見出し画像

鮮魚街道七里半#8

 -利根川から江戸川まで-
 江戸時代から明治初期、銚子で水揚げされた魚をなるべく早く江戸まで運ぶため、利根川と江戸川を陸路で繋いだ鮮魚街道(なまみち)をめぐる旅。
二〇二一年 千葉県松戸市八柱-松戸市江戸川納屋河岸


 二〇二一年一月一〇日(月・祝)。
 緊急事態宣言の真っ只中であるが、嫁と子供が田舎に帰るこのタイミングでしか写真を撮ることができない。母親の面倒をみる体で留守番を仰せつかったが、コンビニで買った昼飯用のシャケ弁と食後の薬をダイニングテーブルに置いて家を出て、新京成線の松戸行き電車に滑り込んだ。緊急事態宣言下の車内ではあるが、乗客はまったく減っていないように見受けられる。通勤とは逆方向に進む電車にカメラを担いで乗る。

 あゝ、それだけでも十分に癒される。

 今回は鮮魚街道ラストということで、いつものLEICA M9とサブ機でもう一台、RICOH GXRを持ってきた。レンズは宮崎光学で改造されたCONTAX Biogon二八ミリ、Tessar 三五ミリとアポクオリア五〇ミリをバッグに忍ばせている。概ねM9に三五ミリで用が足りるが、万が一M9が使えなくなった場合、GXRにビオゴンの二八ミリを装着すればAPSーCセンサーなので画角がわり、四二ミリレンズになる。スナップなら十分対応できるだろう。

 ローカル電車は右に左に大きくカーブを曲がりながらガタゴトと進む。この鉄道は旧日本陸軍鉄道連隊が満州鉄道の演習用に敷いた線路の払い下げである。軍の演習用なので目一杯曲がる。揺られに揺られること二〇分ほどで目的地の八柱駅に着いた。

 八柱駅は今からおよそ三五年前、私が高校生のときに毎日通っていた青春の駅である。ここ最近はライブハウスに行く時もこの駅を乗り換えで利用するので、勝手知ったる駅なのである。
 改札を抜けるとすぐ目の前にセブンイレブンが見える。ここは昔立ち食いそば屋「南魁楼」という店だった場所で高校生の時には随分とお世話になった。  
 最初は両隣りの店舗をセブンイレブンに挟まれて、最後は閉店して全スペースがセブンイレブンになってしまった。合体ロボワンセブンかよ。
 あのたぬきそばがもう一度食べたい。あのかき揚げ丼をもう一度かっ込みたい。あの元ヤンの店主ともう一度会いたい。私のソウルフードがこんなに最(いと)も容易(たやす)く消えるとは思ってもみなかった。

 南口に繋がる駅ビルの階段を降りて、懐かしの駐輪場まで歩く。入学したての頃は駅近くの立体駐輪場に停めていたのだ。
 空いている場所の競争率が激しいし自転車が痛むので、やがて駅から離れた駐輪場に移った。そんなどうでもいい記憶もその土地に立つと蘇るから不思議だ。
 そんなセンチメンタルな気分で鮮魚街道(なまみち)をスマートフォンで探すと、逆側の出口に降りていたことに気がついた。非情だがそもそも思い出深いお馴染みの出口の方向に鮮魚街道は無い。高校の三年間ですら二回くらいしか利用したことがない何の思い入れもない北口の先に鮮魚街道はあったのだ。
 その北口の階段を降りるとつい数年前に利用していることに気がついた。親友S名君の父親の葬儀が駅を降りた正面のセレモニーホールで行われ、末席ながら参列させていただいたのだ。優しくて快活な親父さんだった。なんならファンだった。もう会えないのは悲しい。

画像1
画像2
画像3
画像4

 しばらくは何となく知っている道だ。線路っ端のこのルートは一昨年にも写真を撮りながら歩いた。

 稔台駅に差し掛かる手前の路地でふと記憶が蘇る。高校時代O野寺君と学校の帰りにゲームセンターに寄った思い出だ。当時の私はゲームセンターに入り浸る悪い少年だったのだ。
 最新のゲームには興味がなく、少し古いゲームを一〇円や五〇円でなるべく長くプレイするという貧乏っちゃまスタイルだった。
 高校に入って初めて友達になったO野寺君と二人で自転車に乗ってこの路地にあるゲームセンターに来た記憶が降りてきた。ちなみにO野寺君のママチャリは黄緑色で、カマキリハンドルだった。確かサッカー部だったはずだが、よりゲームに専念するために部活動は辞めた。

 駅前の踏切を渡り、線路沿いから少し離れた所にラーメン屋が並ぶエリアがある。ここにある「貴生」というギトギトちゃっちゃ系の店の味噌ホルモンラーメンが大好きなのだが、シャッターはちゃっちゃっと閉まっていた。深夜営業だからだろう。その並びのラーメン屋は凄い行列だった。ネット情報によると坦々麺が名物らしい。

 工業団地の入口にスーパー銭湯「湯楽の郷」がある。大ファンだ。私はロードバイクに乗った帰りは新船橋にある湯楽の郷でひとっ風呂浴びて帰ると決めている。元若嶋津親方が長湯しすぎて帰りに倒れたあのスーパー銭湯チェーンだ。
 湯楽の郷を目印にY字路を左へ曲がる。少し歩くとヨーロッパのような赤土色の屋根と煉瓦の壁が印象的な瀟洒な住宅街を通る。どこかの中学校の前を振袖を着た女子が数人集まって記念撮影をしていた。

 すっかり忘れていたが、
今日は成人の日だった。


 国道464号線と並行する脇道をあるく。途中で464号線に吸収され、国道6号線松戸隧道を渡り千葉大学のキャンパス手前で左に逸れる。ここも本当の鮮魚街道はキャンパス内だが、大学の敷地に入れないため脇道をぐるりと巻いて裏門に出る。道は大きな森を迂回するので雰囲気はいい。国道6号線の喧騒から離れた静寂の中で鳥の声だけが聴こえる。
 古い作りの裏門は高台にあるので、常磐線の線路が見える。常磐線の線路を陸橋で渡る。陸橋からはゴールの江戸川が微かに見えた。

 鮮魚街道は暫く川と並行して延びる。宿場町の面影がまだ所々に残っている。「ここ」というようなゴール地点はない。魚は江戸川の舟問屋に運ばれて、そこから船で日本橋の魚市場に届けられる。納屋河岸は一度行ってるので、駅前の交差点の石碑をゴールにした。

 魚をめぐる冒険は終わった。

 鮮魚街道をゴールしたものの、まだ終わった実感がない。とりあえず街道をトレースしてきたが、いくつか心残りがあるからだ。

・布佐駅周辺の探索
・街道周辺とその脇道の丁寧な撮影
・白井市での明らかな手抜き
・五香駅手前で起きた機材エラー
・ゴール地点の曖昧さ
・街道民との運命的な出会い

 もし、2巡目があるならこの辺を重点的に潰していきたい。

画像5
画像6
画像7
画像8

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?