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【海やまのあいだ】2023年夏の滞在日記


8月13日 田久日のお盆の墓参り

竹野町最東端の谷にある平家の里、田久日の海岸に車を止めると、ちょうど路地の奥から老若男女10名ほどの一族が現れたので同行を願い出る。すると「うむ、聞いております」と歩を止めることなく何ひとつ躊躇することなく私たちを迎え入れ、そのまま海岸に祀ってある13体の地蔵を拝み始める。最年長の翁が般若心経を唱えながら長い数珠を揉む間、ちんちんちんと鐘が鳴らされ、齢14ほどの少女4人が膝をついて地蔵に線香と祈りを捧げる。皆が地蔵と呼ぶものの、それはどうみてもただの石である。蝉の絶唱をくぐり抜けながら長い長い坂道を登り、崖の中腹にある村の共同墓地へ。そこで墓参りを済ませた別の一族とすれ違う。先祖の墓に白玉と線香を捧げ、ここでも翁の般若心経と鐘が鳴る。祈る一族の背後には紺碧の日本海が広がり、集落を見下ろすと海岸の地蔵の前では別の一族が祈りを捧げ、ちんちんちんという鐘の音が谷を昇って来る。翁たちは墓地の入り口の地蔵にも祈り終えると、大回りをして別の坂から集落へ降りる。その先にある観音堂でまた祈る。ここには平家の先祖、悪七郎の墓碑がある。階段を降りた先の地蔵にも祈る。墓参りを終えてみるとその道程は集落をぐるっと周りながら祈りを捧げたことになる。耳を澄ますと潮騒の合間に念仏と鐘の音が聞こえる。閉ざされた谷間から、この日だけ祈りが螺旋を描いて上昇する。

8月13日 満願寺の盆踊り
日が暮れた闇深い寺に人が集まりだし、やがて輪になり踊り始める。櫓や提灯などの灯りは何もなく、本堂の灯りは笛、三味線、太鼓、歌い手だけを照らす。踊る人たちは闇に紛れた影のまま、ひたすら繰り返されるヤチャ踊りの音頭に合わせ、ぐるぐると回転している。この影の人々は、果たして生者だろうか。

8月13日 須谷の盆踊り
人生初となる盆踊りのはしご。提灯が櫓から放射状に広がり、その中心では中座が音頭を奏でる。踊る人たちの大きな輪が櫓を囲む。ホームランを打った後の大谷翔平の兜パフォーマンスを模した男性、となりのトトロの皐月に扮装した少女、蛍光紫や黄色のサイリウムを振りながら踊る娘たち。最後に変装の順位が発表され、景品が渡されて皆笑顔で解散。

8月14日 蓮華寺施餓鬼供養と古代太鼓踊り
竹を切り出す男。本堂までの石段を竹を引きずって歩く男。本堂の裏からごつい柱と木槌を運び出す男。男たちは本堂の脇に、その柱で何やら組み立て始めるが、意思疎通がうまくいかない。うまくいかないので組み立てもうまくいかない。柱に先人たちが残した印が刻んであるが、男たちはメッセージを読み取ることができない。力ずくで組み立て、力ずくで木槌を振り下ろす。そうして組み立てられたそれが、巨大な棚らしいということがわかってくる。その脇では竹に御札が飾られようとしている。しかしここでも男たちはどこに飾ればよいのか、何よりも御札を竹の葉に取り付けるためのホチキスと呼ばれる最新鋭の道具の使い方がわからない。どうすればよいのかわからないので手は動かないが、口は動く。とどまることのない寺への愚痴が場を盛り上げ、なんとか御札を付け終わることができる。念が込められた竹が、いびつさを隠そうとしない棚の脇に飾られる。これで今年も無事、餓鬼に施し先祖を供養できる。
すると太鼓を腰につけ、笠で顔を隠した白装束の男たちが、棚を囲んで実にまったりと踊り始める。高揚感とは縁を切った、いや覚醒という舶来の感覚など知る由もない、とでも言わんばかりの酩酊した時間が続く。時間という感覚が失われるほど続くそれは、酩酊から陶酔へと私たちを誘う。終いには鐘の倍音と坊主のホーメイさながらの読経が森を駆け巡り、私たちは永遠の今のその只中に放り出される。

