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銚子街道十九里#4

ー神崎から佐原までー

 土手に登り、私はいつもと反対の方向に歩き出した。3回の撮影行で鮮魚街道の旅は力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれた利根川に沿って銚子まで下ろうと思う。つまり、この川が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。その道を銚子街道と呼ぶらしい。
 布佐河岸に標識が立っていた。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。

    *

 1月吉日。
 10時半に家を出た。
 前日の酒が残り、撮影に出かけるかどうかさえ決めずにほわほわとしていたら、こんな時間になってしまったのだ。
 8時半がタイムリミットのゴミ出しだけはちゃんとやった。それからご飯を食べたり、シャワーを浴びたり、洗濯して干したりしてから、ダラダラと撮影機材の準備をした。実はこの準備が一番楽しい。
 娘を嫁の実家に預けて、嫁は早朝から一日中ガッツリ仕事。私の予定は何にもない。またとない撮影行のチャンスなのだが、肝心の体調がすぐれない。なんなら少しお腹も痛い。愚図って中止にする理由は山ほどあるのだが、自分で自分を説得し、産まれたての震える子鹿のようになんとかお外に出れた。
 JR津田沼駅で成田空港行きの電車が来るまで時間があるので、一旦トイレに入りゲーリーホームランのお腹をスッキリさせてからホームに向かう。まだ電車到着まで時間があるので、先頭車輌なら空いているかと思い、端っこの乗車口まで来てしまったのだが、何やら隣りのホームにカメラを持った小僧が数人いる。珍しい電車が来るようだ。期待して待っていると「回送」と書いてある垢抜けない電車が申し訳なさそうにやって来た。

 こりゃマニア向けだな。

 私もカメラを取り出して数枚撮影したが、側から見たら私も同じ鉄道オタクに見えただろう。光栄である。

 そのすぐ後に成田空港行きが来た。車内は正月休みの旅行者などでごった返しているのかと思いきや、そこそこ空いていたのですんなりと座れた。
 目の前に透きとおるほどの色白の美人とその母とおぼしき女性が座っている。どこかテレビで見たことのあるような美人だ。帽子を目深に被り、スマホも見ずに黙って座っている。母らしき女性も一言も発さず、ただ黙って座っているだけ。私しか気がつかないだろうが、かなり異様な光景だった。
 成田駅に着くと私は成田線銚子行きに乗り換える。先ほどの美人は母との初詣なのだろう。結局、成田まで母親とは一言も交わさぬまま改札口に消えていった。やっぱり芸能人かな。
 乗り換えの銚子行き電車は案の定20分間も待たされた。
 成田線は成田駅始発なので予定時間より少し早めに来た。ドアは車内暖房のために一輌に一つのドアしか開いていない。ガラガラの車内は、ほぼタイミングをずらした帰省客が数人。
 時折り後ろの対面式の座席からおっさんの「ゴォゴゴゴゴゴゴーッ」と思い切り鼻をすする音と、そいつを喉から口まで「ガーーーーッ」と送る音が聴こえるが肝心の「ペェェェェッ」の部分が聴こえない。そのまま痰を飲み込んでいるのだろうか。おっさんの姿カタチは見えないが、想像すると恐怖でしかない。痰は永遠におっさんの身体をゆっくりと巡回するのだ。

 まるで永久機関のように。

 そのおっさんが急に喋り始めた。最初は痰が脳にきておかしくなったのかと思ったら、会社から緊急電話があったようだ。どうやらおっさんは運送会社の社長さんかなんかで、社員からの電話によると、トラックのバッテリーがこの正月休みで上がってしまってどうしたらいいのかの緊急連絡らしい。おっさんは橋田壽賀子のドラマのト書きのように電話口の社員の台詞を全部復唱するので、話しの内容が丸わかりだ。「参ったな。いま初詣で佐原にいるから行けねぇんだよ」と嘘をついている。

 残念だがおっさんはまだ成田駅で
 しかも発車前だ。


 やれ、日野自動車に電話しろだの、社内のアイツなら直せるだの指示していたが埒があかないらしい。しばらくするとおっさんは停車している電車から降りて階段をかけ上がっていった。

