映画「国葬の日」のもやもや

映画「国葬の日」が公開になって、上映しているポレポレ東中野は満員だった。昨日は音楽プロデューサーの松尾潔さんも、上映後のアフタートークに出演されていた。

それで、この映画はモヤモヤがテーマだw 見るとモヤモヤするのw

映画では安倍元首相の国葬なるものが行われた当日、日本各地で一般の人の声を拾う。拾うけど、そもそも、みんな、何も考えてない。大して考えてない。考えているように見えてしゃべる人もネットの受け売り丸見えだったり。さらに考えすぎてる人たち(?)はデモや抗議集会をしているけど、その声はなんていうか、ぜんぜん響かない。

私たちは日ごろからデモや抗議集会に対して冷ややかで、映画の中でも、あんなん当日までやるか?とかバカにしたように言う人も出て来る。「声をあげる」ってことが、とことんバカにされて、追いやられるのが日本社会だ。私は政治家の人と話をして、声をあげる政治の本を作ったりしたけど、ふつうそういうのはもっと政治家や政党と懇意の人がやるものらしく、いろいろ仕組みやら知らないでやってしまったら、後から政治家と本なんて作ると「色が着く」と言われた。そうすると仕事が減るそうで、いやまあ、元々減るような仕事はぜんぜんなかったから減るとかもないけど、逆に別に仕事も増えてないし、ずっと貧乏なままだ。

話がずれた。とにかく、声をあげることはバカにされる日本だが、そもそも私たちには「声をあげる」なんて概念はない。人生多くの時間、バイトとライターの両立で生きてきた私が思うのは、これだけ自己責任論がはこびる日本社会に生きていたら、社会に目を向け、声をあげて、自分の生活を改善しようなんて思うことはできない。非正規とかバイトとかで働いて身を粉にしていたら、疲れてたいへんすぎて、もちろんお金もないから新聞なんて読まないし、じっくりと考えることなんて出来ない。まったく何も考えてなかった、私も。ずっと。逆に世の中を憎んで、マシンガンぶっぱなしたいとかばっかり思ってた。

少し前に共同テーブルという、映画「国葬の日」の中では抗議集会を開いていたような感じの方々が大勢集まるシンポジウムがあって、登壇者として出たときに、みなさんめちゃ熱心な感じですばらしすぎて、私は違和感がものすごく、卑屈な気持ちになり、↖のようなことを話した。

コンビニとかバイトで身を粉にして働いたら世の中のことなんて考えられない、無理だ、それで世の中をもっと知れとかあれしろとかムチャな話で、みなさんみたいな余裕ある人はここに来れるけど、ここに来れないお金なくて必死に働いて自尊心ずたずたで明日は見えなくて、もう死にたいばかりの人のことをもっと考えなければ、何も世の中は変わらないと、ぶちかますように言って、ああ、もう、嫌われていいんだ、私は、と思ったら、逆に終わってからお客さんの人たちにめちゃくちゃ「あなたの言うとおりよ」とか言われて、え?と思った。言うとおりなら、オレに金めぐんでよ~とか思ったがww まぁ、だまって薄笑いしていた。

今見たら、動画残ってたw

 

41分過ぎぐらいからしゃべってます。。。ぶちかます! 

私がこうやって社会について話せるようになったのは、私がこの2年間たくさん時間があって(バイトしないで済んでいて)勉強をたくさんしたからです。本を死ぬほど読んでこうして話せるようになりました。そのことを知ってほしいなぁと思う。

「国葬の日」に出て来る何も言葉がない人たちのこと、ただ責めても意味はなくて、その人たちが言葉を持てるようにするには、やはり賃金が上がり、非正規だろうと同一労働同一賃金が守られなければならないんだというところに行くんだと思います。映画の中に「IT関係ですか?」「いえ、コールセンターです」という会話が出て来る。コールセンターは非正規労働のもっとも多い仕事のひとつだ。彼らも当然、言葉を持っていなかった。

めちゃくちゃ考えることがいっぱいある映画だ。

みんな見てほしい。

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