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悲しみを半分こにできるのではという理想と現実

小さい頃にNHKの歌で習った。
「二人でなら悲しみは半分こ、楽しいことは2倍になる」そういう考え方。きっと身に沁みて、持っていた。

だから悲しいことは、最終的にどうにか人と分けた方がいいと勝手に思っていた。人、もしくは特定の誰かにわかってもらい、やっと癒される。
同じ経験を持つ同士で分け合う。
そこを悲しみのあり方として理想としていた部分があったのだ。

死別に対しての悲しみ[悲嘆]とその生理的な人の反応を、グリーフgriefという。
そのグリーフから人が生きていくことをケアすること、サポートすることとして、グリーフケアやグリーフサポートという分野がある。

仕事として、またボランティアとしてその分野に関わる中で、
あ、これ理想ではあるけど違うってようやく気づく部分があった。

やっぱり、悲しみはどこまでいっても私のものは私のもの、だということ。

そして、必ずしも誰かとちゃんと半分こしなくていいんだということ。


そういうグリーフに関わる諸々をちょっとまとめていこうと思う。



果ノ子
(ごめんなさい、ただの前振りです。)
(個人的なところを書くか、回想録にするか、方法論書くかなんか紹介書くかはちょっとまとめ中です。ちょっとまとまるまで、投稿ペース落ちます。でもまあ書きたいようには書く予定です。)

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