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自分を大切にするということ

執着を手放す本を読んだ。
彼女に執着したくないから。結婚相手を探してこれから結婚しようとしている彼女の邪魔になるネガティブをもうこれ以上持ちたくないから。

自分は既婚者でバイシェクシャル。女性が好きで2.5年ほど関係のある彼女が、
私が何も決断できないのと、私といない未来を見てみたい、その可能性を信じてみたくて2ヶ月ほど前に、結婚相手を探すと言われた。

それから1ヶ月は辛い毎日だった。朝起きても夜寝る時も彼女のことばかり。
辛かった。私は夫のことも愛してるが彼女のことも愛している。
矛盾しているが、本当にそうなんだ。

彼女のことを応援しないとならない、応援したい気持ちもある。でも辛かった。
彼女は私との関係はこのままで、ただ自分に旦那がいればいいと言っていた。
そしたら私に嫉妬せずにもっと良い関係でいられると。

彼女がアプリで知り合う男性と会うたびに心がつらくてどうしようもなくなった。

今の気持ちはその頃よりも成長できている。

彼女だけを見ても仕方ない。だからアプリで女性と出会って、話をした。
友達とも会って全てを話した。そうして、彼女から距離を置いた。

自分を大切にするとはどういうことか

依存してる時は、相手が離れていかないように自分を犠牲にしてまで相手に尽くすんだ。私もそうしていた。仕事と彼女の付き合いの両立が大変だった。彼女ががっかりする姿を見たくなくて、彼女の知人とご飯につれて行かれて社交辞令した。

そう、連れて行かれたという表現そのままだけど、自分は別に行きたい意思がそこまでなかった。彼女は職業柄、年上の男性と友達のように接しているが、その男性たちもきっと彼女のことが愛嬌あって好きなんだろうな(だから毎回ご飯ご馳走してるんだろうな)と思っていた。

そんな付き合いに誘われて私も嫌ではなかったけど、めんどくさい気持ちはあった。彼ら(70代)は皆、自分や彼女といてニヤニヤしてる感じが心が男性の自分にはわかった。もちろん露骨な下心は見せてこないし本当に子供のように思ってくれているのかもしれないけど、自分の父親が自分と同じ年くらいの女性とご飯に行ってたら、なんだか自分は嫌悪するだろう。

でもそんなことですら、彼女が喜ぶと思って誘いを断れなかった。
彼女は自分の好きな人たちに私がいて欲しいようだったから。

でも目上の人との会話は気を使うし(仕事でもないのに)ご飯ご馳走してもらわなくていいから行きたくない日もあった。

そんなことから何から何まで彼女を優先して合わせてきた。
ある時「執着を手放す」本を読んだ。自分を抱きしめてあげるセッションがあった。辛かった時、悲しかった時、その頃の自分に今会いに言ってなんて声かけてあげるかというものだった(たくさんセッションあるうちの一つ)

涙が止まらなかった。私は自分の声を無視してた。自分が可哀想になった。
仕事の会議の合間に彼女に会いに行ったこと。仕事の返信していると彼女が機嫌悪くなって、両立が難しくても彼女の機嫌をうかがっていたこと。

彼女が私を言葉で傷つけるたびに、傷つきながらも愛しているから諦めることをしなかったこと、自分が耐えればいいと、心のどこかで暗黙的に思っていた。

そんな過去の自分に会いに行った時、抱きしめてあげたくなった。

今辛い人は、過去に辛かった時でもいい、今その頃の自分に会いに行ってみて、なんて声かけてあげれるだろうか。

頑張ったね、辛いよねって。泣くなよなんていえない。だっていっぱい泣いてきたから。離れてほしくなくて自分より相手を優先してきたんだよね。簡単に見えてそれは大変な時もあったよね。でも相手はそこまでして、自分を犠牲にしてまであなたに尽くしたかな。

自分が可哀想に思えてきた

それから、もう無理はしないと思うようになった。時間があっても彼女のところへ行けても、自分じゃなく彼女がこっちへきてくれるなら行く、と思えたりした。
だって私が可哀想だもん。もう我慢したくない。
もっと自分を大切にしようと思うようになった。そこからかもしれない、彼女に前ほど執着しなくて済んだのは。

あなたを大切にしてくれる人は、あなたのことを悲しませたり苦しませたりしない。自分を大切に、守ってあげれる一番強い見方は自分だ。


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