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今日、糸がぷっつりと切れたように私は息子の前で泣いた。
声をあげてわんわん泣いた。

息子は6歳。まだ小さくて平仮名もようやっと書けるようになった子が37歳の私の心に寄り添ってくれたその言葉を忘れないように書き留めたい。

・・・

私は主に今2つの業務委託、新サービスの立ち上げプロジェクトに関わりながら自分のコミュニティの開設準備に追われている。
プロジェクト数でみるとこれまでより少ないし、何よりどれも楽しんでやっていることだからそこに不満はない。

だけど、このところ不意に胸の奥を締め付けるように焦りやプレッシャーを感じることがあった。

なぜだろう。

日々の仕事は楽しいし充実している。
できることも増えたし、相変わらず自己肯定感は割としっかりある方だし、
「やりがい」を感じる仕事やプロジェクトにも関わっている。

なのにこんなに焦りやプレッシャーを感じるのは、仕事以外のことに原因があるのだろう。

確かに毎日手の込んだご飯を作れてはいない。
確かに毎日掃除機をかけてはいない。猫砂が足裏にくっつくことも多々ある。
帰りが遅くなった日は、出来合いのお惣菜やお弁当を買うことだって少なくはないし、洗濯物が取り込まれたままのことだってたくさんある。

そうだ、日々の中で「できないこと」が私に重圧をかけてくるのだ。

その重圧は自然と私を疲弊させ、唯一子供と過ごせる夜の時間帯にまでイライラしていることも多くなってきた。

よくない。非常によくない。

帰宅後に宿題や明日の準備をせずにiPadを開く息子を怒り、お風呂に入らない息子を怒る。そしてご飯を食べてくれない息子を怒り、早く布団に入れと怒る。

そして私は寝る前に思う。
「わたし、こんな風に怒って子育てしたいんだっけ。」と。

・・・

そもそも、理不尽に怒鳴りつけ、自分の意に従わせる旦那が嫌だったし、それが息子に矛先が向かうのを恐れて離婚した。
息子には泣いているわたしの姿を見せたくない一心だったし、離婚後は笑って楽しい親子でいたいと願って離婚を決めた。

今のわたしは、息子にとって「笑って楽しいお母さん」なのだろうか。

いや、間違いなく相違がある。
わたしは、常に怒ってばかりの今のわたしに心底嫌悪しているし、何故もう少し寛容になれないのかと自分で自分を怒鳴りたくなる。

愛情はもちろんある。
ひょうきんなところもずっと何かを口ずさんでいるところも、めちゃめちゃ大胆で人好きなくせ、ちょっと気が小さいところもすべてが愛おしい。それは間違いない。

そう思っている中、偶然自宅に立ち寄った実家の母から追い討ちをかけるように言われた言葉が胸をえぐった。

「あなた、ちゃんとお母さんしてる?ご飯作ったり、愛情しっかりかけてあげてるの?」と。

その言葉がずんずん中に入ってきて心に覆いかぶさって、今夜本当に些細なことで心が破れた。

持っていた食器をシンクに放り捨て、わたしは泣いた。
声をあげて泣くなんて、いつぶりだろう。離婚を心に決めたあの夜以来かもしれない。

突然泣き始めた母を前に、息子はオロオロとして「お母さん、僕のせいだよね、ごめんね」と言った。

「そうじゃない。謝るのはこっちの方だよ、ごめん。お母さん、いつも怒ってばかりだし、ちゃんとお母さんらしいこともしてあげれてないよね。」と絞るように言ってまた泣いた。
息子はしばらく手を握りしめ横に座っていたが、小さな声で話し始めた。
その声は震えて、泣くのを我慢しているようだった。

「お母さんが怒るのはお母さんの仕事だし、怒られることで僕は成長できるんよ。だから怒っていいし、泣いてもいいよ。やりたいこともいっぱいやっていいよ。お母さんは今のままでもお母さんだし、今のままのお母さんがいい。今のままの変わらないままが大好き。」

わたしは馬鹿だ。6歳の息子がこんなにわたしを理解し、認めてくれているのに、わたしは自分のことを優先し、怒ることで結局は息子をコントロールしようとしていた。

母ひとり、子ひとり、いつかは離れていく我が子のためにあまり互いに執着しすぎず、自主性と生きる力を養ってあげるのが役目だと、そう思っていた。だけどわたしの行動は全然違っていたのだ。

理解し、認めてこその自主性であって欲しいし、そうあるべき。息子を怒りでコントロールすることは対極ではないか!

今は、こんな絶対的な愛と信頼を寄せてくれるこの一瞬のような時間をもっと大切に愛でたいし、笑って過ごすのが最優先だ。

相変わらずわたしはいくつものプロジェクトを掛け持っていくのだろうけど、明日からの日々、気になることがあってもまずは認めてあげるところから始めよう。怒らないようにする、というのはおそらく不可能だけど、「まず認める」「いいね」と言う。これはいつも周りにしていることなのだからきっとできる。

母親だからしっかりしなきゃ、少しずつそんな気持ちが膨らんできて辛くなっていたが、やはりわたしはわたしなりのやり方で「手を抜けるところは抜いて」息子と笑って過ごしていこう。わたしと息子の心地よいところを探しながら共に成長していこう。


昨日までのわたしにバイバイするため、明日からのわたしの戒めとして、このnoteを残しておく。

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