美女と野獣は妄想の種
街中を歩いてて、なぜこんな美女が野獣を連れているの?と思ったことはないだろうか。
心が綺麗な人は内面を見て選んだのかなとか。東京カレンダーを読んでいる人は相手が高収入ハイスペなのかなと思うかもしれない。そうやって街ゆく人を見てあれこれ考えるのが好きだ。
私はこのケースでは江戸川乱歩の短編小説「芋虫」を思い出す。小学校の図書館で初めて読んだ。今から思えばとんでもない本が置いてあった。戦争で負傷して、芋虫のような醜い姿になった夫。外では献身的な嫁を演じる妻は家の中では夫を虐め、自らの美しい障害のない身体にうっとりする。
自分より劣った容姿の友達を連れている人はどうだろうか。実際、大学で多数の取り巻きを連れ、お揃いの服装、カバンを提げている知人がいた。彼女以外は似合っていなかったのに「みんな買えば良いよ」という胸の内は…
この時代にマスクを付けず着飾る人。その隣でマスクをしているツレをたまに見る。他人に興味がないのか。無知なのか。感染したから大丈夫とでも思ってるのか。マスクをしないといけないと思う感性を持ちながら常識が欠けた人と連れ合う矛盾の理由を探してしまう。
別のケース。クリスマスの日、高級フレンチに現れたカップル。おじさんと親子ほど年齢が離れた女性はジャージ姿。買ってもらったばかりなのか、ブランドの紙袋を持っている。
スタバで隣の席になった男女。露出度の高い服装に身を包み泣く女性の肩をさすりながら表情は同情してそうにない男性。
テレワーク中は関係性にシナリオという答えがある韓国ドラマばかり見てしまうが、日常を取り戻した世界は妄想の種で溢れているはずだ。
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