 まるで嵐のような人だった。

 成田線成田駅から銚子に向かい3駅目が今日のスタート地点、下総神崎駅である。
 何もないはずの駅なのに下車する乗客が結構多かった。みんな帰省だろうか。ガラガラを引く人が多い。駅舎は前回ゴールのときにねちっこく撮影したので、振り返らずに利根川に向かってずんずん歩くことにした。おっと、私はここでカメラをやっと鞄から取り出した。そうそう、ウォーキングに来ている訳ではない。撮影に来ているのだ。

 今回は意を決し、ここ下総神崎から一気に佐原まで歩くつもりだ。15キロぐらいあるかな。そして、グーグルマップの航空写真を駆使し、点在する集落と集落を結んで歩こうと思う。ただし、真上から見ると集落と集落の間は結構遠く、気絶するほど田んぼしかない。
 脚のコンディションは絶好調。これなら佐原まで快調に歩けるだろう。
 まずはジグザグに駅前を歩きながら、徐々に利根川に向かう。下総神崎駅から北へ向かい利根川まで1キロ以上は離れているのだ。
 しかし、グーグルの航空写真をもとに集落を巡る作戦は功を奏した。痺れるほど渋い民家と何も無い農道の繰り返しのローテーションで私を飽きさせない。外犬にわんわんと吠えられるのも田舎道の醍醐味だろう。

 利根川に一旦近づくと、なるべく離れないように土手を意識して歩く。土手ばかり意識し過ぎて、気がつくと田んぼの真ん中の畦道を歩いていた。ずーっと先に鳥居が見えて小さな集落があるのだが、どこをどう歩いてあそこまでたどり着くのか分からない。川口探検隊のように道なき道を進んでいる感覚だ。すると、横を軽トラが駆けぬけた。軽トラの立てた砂ぼこりを見ながら、たどった大体の道筋を覚えておいて、軽トラと同じコースをたどる。軽トラが走れるということは多少の舗装はしてあるだろう。

 先ほど抜かされた軽トラが田んぼの真ん中で停まっていた。きっとここはあの軽トラの持ち主の田んぼだろうし、すれ違うのも気まずいので少し遠回りをして真横を通るのを避けたつもりだったが、道が湾曲していただけで結局は軽トラの真横を通るハメになった。こっちは何もない田んぼでカメラをぶら下げて歩いている。普通の人からしたらそりゃ充分怪しい。
 そろりそろりと目立たぬように軽トラに近づくと様子がおかしい。かなり車体が斜めになり、アグレッシブな停めかたをしているのだ。いや、舗装もされていない田んぼに駐車するからそんなもんだろうと思っていたが、さらに近づくと用水路に後輪だけハマって宙に浮いているではないか。
 農家のおじさんは用水路に落ちた軽トラの下に潜り、スナイパーみたいなカッコしてひとりで必死になって直そうとしていた。
 この何もない田んぼのど真ん中で、緊急事態のひとの至近距離を通るのにそのまましれーっと通り過ぎるワケにも行かないので、意を決して「だ、大丈夫ですかー?」と声をかけた。
 振り向くと松木安太郎を若くしたようなお父さんだった。多分、私と同じくらいの年齢だろう。
 彼ははち切れんばかりの笑顔で「くっそ、やっちまいました。いやーどうしよう!」と答えた。私はライカとバヴァーのコートをすぐさま田んぼの脇に置き、颯爽とトレーナーの袖を捲りながら軽トラに近寄り、荷台をひょいと持ち上げようとした。

 全然びくともしない。荷台めちゃ重い。

 さらに溝に落ちているので足場が悪い。腰も痛い。手も痛い。汚れたくない。
 さて、男が二人揃った。あと一人いれば持ち上がるかも知れない。しかし、この辺りに人なんかいない。遠くに黒ゴマのように小さく見える油の切れたロボットのようにぎこちなくウォーキングしている爺さんしか見えない。

