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母が突然言い出した

数日前、母から電話がかかってきた。私が頼んでいた「あるもの」を2つのはずが3つ送って来たから、そのうちの1つを母に返送して「お母さんが使って」とメモっておいたら、「わざわざ面倒かけてすまないねえ」という電話だった。「あるもの」ってなんだ? まぁ、大したものじゃないから。

それで「なんで3つ送ってきちゃったの? 1つはお母さんが使ってって最初から言ってたじゃん」と言ったら、「だって、もう、私はいらないと思った。なんだか年内に死ぬ気がするから。もういらないから。靜香が使えばいいって」

どどどどどど、どうした? 

うちの母は腹膜炎起こして手術入院、手術からの復活がなかなかできず、ああ、お母さん死ぬかもね?と、私と姉がお葬式のパンフレットをあれこれ見比べていたときも「治る」「だいじょうぶ」と何やら気持ちだけは勝ち誇り、見事に復活した人だ。コロナ禍の入り口だった。

その前、心臓の動脈3本ぜんぶ詰まってると言われたときも、1本ずつ手術し、痛い、わ~と大騒ぎして、血圧が乱高下、うわっ、死ぬかな?と思ったときも、大騒ぎする元気があり、無事に通過。

それが、何もないのに急に「年内死ぬかも」だ。ビックリした。すぐに母のもとへと行き、顔ぐらい見せてあげたいのだができない。今週は忙しいのだ。いや、来週も忙しいから、えっと、だいぶ先になる。

母親の「年内死ぬかも」予言は私の心に今、ものすごい暗い影を落としている。なんとなく思うのは、母も私も、、、、、、ああ、今そう書いたように「なんとなく思う」ことで生きてきた人だ。コレ、という確実なことは何ひとつないのに、なんとなく思うことで生きてきた。この「なんとなく」が大事で、「なんとなく」がそのとおりになったり。

だから、母の「なんとなく思う」そのことが心配になる。とりあえず新刊が1冊だけ手元に残ってたのでソッコー送ると、昨日手元に届いたそうで、読み始めたという。あああ、ヨカッタ。娘の新刊。読み終えるまではせめて元気でいてよ(母は読むのにものすごい時間がかかるので。前の本は1年以上かかってた)。

そして読み終えたら「私も市民運動するわ」って母も元気に立ち上がってくれたりしたらサイコーなんだけど、いや、そうやって、今まで自分の言葉を持たない人が持てるようになったりしたら、サイコーサイコーにうれしいよなぁと思いながら書いた本だから。女性が、それまで一歩後ろにいたのを、一歩前に立ってほしいなぁと思って書いた本だから。そして母自身のことも書いてる本だから、なんとなく、元気になってくれたらいいなぁ。。。

そしたら、この本作った意義が生まれ、たとえ売れなくても満足。。。はせんなぁ、うん。売れないとなぁ、困るんやで~~。なぁ。うん(ひとりごと)。


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