文みたく繰り返してた。
それは、私の弟。姿も声も見たことがないお腹の中で赤ちゃんのまま亡くなった弟に対してだ。
「お腹の中で死んでしまって、悲しいしか残さなかった」
「生まれたけど、産まれられなかった弟は、初めからいない方がよかったのかな」
noteをなんとなく初めてみようと思った時、
彼の話を書いてみたいと思った。
私の愛すべき弟のこと。実はお姉ちゃんとして生きていた自分のことを。
何回かに分けて、記していこうと思う。
果ノ子
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