 あれはダメだろう。

 彼は諦めるとスマホで電話をして、実家にあるブロックと木の板を息子さんに持ってきてもらうようにお袋さんに頼んでいる。電話だと要点を掴めないお袋さんに半ば切れかかっている。そのブロックを下にかましてジャッキで車体を上げて、タイヤの下に木の板を敷く作戦で行くらしい。
 ラッキーなことに息子さんは普段大学生で家にいないのだが、今日はたまたま家にいたのだ。彼が電話をしてから20分ほど待つと息子さんとおばあちゃんが駆けつけてくれた。おばあちゃんは昭和16年生まれの82歳、死んだうちのオカンの2つ歳下か。まだまだ元気で羨ましい。「とうちゃんは早くに亡くなった」というからいくつで亡くなったのか訊ねたら75歳だった。ウチの親父は69歳で亡くなったぞ。と喉まで出かかった。
 大きめのブロック2つと小さいレンガを3つ。それを軽トラの車体の下に置き、ジャッキでグイグイと上げた。私はやる事もないので邪魔しないように後ろで軽トラの荷台を抑えている。とくに役には立っていないが、薄着で来て寒くて震えてジャージのポッケに手を突っ込んでいる息子さんよりはやってる感が出ている。
 ジャッキで上げるとなんとなくブロックとレンガが揺れていたので「揺れてますよー、気をつけてー」と声をかけた刹那、ガターンとブロックが崩れてしまった。ブロック自体は安定していたが、上に乗せて高さ調節していた小さいレンガ2つが不安定だったのだ。
 「レンガじゃダメかぁー」そう呟くとお父さんは息子さんに近くのホームセンターで同じ大きさのブロックを2つ買ってくるように頼んだ。息子さんはおばあちゃんと一緒にホームセンターへ向かった。だだっ広い田んぼでお父さんと二人きり。冷たい風がぴゅーぴゅーと吹くだけ。とくにやる事もないので、その間に色々な話しをした。普段はトラックの運転手をしているが、正月休みは暇だったので田んぼの草むしりに来てこうなった事。この近くに先輩がいるが、落車がバレると一年中ネタにされるから助けを呼べないこと。
 住んでいるのは隣町で代替農地でここに田んぼを越して来たこと。そうそう、「神崎」は「かんざき」じゃなくて「こうざき」と読むのだ。漫画エリア88に出てくる宿敵の神崎悟は「かんざきさとる」なのでずっと「かんざき!」と呼んでいた。
 そんな他愛も無い話しをしてたら息子さんとおばあちゃんが意外と早く帰ってきた。ブロック2つ。

 完璧なサイズ。息子さんいい仕事。

 これで大丈夫だろう。
 おばあちゃんは僕に温かいペットボトルのお茶を買ってきてくれた。かなり寒くなってきたのでありがたく頂戴した。
 お父さんはグイグイとジャッキを上げる。ここでジャッキを回す棒がひん曲がり、使えなくなってしまった。息子さんの軽自動車に積んである真新しいジャッキに交換して再び持ち上げる。レンガをブロックに代えても土台が緩い土なので安定感は悪い。さらにこの軽トラは四駆だからか、かなり持ち上げないとタイヤがだらーんと下がってくる。
 みんなが固唾を飲んで見守るなか、ちょっとした隙間ができた瞬間に見事タイヤの下に木の板を滑り込ませた。
 そして肝心なのはここからである。軽トラをどうやって田んぼから農道へ戻すのか。
 すると、何のことはない、軽トラはそのまま真っ直ぐ前に進んで田んぼに入っていった。もちろん田んぼは干上がっているが、大丈夫なのだろうか。
 お父さん曰く四駆なので干上がった田んぼ内は自由に走れるのだそうな。ちょっと拍子抜けした。

 これで私の役目は終わった。

 おばあちゃんは駅まで遠いから孫の車で駅まで送ってくれるというが私は頑なに断った。
 なにせ歩くのが趣味だから駅からここまで来ているのだ。と、そう何度も説明した。理解はして貰えなかったようだが送るのは諦めてくれた。私は手を振って三人と別れた。傾きはじめた西陽は田んぼの中の三人と軽トラを照らしている。いつかまた。