8月16日 神原の数珠繰り
数珠繰りはなかなか始まらない。案外風はなくて雨台風だったな、いやいや土砂崩れがあったって、帰れなくなって病院に泊まったそうよ。台風一過の晴天のもと、お堂に集まった媼たちは世間話ではしゃいでいる。見かねた誰かがそっと数珠を解き、その長い輪を手渡していくその最中もおしゃべりは止まらない。ようやく行き渡った数珠が南無阿弥陀仏の音頭でゆっくりと回り始めるその方向は、時計の針と逆である。媼たちがそのしわがれた手で、ゆっくりと時間を巻き戻してゆく。それはねじの回転では、閉めるのではなく開ける方向になる。その開口部はこちらとあちらをつなぐゲートになるのか。その輪の中心では、滴る汗と線香の煙を身にまとった媼が無心に鐘を鳴らしている。と不意に、熱中症警戒アラートが念仏をかき消し「屋外での活動や不要不急の外出は控えましょう」と忠告するが、無論、数珠繰りは止まらない。ずいぶん経って線香が燃え尽きると、ようやく数珠の回転と念仏が終わる。しかしここから媼たちは持参した団子を頬張って、白玉の湯で時間や、きな粉と砂糖の配分を嬉々として話し始める。数珠繰りはなかなか終わらない。

8月21日 草飼の盆踊り
この夏三度目の盆踊りである。いい加減、死者にも飽き飽きされているかもしれない。場所は少林寺という寺だが、無住で公民館のような建物だ。しかし一応お寺のその本堂で、堂々と景品のかかったビンゴ大会が行われる。清濁併さった場所で、子供も老人も暗がりに響き渡る数字に耳を澄ませ、一喜一憂している。最終的には参加者全員に景品が施されるという、お釈迦様も許してくれるであろう結末の後、盆踊りは始まる。櫓にラジカセが置かれ、カセットテープが回転を始めると、踊りの輪も回転し始める。はじめて踊る人が前の人の踊りを見よう見まねで真似し、その踊り慣れた人に後ろからせっつかれてさらに前の人が踊る。その連なりが前も後ろも無い見事な円環になる。と、唐突に回転の駆動源だったテープががっちゃんと止まり、いとも簡単にその円環はほどける。夏の夜の夢のごとく。

8月22、23、24日 梅田の地蔵盆
国道脇の法面に穿たれた洞穴から取り出された祠が、夏の朝日に照らされてブルーの軽トラックの荷台に乗って走っていく。国道ができるまでは集落のメインストリートだった村道の真ん中あたりに、盆棚を艶やかな衣装で着飾らせている婦人たちがいる。祠はその前で降ろされると、真っ赤な前掛けをした地蔵が運び出され、洗剤をかけられゴシゴシと泡だらけにされる。仕上げにホースで水を浴びせられて、沐浴は終わる。婦人たちは古いアルバムを広げて写真と見比べながら、男たちはスマホの写真フォルダを開きながら、ああでもないこうでもないと戸惑いながら、盆棚を作る。すると最年長の媼が現れ、長年に渡って蓄積された膨大な脳内データを頼りに、テキパキと指示を与えて完成させる。仕上げに飾る提灯のひとつひとつに名前が書かれていて、それは集落に子が生まれる度に作られ、生まれた子の名が記されている。そうだ、地蔵盆は子供のお祭りなのだ。しかし村を出たその子供たちの姿は、今ここにはひとりもない。姿のない死者に祈りを捧げる生者の姿もまたない。朝飯前にしては苦労ある仕事を終えると、まだ涼しい風が裏山の木々と提灯を揺らす。
翌日、小雨降る逢魔が時に満願寺の和尚がハイヤーで現れ、こうもり傘を広げた村人たちが出迎える。和尚の念仏にあわせて、村人が順々に盆棚に浄財と線香をあげて祈る。あっけないほどあっさりと祈りの時間が終わると、小雨は上がり、虹が地上と天上をつないでいる。
翌早朝、盆棚が片付けられ、そこは砂利の敷かれた空き地に戻る。誰に命じられたわけでもなく、誰に見せるわけでもなく、ただいつもやることをやっただけ、という潔さが残された空き地。あれは本当にあったことだったのだろうかと、灯火を眺めるように空き地を眺めていると、地蔵が乗ったブルーの軽トラが国道へ向かい、洞穴の中に安置される。そしてこれから362日、この場所から村を見守る。

