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【雑記】失くした時計とアニミズム、「あたりまえ」のむずかしさ。

 「あたりまえ」こそ蔑ろにされがち、というのは日々の練習などについても言えることであるが、今回は全くドラムとは関係のない話をしようと思う。論調からガラリと変えて。


 腕時計を失くした。タイトルをご覧になられてお分かりの通りだ。ここから書くのは非常にオカルトチックな内容を含むし、(いつにもまして)人を選ぶ内容かもしれないことを前置きしておく。

 ドラムを演奏するときには自分は腕時計は必ずジーンズのベルトループに通しておく。TOKYO CALLING当日の午前中に入った通しリハーサルのスタジオで、時計を外し、一度はしっかりとベルトループに通した、気がする。

 そこを含めた、それ以降の記憶が定かでないのだ。後述するが、本当にこの、装飾品というものは気に入れば気に入るほど自分の身体の一部となって溶け込んでゆくし、だから愛着と反比例するようにそれに対する意識が薄れてゆく。ベルトループに通したのか、通さずどこか傍に置いたのか、あるいは通したけれど、少し革バンドが傷んでいて遊革も定革も(革製バンドに通っている二つの輪っか)取れてしまっていたので、何かの拍子にバンドの端がどこかに引っかかって、そのまま落ちてしまったのか。
 新宿MARZに機材をおろし、機材車をパーキングに停め、楽屋に入り、さてそろそろリハーサルだ、時計を外して・・・?あれ?既に外している。ベルトループには?かかっていない。衣装を入れたカバンには?ない。車に戻り隅から隅まで探してもない。

 すぐにスタジオに連絡し、本番が終わって現場を出てからMARZにも連絡し、帰阪したのち警察にも連絡し、今に至る、だ。これを書いている現在も、どこからも有力な情報はない。ものを「忘れた」は、「失くした」へと変化し、確定となる。おそらく戻ってくる可能性はゼロに近いだろう。

 とても悲しいし、とても寂しい。勿論それらの感情には、自分に対する怒りや悔いもたっぷり染み込んでいる。

 「未来」だったり、原因不明の腹痛だったり、こういったオトシモノもそうであるが、何かについて「わからない」「不明」という状況は一番不気味だ。どこかにこの、ふわふわと浮ついた不確かさの着地点が欲しいのだ。自分を納得させるだけのなにか材料が欲しくなる。例えばある日警察から連絡があって、「○○の路上で見つかりました、ですが車に轢かれてしまっていたようでぐしゃぐしゃになっていました」という結果であっても構わないのだ。「わからない」がいやだ。「わからない」が恐ろしい。だから死は恐ろしい。その恐怖から救われるために人々は宗教にすがるのであろう。宗教こそ、自分の「わからない」に着地点を作ってくれる。
 自分は無宗教だが、今回のこのもやもやの着地点は、アニミズムにあった。アニミズム、すなわち汎神論とは、無機/有機を問わない「すべての」「もの」に霊魂が宿るという考え方である。
 
 失くした時計はLibenhamというブランドのものだった。大学の時に買っていたファッション雑誌"FINEBOYS"の見開き広告で見たのが初めての「出会い」であった。シンプルでスタイリッシュ、でありながらも針の中心を少しだけ右にずらしたという絶妙なユニークさを併せ持ったデザインに当時の自分は一瞬で恋に落ちた。もともと腕時計がそんなに好きというわけではなかったのに、だ。
 そこから5年以上、他の時計には目もくれず片思いをし続け、2年ほど前にようやく購入した。念願叶ったり!である。調べていただければすぐにわかるが、そんなに高価なものというわけではない。ただ自分にとっては「とりあえず」で買うROLEXやOMEGAよりも価値のあるものだった(とてもとりあえずで買えるような代物ではないが)。一生ものにしようと思った。仮に年を取って身の丈に合わなくなったとして、誰か心に決めた人、子供がいるなら子供。その人に譲ることにしよう。そう決めたのだ。