 さて、かなりのタイムロスをしてしまった。しかし、やむを得ない。あの田んぼのど真ん中でお父さんひとりにはさせられなかった。万が一車に挟まって身動きが取れなくなったら命に関わる。

 さらにこのサルベージ事件の顛末を
 一枚も撮影していない。


 それどころではなかったからだ。後悔はしていない。時計は15時半を回っていた。まだ今日の道程の1/3くらいである。丁字路に差し掛かり、右に行こうか左に行こうか散々迷って左に行った。土手寄りだし、民家があるからだ。すると後ろからさっきのお父さんが軽トラで追いかけてきた。「だめだめ、そっちは人ん家の敷地!」。なんと、道路だと思って歩いていたのは私道だったのだ。「やっぱり途中まで送りますよー!」という言葉に抗えなかった。
 無念だが、先ほどサルベージした軽トラの助手席に乗せてもらい、この退屈そうな一本道が終わるまで乗っけてくださいと伝えた。
 八間川沿いに走るとこれも気の遠くなるほどの距離の一本道だった。結果この退屈そうな一本道はとうとう駅まで続いてしまった。
 NHKこころ旅の火野正平みたいになってしまったが軽トラ移動で正解だったかも知れない。車中でお父さんがこの八間川に数羽の鶴が来て大撮影会になること。この先の道の駅では鶴を餌付けして名所にしていること。写真に関係ありそうな地元の祭りやイベント、観光地なんかを教えてくれた。
 お互いの連絡先を交換し、大京というパチンコ屋みたいな蕎麦&寿司屋の駐車場で降ろしてもらう。
 手を振って軽トラを見送り、やっと少しだけ歩いて撮影できるかと思ったら、もうかなり陽が傾いていた。

 佐原は利根川沿いを歩いてきた中でも一番の大都会だった。なんならあのスターバックスコーヒーまである。いったい佐原で誰がスタバを利用するのか。地元のオシャレさんだろう。シャレコケてラグジュアリーに珈琲を啜っている佐原ピーポーを横目に私は駅まで歩く。もう暗くなっているのでカメラは鞄にしまった。

 この潔さ。

 新しい街を適当にぶらぶら歩いていたら駅に着いた。改札口の上に設置された電光掲示板を見ると次の成田方面の電車が来るまで50分以上ある。

 振り返って二度見したが
 到着時刻は変わらなかった。


 仕方なしに鞄からカメラを取り出した。

 この往生際の悪さ。

 駅前の地図を見ると、小江戸とも呼ばれている観光地で有名な古い街並みは駅からちょっと歩く。次回ここを撮影するか悩んだが、最初のコンセプトからするとパスだろう。いや、せっかくだから次回はちよっとだけ寄ろうか。
 駅前の街並みを数カット撮影して、また駅に戻ってきた。どっぷりと暮れてしまったが、まだ電車が来るまで30分以上ある。私はまるで蛾のようにやさしい光が漏れる駅の待合室にふらふらと寄って行った。待合室にはたくさんの人が待っていた。観光客でもない人たち。私は彼らから見たらガッツリ観光客に見えるだろう。なにせ首からカメラを下げている。
 たまたまこんなタイミングで席を立つ人が現れたので待合室に入り座ることができた。なるほど、ここで車の送迎を待つ人もいるのだ。電車を待つ人と車を待つ人。だから人が多いのか。
 生暖かい待合室にいたら眠たくなったので、この空き時間を利用してカメラからスマホに写真データを転送した。
 成田で呑もうと予定していたのだが、嫁が家の鍵を忘れて仕事に出てしまい、急遽すぐに帰ることになった。なんとか座れたが電車は成田空港からの帰省の客でごった返していた。

 後日、あの田んぼのお父さんから御礼のお米が送られてきた。秋には船橋の梨を送ろう。

12kmからは先は線路です。電車に乗ってGPSのスイッチ切るの忘れてました。

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