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鮮魚街道七里半[三巡目]#2

-利根川から江戸川まで-

 江戸時代から明治初期、銚子で水揚げされた魚をなるべく早く江戸まで運ぶため、利根川と江戸川を陸路で繋いだ鮮魚街道(なまみち)をめぐる旅の三巡目。

千葉NT(印西市)→高柳(柏市)

 二〇二二年五月三日(火•祝)。

 二日前の五月一日に母親が悪性リンパ腫で亡くなった。享年八二歳だった。火葬場の都合で通夜と葬式が4日後になってしまったので、3日間ほど時間を持て余すことになる。もう朝晩とオカンの紙パンツを換える必要が無くなった安堵感と引き換えに、ポッカリと心に穴が空いてしまった。
 思えばこの3年間は母親の介護中心で生活してきたので、それは埋めようもないほどの穴だった。家でぼーっとしていても仕方がないので、写真でも撮って気を紛らわそうと、重い腰をクリーン&ジャークで持ち上げた。

 駅までの道すがら、近所のおばちゃんに出くわした。こんな時、一番会いたくない放送局のようなおばちゃんである。
 「最近お母さんの体調はどう?」というピンポイント且つどストレートな挨拶に、私は面倒ながらも嘘がつけなかった。「5月1日に亡くなりました」と答えると間髪入れずにおばちゃんの携帯が鳴ったので、通話中のおばちゃんを放置して急いで最寄り駅に向かった。
 おばちゃんがターミネーターのように追ってはこないかと、後ろを気にしながら駅のホームに着くと、すぐに電車が来てくれた。念には念を開いたドア際から同じ電車におばちゃんが乗り込んでいないことを再度確認した。

 私は何から逃げているのか?
 面倒くさい現実の全てからである。


 新鎌ケ谷駅で下車し、北総線に乗り換えた。斜め前には眩いほど白いワンピースの女性が座っている。地味目な顔に、これまた地味目な細いフレームのメガネをしている。メガネが異様にダサい。七〇年代の小椋佳みたいなメガネが、彼女のすべてを台無しにしている。歳の頃なら二十歳も半ばごろだろうか。ダサいメガネとアオザイのような純白のワンピースとのギャップで、良くも悪くもかなり目を引く。
 すると彼女の電話が鳴り、なにやらタガログ語で話していた。フィリピーナだった。彼女は残念ながら2駅先の白井駅で降りてしまった。

白いワンピースなだけに。

 いや、フィリピーナにうつつを抜かしている場合ではない。この電車が千葉ニュータウン中央駅に着く前に、どのバス停で降りれば効率よく鮮魚街道にライドオンできるのかを調べなくてはならない。スマートフォンで検索すると、ふれあいバスの南ルートなら待ち時間なく乗れることがわかった。本当は西ルートの木刈四丁目バス停で降りたいのだが、それだと二〇分ほど駅前のロータリーで待つことになる。ひとバス停ぶん歩くのだが、ふれあいバスの南ルートを使い、木刈フレンドリープラザ前で降りて、5分ほどの距離を歩くことにした。

 私を乗せた電車は新鎌ヶ谷から4つ先の駅、千葉ニュータウン中央駅に到着してた。青いラインの入った北総線は、私を猫の毛玉のようにずるりとドアから吐き出した。駅のロータリーで8分待つ間にカメラの準備をする。今回はLEICA M9に旧コンタックス時代のレンズ、カールツァイスゾナー50mm F2・0Tをマウントアダプターを介して装着している。アメデオというベネズエラ製のマウントアダプター。アメデオ・ムシェリおじさんが一つ一つ丁寧に製作しているので、非常に精度が高く操作感がいい。私は2種類持っているが、どちらもパーマセルテープで絞りと距離計をレンズ鏡胴に固定して使っているので、アメデオアダプターが織りなす滑らかな操作性は一〇〇%堪能できてはいないが、レンズ交換の時のカチッとしたマウント部の装着感は見事なものだ。絞りはF11、距離は7・4mにセットするとおおよそのピントが合う計算である。旧コンタックスのレンズは人気がなく現在も安価で手に入るので、あの世界のカールツァイスのレンズがリーズナブルに使えることになる。
 ライカをいつものスナップ撮影スタンバイ状態にセットしたあと、ちょうどいいタイミングでふれあいバスが来た。

 そこそこ混んでいるふれあいバスだが、ふれあってはいけない空気だった。車内前方の電子掲示板を見て、このバスが確実に木刈フレンドリープラザ前で停まることをチェックした。バスは6分ほど走り、木刈フレンドリープラザ前に停車した。どこがフレンドリープラザの施設なのか確認出来なかったが、閑静な住宅地のど真ん中で降ろされ、決してフレンドリーな雰囲気ではなかった。
 駅からバスで6分。
 そんな距離ぐらい歩けよと言われるだろうが、侮るなかれこの6分の距離が武田幸三ばりのローキックのように後からジワジワと効いてくるはずだ。

