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生きるということ

私自身の話ですが、

3月末頃にコロナ自粛になり、

はじめは楽観的だったものの、

色々な意見やニュースを見聞きしていくうちに、とても怖い状況だと体に刻まれました。

そこから真面目に自粛。

子供たちも毎日おうち。

10才、5才、3才と片時も離れず過ごす毎日・・・。

はじめは良かったんです。

気持ちが”緊急時対応”でしたから。

緊急時対応の気持ちはせいぜいもっても数週間でしょうか。

(もちろん、状況や人にもよると思います。
私の話、ですからね!)

心が”緊急時対応”の期間はむしろ人に会えないことが都合がよくて楽でした!

なぜなら私はHSP(繊細さん)であるから。

子供たちと一緒に過ごしながら、布製品をルンルンで作っていました。

だけど、気がつくと子供たちとの密な生活にすっかり疲れきってしまった自分がいました・・・。

もちろん、楽しい思い出も沢山ありますが・・・😙

どんどん迷子になっていく思考。

どんどん肉体が煩わしくなってくる感覚。

子供を可愛いと思えない。

離れたい。

なにもしたくない。

消えたい・・・・・

徐々に徐々に、病んでいくから、ハッキリと自分で気づきにくい。

気がついたら、結構辛かった😭

どこかので、あ、このままではまずいな。というタイミングを得て。

やっと色々行動起こしはじめました。

私は心療内科と脳のクリニックで受信し検査を受けたり、

夫と発達障害について話をしたり。
(夫はASD気質があります
そして私はADHDでAC・・・)

子供たちも療育センターを受診申し込みをしたり、

その流れで次女は耳鼻科にかかり、検査を受けたり。

結構しんどい時間でもありましたが、同時に あぁ楽になるなと思いました。

自分たち家族のことが詳しくわかってきたからだと思います。

そして、どろっどろの底で悩んだことが意外に得たものがあった気がしてます。

結果的に究極に向き合えたんですよね。

外のせいだ!としていたものが、全部自分自身だったのだ、と気づいたことによって、

めちゃくちゃすねて笑

そして社会を呪い笑

また外のせい笑

生きづらい!
生きるのめんどくさい!とごね・・・笑

ちーん。

恥ずかしい(/-\*)

自分的に本当にツラかったんですけどね・・・。

でもでもでも、

どんなに辛くても人生って

生きるか、死ぬか。のシンプルな二択しかなく・・・

生きる、を選択。

社会を呪ってすねたまま生きるのか、
そんな中でも自分らしく生きるのか。二択。

自分らしく生きたい!を選択。

この選択をすると幸せになれるとかではなく、
どちらにもあるリスクごと受け入れるような感覚選ぶ。

こんな感じでシンプルな二択を繰り返し、

出た答えがこの、私自身を生きる。
私は布もの作家をするんだ。

ということでした。

本当にシンプルな問いにシンプルな答えで

あんなに糸がからまるほど悩んでしまったことがうそみたい。。

そう、そして生きるということって、

めちゃくちゃ、、どろくさくて、かっこわるくて、絶望的で、苦しくて、悲しくて、

だからこそ歓喜が際立って、
それを目印に進むみたいな

感じなんじゃないのか?と今は思ってます。

だからきっと美しいしね。

そして私はどろどろの底にいつでもいて、誰のことも上から見ず、ちゃんと絶望を抱え続けていたいと思うのでした。

底はいい。

選択肢が少ないし、

プライドもいらない。

底で堂々と欠けたままの自分で泥臭く生きよう。
そう思っています。

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