 それからほぼ毎日つけ続けていた。しかし、先のことを考えて、少しフォーマルなものも持っておく必要があるかもしれないなと思っていた矢先、有り難いことに、ひょんなことから別の時計を戴ける機会があった。Libenhamよりは明らかに、適切な言葉が見つからないが「格上」のものだ。音楽関係の現場に出入りするときにはその時計は付けないようにしていたが、それをきっかけに色々な他の時計のブランドについて調べる機会があった。「目移り」したのだ。

 思うに、それがいけなかった。

 自分は時計に愛想を尽かされたのだ。自分の「一生物」という言葉の軽さに、また、物の管理の杜撰さに、彼女は呆れたのであろう。呆れながらも、そんな自分を身をもって戒めるために、彼女は自分の前から姿を消したのかもしれない。
 本当に、びっくりするような、ドン引きされるようなものをすぐなくす。余談だが大阪門真のgrun studioに行ったような時なんかは毎回何かを必ず忘れてくる。スティックケースを忘れたこともある。ドラマー失格だ。先日「タイコアソビ」にゲスト出演したときは、その前に打ち合わせで行った時も含めて何も忘れ物をしなかった。その分が今回に回ってきたのか??などとありもしないことを考えるぐらい、自分は本当にものをよく失くすのだ。

 お思いの方は多いだろう。「そんなにお気に入りや、大事なものだと言うなら、なんで失くしちゃうの?大事にしてるんじゃないの?」と。それはある意味でごもっともなのだが、ある意味では反駁の余地が大いにあるのだ。

 自分にとっての彼女は、いわば身に着けるものであり、そこにあるのが当たり前の存在なのである。腕時計を付け始めた最初はその重さや存在感に良い意味での「違和感」を覚えるが次第にそれが薄れていく。それと同じように、彼女は自分の生活に溶け込んでいった。何せ冒頭に書いたように、既につけていなかったにもかかわらず自分は時計を外そうとしたのだ。
 あたりまえのものほど蔑ろにしてしまう。それは親への感謝であったりにもよく言われることであるが、「あたりまえ」を大事にすることは本当に難しいのだ。少なくとも自分にとっては。喉元を過ぎれば、熱さを忘れてしまうのだ。そして毎回痛い目を見る。これは本当にうまく言ったものだなと、毎度なにかにつけて苦笑いしてしまう。それでもこのような言葉があるということは、人間とは元来そういうものなのかもしれないなと、あまりいいものとは言えない安心感を抱いたりする。

 もうすぐオーバーホールに出そうと思っていた。
 定革はずっと前に無くなってしまって、東京に向けて出発する前日に遊革が取れてしまったからまた直そうと思っていた。出る前に直そうとしたけれど、専用の接着剤を切らしていた。帰ってからにしよう、と、そのままで出かけてしまった。もう一つの時計をつける選択肢はなかった。万が一そっちを失くしてしまいでもしたらこんな文章を書いている場合ですらなくなる。

 自分はここから何を学べばいいだろうか。彼女が自分に残したものとはなんだろうか。主を失った遊革は、忘れ形見のように机の上で居心地が悪そうにしている。そして自分が「この程度の」ショックで考えを根本的に改め、物の管理の仕方を徹底に見直すようなことをするような「出来た」人間ではないことも、その自分が一番よくわかっている。

 この先自分はどうするだろうか。きっとそのうち新しい時計を買うのだろう、どうせ。

 別のブランドのものを買う気がする。その時、彼女は僕の青春となる。別の時計として生まれ変わって、また自分の前に現れてくれたりはしないだろうか、などということを考えたりする。今度は一生物などと大それたことは言わない、ただお気に入りの、ただ好きな時計として、それ以上もそれ以下もなく、ただただ大事にしてやりたいと心から思う。きっと彼女は、この言葉もあまり信用していないだろう。

 しばらくは、いやに軽い左腕に違和感を覚えながら、日常を生きていくことにする。

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