8月23日 草飼の地蔵盆
日の暮れた少林寺に女性たちが15人ほど集まり、御詠歌を唱え始める。メインボーカルが引き伸ばされた旋律を独唱すると、続いてコーラス隊が鐘のリズムと共になだれ込む。柔らかく耳を撫でる旋律と、鋭く甲高い鐘のリズムが対置され、どんどん引き込まれていく。ひとつ終わると僅かな静寂が訪れ、また独唱が始まり、コーラス隊が続く。開け放たれた窓からは、こおろぎの重奏も加わる。やがて羽音は消え、代わりに細かい雨音が新たな展開を加える。三十三度の繰り返しが終わると、南無阿弥陀仏のCODAとなり、終わる。雨音だけが続いている。

8月24日 銅山の万灯
竹野川を遡上し、三椒川へ。さらに進んで山深い集落の銅山に万灯を見に来たのだが、まず銅山をあかがねやまと読むことも、万灯をまんどと読むことも至難の業である。さて、どこの集落もそうだが、村の入口には六地蔵がある。まず齢90になる媼が丸めた新聞紙に、地蔵前のろうそくの炎を移す。松明のように炎を掲げて国道を横断し、川べりに立てかけてある一本の竹のその先に炎を移す。そこには束になったおがらがくくりつけてある。おがらとは、麻の茎の皮を向いて乾燥させたもので、その煙は天上から先祖を降ろすと言われる。しかし麻のため、今では栽培することができない。そのおがらがじっくりと炎を蓄えると、媼は竹を握り、まんどーやまんどーと口ずさみながら回し始める。長く伸びた竹の先で炎が踊る。先祖を降霊させる紫の煙を出しながら踊る。媼は若い頃、麻の栽培をしていた。麻畑を、あさまちと呼び、それはきつい仕事だったです、と語り始める。春に目印となる桜が咲くと、麻の種蒔きが始まる。人々はその桜を、おまき桜と呼ぶ。麻を「お」と呼び、種を撒く時期の目印としたのだ。おがらは茅葺きと同じように屋根の材料にも使われ、それの残っとるのがまだあるんです。と微笑みながら話す媼の顔はみるみる若返り、眼の前に現れたのは煙により降臨した幼き少女だった。

8月24日 二連原の万灯
激しい雨の中、くわえ煙草で竹の先に藁の束をふたつくくりつける太田さん。竹をびよんびよん揺らし、針金でくくられた藁が落ちないか確かめる。新しい煙草に火をつけて、煙を吐き出しながら三椒橋を渡る。橋の下では仏送りの花が枯れている。雨が上がり、晴れ間が差す。この急変する天気を、土地の人たちは浦西と呼ぶ。さっきまでの土砂降りで、外に置いたままにしていた万灯が濡れてしまったのか、肥料撒きの機械をブロワーのように使い、藁に強風を当てて乾かしている男を通り過ぎる。太田さんは玄関の外に鎮座する大きな冷蔵庫から缶ビールとかにかまを取り出す。新しい煙草に火をつけて一服すると、ビールを流し込み、集まってきた野良猫にかにかまを与える。そばにある大きな貯水タンクでは、100匹以上の藻屑蟹がシイラをまるごと食べている。
集落下手側の隣村との境界に、片手に藁がくくりつけられた長い竹、もう片方の手にペットボトルの水を持った5人衆がやってくる。そこへエレクトロニック・ダンス・ミュージックを轟かせながら、3歳男児が運転するトヨタのオープンカー型ラウンドクルーザーもやってくる。人々はペットボトルの水を藁に注ぎ、ライターで火をつける。激しく燃え盛る炎から、それが水ではなく可燃性の液体、おそらく灯油だということが分かる。人々は川辺りで万灯をぐるぐると回す。叫喚と共にひとつの万灯から、燃え盛る藁が崩れ落ち、ラウンドクルーザーの上に降りかかる。炎は間一髪、車を避けて川へ落ちる。竹と藁を針金ではなく、可燃性の紐でくくりつけたのだ。やがて藁が燃え尽きると、人々はそのまま竹を川底へ投げ込む。ひときわ巨大な太田さんの万灯だけが、川向こうの山並みを背景にいつまでも回っている。そろそろいいか、と太田さんが私たちに尋ねる。これだけ大きな万灯を用意してくれたのは、私たちが撮影したいと申し出たからだろう。はい、という返事の後で、万灯は川底へ投げ込まれる。そして、空のペットボトルを持った人たちは集落へと帰っていく。いつの間にかラウンドクルーザーの助手席には女児が同乗し、沿道の私たちに手を降りながら、お盆のパレードはグランドフィナーレを迎える。

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