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心のかたちを考えるはなし

最近すごく疲れるな〜と思っていたので、本を読むようにしてました。この世のすべてが本に書いてあると思っているので、困った時は本、に限ります。小説じゃなくて、エッセイとか心理学の本とかです。これは小説好きの私にしては珍しかったんですが、落ち込んだときや悩んだときの私にはこっちのほうが合ってるようです。

小説と、小説以外の本の、今回のポイントだった大きな違いは、描かれている感情と自分の心の間の距離感でした。小説は感情移入してしまうので、小説内の感情と自分の心の距離はまさに紙一枚分という感じです。対するそれ以外の本は、感情と言う意味では読者と一線を置いています。距離がある分、読書に割り当てる心の量が少なくて済みます。

「心の割り当て」という表現は、私が今作りました。もうちょっと状況を説明すると、まず、メンタル、や心、を、ふんわりした実態のないものではなくて、水槽に入った水のようなものだと考えます。水槽の底には蛇口がついていて、心が活動している間は、蛇口は基本的には開いています。蛇口が空いていると、液体状の心は流出してしまいます。「心の割り当て」を考えるというのは、つまり、水槽を1日分の心あるいは元気と考えて、有限リソースである心を、1日の中でどうやって分配していくかということを考えるということです。

自分の心を水状の有限物質と考えるようになってから、かなり疲れが減りました。これまでは心を霞のようなものだと思っていて、出力や感度を調整できるようなものとは思えなかったので、ひとつひとつの感情に極限まで心をつぎ込んでいました。

水槽のイメージを持ってからは、特に心を消費する必要のない場面では、心の蛇口の開け方はできるだけ細くするようにしました。そうすると家に帰ったときに、水槽にちゃんと高さ30cm以上心が残っているのがわかります。金魚も亀も暮らせる量です。

今回、「心、水タイプ案」のヒントになったのはこの本です。

HSPの本です。最近たくさん出版されてますね。HSPがどうこうというよりは、自分の容量のなかでやりくりする方法を提案してくれているところが参考になりました。

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