 しばらく歩くと鮮魚街道(木下街道)が見えてきた。しかし、並行する道はあれど、目の前は畑で延々と合流する気配がない。これはマズイと思い、畑のヘリを歩いて横断し、パチンコ屋のどデカい看板の下からしれーっと木下街道に出た。
 神社の鳥居の脇を右に入り、やっと鮮魚街道である。やはりタイトな道は健在だが、GWど真ん中のせいか少しだけクルマの交通量が少ない。未だ行ったことがない阿夫利神社を三巡目にしてちゃんと参拝した。いきなり山を下るので壮大なスケールの神社かと思ったが、割と小さめの神社だった。しーんと静まり返った神社の境内にいると、遠くから中東の音楽が微かに聴こえてくる。恐らく隣りの敷地の自動車解体工場の外国人労働者が作業用BGMとして流しているのだろう。どこか寂しげに聴こえる女性ヴォーカルの流行歌だった。

 次に目の前に立ちはだかるは、巨大な水溜まりだった。今どきベトナムやアフリカにすら無いような、とんでもなく大きな水溜まりを避け、さらにクルマが来ると水が跳ねるのでタイミングを見計らいながら水溜まりを横断するという、昔、ファミコンで無数にあった糞ゲーの実写版みたいなヤツをやらされている。私は無事にクリアしたが、後ろを歩いている少年はどうだろうか。振り返って高みの見物をしていたが、悔しいかな、ちょうど彼が水溜まりを渡る時にクルマは一台も通らなかった。ちなみに少年だと思っていたが若い女性だった。しばらく同じ道を歩いていたので、恐らく鮮魚街道を歩いていたのだろう。
 水溜まりゾーンを抜けると、サバゲーの敷地が続く。高いフェンスで見えないが、数センチの隙間から覗き見るに、これからゲームが始まろうとしていた。マイクでなにやらルール説明をしているようだ。ロシアによるウクライナ侵攻がふと頭をよぎる。戦争にはルールがないのだ。

 サバゲー場を越えると、ここから先は本当に退屈な道が続く。梨園は摘果の作業をしているのだろうか、示し合わせたようにどこの農家も脚立を使い黙々と作業をしている。
 比較的交通量の多い産業道路の歩道とも呼べないような歩道をひたすら歩く。そしてやっと工業団地。3回もこの工業団地を訪れるとまったく新鮮味がない。ましてやゴールデンウィークの真っ只中、工場はどこも完全に稼働停止している。たまに工場の敷地内にクルマを洗いに来てる若い工員がいる程度。途中、河原子の交差点にあるミニストップでミニストップした。紙コップをレジに持っていき、お金を払い、コーヒーマシンから自分で注ぐタイプのやつだ。普段は面倒だし、システムが分からないので敬遠していたが、田舎なのでトライしてみた。コーヒーマシンの前にはすでに女性がアイスコーヒー3つを注いでいて、私が後ろに並ぶと焦っていたが、全然焦らなくていい。むしろやり方を学習できる。女性は元ヤンだろうか、少し水商売の匂いがした。腰だけは低く、私に丁寧に待たせたことを詫びた。
 ここで一〇分ほど足を休ませた。この街道を三巡ほど歩いて分かったことは、途中に休める公園がないということだ。なので、夢中になって歩いているとついつい休憩を忘れてしまい、後半から歩けなくなる、そして写真どころではなくなるのだ。ありがたいことにミニストップには椅子とテーブルがあり、飲食もできる。こういうスペースでくつろぐのは、我ながらナイスアイデアである。

 珈琲の紙コップを捨ててミニストップを出た。忘れてはいけない、ここは河原子の交差点。あの白井工業団地のど真ん中である。とりあえずの目標であり、心の支えは国道一六号線沿いにある家系ラーメン「寺田家」の青ねぎラーメンである。こんな過酷な道で、青ねぎラーメンだけが希望の灯火なのである。
 白井工業地帯ゾーンは写真の撮れ高も無く、だらだらと続く工業団地を端から端まで歩くだけで終わった。

 工業団地を抜けるとまた単調な道が続く。梨園と雑木林が延々と繰り返されるすぐ脇を大型ダンプが掠めるように走る。

これが白井の無間地獄。

 そして、やっと国道一六号線が見えてきた。この国道を左に曲がるとすぐに家系ラーメン寺田家がある。競歩のように急いで歩き、ローカルのオババを追い越す。ラッキーなことに店の前にクルマは一台もない。これは空いている、と思ったら「準備中」の札が下げられていた。火曜日は定休日だったのだ。目の前には京都北白川ラーメン 魁力屋がある。道路を渡り、店に入ろうと思ったがやめた。もうすでに食道や胃そして小腸大腸肛門までもが、青ねぎラーメンを受け入れる体制になっていたからだ。こんな状態で体内に京都北白川ラーメンなんぞ注入したら、レスラー・怪獣、私が相手だドッタンコ!バッタンコ!大騒ぎになってしまう。

