第20回 君、音、朝方、etc 【私的小説】
部屋にいる、呼吸をする。歌も声もない音楽を聴く。
響一はそば茶の湯呑を二つお盆に載せ帰ってくる。床に置き、私に言う。
「まだ熱いから、少し冷ますまでここにおいておく」
彼は横に座る。遠くにいて、近くにいるように。振動でベッドに彼が座ったのを私の身体は感じる。
響一は言う。
「酔っていたんだ。一昨日の夜。終電で帰ってきた後に広場で休んでた」
「覚えてるんだ」
「論理的に言ってそれ以外考えられないから。ギターも持って行ってた。あの街で弾き語りをやろうとして意気揚々としてたんだ」
「いきようよう」と私は言う。
「やる気に満ちていた、ってこと」
初めからそう言って、とはもう言わない。
先日、彼が伝えてくれたことがある。
「それはそのようにしか表現できないことなんだ」と。
表現の一環として彼の言葉がある、と私は考えるようになった。
「響一は意気揚々とやる気に満ちていたんだ。一昨日は」と私は言う。
「そう」
湯呑から立ち上る湯気が部屋を満たしている。
「もういいかな」と私は言う。
彼はそちらの方に目をやる。
「そうだね、」と彼は湯呑を掴み、私に差し出す。
「それで、帰ってきた後、何曲か演奏しようとした、真夜中に。酔ってて。酔わないと、外で真夜中にギターは弾かない。今ならそれが出来ると思った。とても素晴らしい調べが降りてくると思ったんだ。けど、それだけだった」
「それだけって?」
「頭の中の旋律は現実には現れなかった。だから嫌になって一曲も弾かず、帰ってきた。ギターを裸のまま持ってきたんだね。酔ってたから。説明になった?事の顛末は」
「はい、一応」
私は訊ねる。
「ギターケースがないのに気づいたのはいつ?」
「君が来た時に」
「探そうともしなかったんだ」
「やがて気づいてたんだろう、と思う」
「やがて?」
彼は黙る。私は言う。
「その時はもう無くなっていたかもしれない」
「なくなっても構わない。ただのケースだ」
彼の言葉に、強い反感がある。
「物を大事にしない人なんだ。初めて知った」
彼は寂しそうな眼をしている。
「君が現れたんだ、」
「君がいなかったら、僕はギターケースを失くさなかったかもしれない。何もかもが分からないけど、今は」
彼はそれ以上何も言わない。
「混同している」と私は言う。
私は考える、彼の頭の中で何が起こっているのか。無言で言葉にしてみる。私がいたから、彼はギターケースを失くした。更に考える。彼がいたから、今この風景が見える。
私がいたから、この世界は今ここにあるのだろうか。
そんなの、雲を掴むような話だ。
「私にも分からない」そう私は言う。
「ありがとう」
彼は小声で言う、まるで怯えていた。
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