嘆く人に届かない気持ち

世の中酷いことになったと嘆く人がいる。
けれど個人的には、できることがあると思う。

とこの前の記事書いていて、あーなんかデジャブがあると思った。

この書いてる時に浮かぶ感情。
母と私のやりとりを思い出すのだ。


母は世の中の酷いことを嘆く人だ。

前回実家に行った時もそうだった。
その時は、世の中の事件になったのか、戦争の話にでもなったのか。

「果ノ子は世界が良くなっていると思う?」って母に聞かれ、
「世の中は良くないほうになっている」と悲しそうに呟かれた。

私としては、毎回のことに、ただこの意見に同意もできなくて。
(同意したら神様の話になるから)こう答えた。

世の中、悲しいことはあるけれど、それでもいろんな人が誰かのために何かをしているよ。医療で言えば、江戸時代から比べれば、こどもの死亡率も格段に下がってて。妊娠で人が死ぬことはこの50年で格段に減った。
全く良くなっていないわけでもないよ。みんながどうにかできないか、頑張っているんだよ。私は働いていて医療の分野だけでも、それを知ったよ。


私はいつも、その悲惨な世界で知った救いのあることを伝えたくて話す。
多分、母にだから、そんなに悲しそうな顔しないで。そう言いたくて。


けど、その時も心底驚いた顔をして言われた。
「じゃあ、果ノ子は世の中が良くなっているっていうの。戦争で死ぬ子供がいるのに。」「人が傷ついていてもいいだなんて、考えているの。」  

「…お母さんはそうは思わない。」そうやって顔をそらされる。

その、心底悲しそうに驚く表情に、この子はなんて酷いことを考えているんだろうと、そう言われているように感じる。


今回も、話が通じなかったな、と思って帰ってきて。

そうして今、私はかなり腑抜けた無職だけれど
ちょっとぼんやりしているのに、これ、絡んでいるのかもなって思った。

なんだか、あぁ何しても変わらないって少しバカらしくなったのだ。


だって、例えば
今回の虐待の話に母と話していてなったとして、
私が母に話せるのは、このことだけだ。
これ以上はない。

でも、これじゃ通じない、のだ。

どんなに世の中具体的にできることがあるし、
ここから始めないとどうにもならないじゃないかって思ったって、
それを見ようとしないものが身近にいる。
届かない人には届かない。

そうして、届かない人からすると私の方が悪者だ。
人にはまだ希望があると語る私がバカみたいだ。
そのどうにもならん、という虚しさはいつでもちょっとだけ私の根底にある。物事の足を引っ張る。



本当に嘆くだけの人は割といる。

世の中、よくならん。
昔の方が良かった。
自然も少なくなって子供たちがかわいそう。
凶悪犯罪が増えて、嫌な世の中だわ。


大人のそういうの聞くたびになんだかざわざわする。


あなたたちが作ってきた世の中じゃないか。
そこにあなたたちが、私たちを勝手に生みだしておいて。
手放しに嘆くだけ?舐めんな。
どうやっても私たちはここで生きてくんだし、治すのもよくするのもあなたたち(そして大人になった私たち)じゃないかって。
悲劇のお姫様気取りかよ。

そう思ってしまう。

「社会はクソだ」っていう大人も不思議に思う。
学校でいうなら、「自分のクラスまじくそ」っていっているようなものじゃないか。おめえがクラスの質下げてんだよ。


そんなこと考えながら、最初は落ち込んで今はイライラしていたら
ドラマの『カルテット』の元妻さんの台詞が浮かんだ。

「言われた、された、言われた、された。
そんなことだから離婚された んやんかっ。」


嘆くっていうのは受身的な行為だ。
誰かの何かに泣いてもいいし、悲しくなって当たり前だし。

私も落ち込んだ時は、された・やられたことばかり繰り返している気がする。

結構きついし、動けなくなっても仕方ない。

でも、動き出さないといけない。

私たちは、死なずに手足があるのだから。


と、自分に喝を入れて終了。



(書き始めて、なんかまんじりもせず文章が続かなかったのだけど、二転三転して強制終了。)
(動き出さないといけないという部分は『孤独か、それに等しいもの』という小説の一編が頭によぎったので少しおすすめ。)
(人生を嘆くためにあるような人に対して私はすごく悶々とするのだけど、夜寝てて、夢の中で「生きていくことは祝福だ」と人物が言ってて、あぁ私はそっち側でいたいんだなと思った。揺れても、基本は、そっちでいたい。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?