 諦めて街道に戻り、とぼとぼと歩くことにした。道端ではそんなに若くもない兄ちゃんがキャッチボールをしていて危なっかしい。腹を空かしたこの私に少しでもボールが掠ったら、とんでもないところに放り投げてやろうと思ったが、私が横を通るあいだは、ちゃんとキャッチボールを休止していた。会話を盗み聞くに、どうやらこのGWに帰省して久しぶりに会った兄弟らしい。知るか、けっ。

 ここからほんの少しだけ柏市を歩く。国道一六号線の喧騒を避けていつもの裏街道へ。
 今回は民家の脇を通り、ちゃんと金毘羅宮をお参りした。とはいえヤバいほど荒んでいた。すぐ先にでんと構える常夜燈がある。この鮮魚街道の中間地点だという。ここで魚に水をかけて新鮮さを保ったそうな。
 常夜燈を抜けるとすぐに航空基地のフェンスが見えてくる。正門には日の丸の国旗が掲揚されている。今日は憲法記念日なのだ。一巡目の時はバテてしまい、ここからバスに乗ったのだが、今回はまだ体力がある。ミニストップ休憩が効いているのだ。鮮魚街道は基地の敷地内を通る。私は兵隊さんじゃないので、迂回するしかない。今回は滑走路の北側を迂回することにした。
 基地のすぐ横なのに民家が呑気に立ち並ぶ。庭でバーベキューをしている家族とばっちり目があってしまった。子供たちは家の周りをはしゃぎ回っていたが、こんな住宅街の細道をカメラをぶら下げて歩くことがどれだけ異質かを父親の目が物語っていた。

 夜間着陸用のサーチライトの基部に墓が並んでいた。当然、サーチライトが先に建ち、後から墓場が出来たのだろうが、ご先祖様は落ち着かないだろう。

 基地を抜けると一旦鮮魚街道を離れる。離れるといってもここは迂回路なのですでに離れているようなもんである。あとは東武鉄道野田線(東武アーバンパークライン)の高柳駅に向かって歩くだけである。マクドナルドが突然目の前に現れたので寄った。股関節が痛み出したからもう一度休憩を挟む。ドライブスルーばかりを優先する店員にあたり、かなりの時間待たされたが、店員の瞳が涼しげで美人だったので今回だけは許すことにした。
 珈琲のMサイズを受け取り、窓側の席に座った。向かいにはオババ2人がひそひそ声で誰かの噂話をしている。横は中坊4人組がスマホのゲームを静かにプレイしていた。
 窓から眺めると道は渋滞していた。帰省なのか、ファミリーカーが多かった。じっくりと足を休めたので、珈琲の紙コップを捨ててマクドナルドを出た。

 父親と少年が目の前を黙々と歩いている。このクルマだらけの船取線を人が歩いているだけでかなり目立つのになぜ故にと観察していると少年は虫アミを持っていた。多分、昆虫採集の帰りに私と同じ高柳駅を目指しているのだろう。ショートカットして追い越してやろうと思ったら道に迷い、完全に先を越されて駅前のロータリーに出た。一六時四〇分というナイスな時間帯で高柳駅に着いたので、帰りは地元の立ち飲み屋「ぴっぽっぱ」に寄って一杯引っかけた。

 ふと、濃いめの酎ハイに酔って、姉貴が母親の死後、病室で言った言葉が脳内にリフレインされる。
 「お母さんはお父さんの時より穏やかに旅立って良かったね」。危なく「そうだね」と相槌を打つところだったが、いや、違う違うそうじゃない。姉貴はこの3年間コロナを言い訳にオカンから逃げ回ってきたから、そう感じるのだ。親父は癌発見から3カ月苦しんだだけだが、オカンと家族のこの3年間は、まさに地獄絵巻だった。パーキンソン病による転倒骨折流血の雨あられ。痴呆症、最後は悪性リンパ腫と介護するほうもギリギリだった。
 腹が立ったので、愛媛県産◎黒鯛刺¥三五〇と鹿児島県産◎かつおタタキ¥三五〇を頼んでやった。店は貸し切り状態だったのでなかなか帰れず、一人お客さんが来てくれたので店を出ることにした。

 翌日、撮影した写真をパソコンでチェックすると、全てのカットにホコリが写っていた。

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