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海辺を蹴る

自分が好きな言葉を並べる。
海、青、快晴、最後、夜
夜明け、花、死

今、喫緊の課題として「希死念慮」がある。
とりあえずやろうと思っていた英単語帳はやめて、その20分をこの記事を書くことに充ててみる。

お題は救いについて。
希死念慮に必要な対処法は、結局のところ即効性の高い救いだと思う。
よくある方法に、気を逸らすことや他のことをやって忘れることがあるけど、これは問題解決になってない。
ただ今この命が今日から明日に行けると言うだけで、心の辛さに変わりはない。

私のことを世界一理解している友人はよく知っている。
私が辛いということを「忘れよう」としていること。
何度も言うがこれはよくない。
やがて積もり積もった辛さが突然姿を表し、全てを破壊するのが分かりきっている。

では救いを得るには何を準備すればいいのか。
人間。
人を準備する。
自分が信頼していて自分に親愛を持ってくれている人。
今まで生きてて良かったということを教えてもらう。
方法はなんでもいい。
愛を喋らせてもいいし、共に楽しい時間過ごすのでもいい、何か買ってもったり、言葉をもらうのでも。
生きるにはボーナスステージがないとやっていけない。
私はよく「なんでも卒なくこなす」とか「器用」「逆にできないことある?」と言われるくらいなんでも結構頑張ってやるのだが、ささやかなボーナスステージくらいないと人生の採算が取れない気がしている。

ところがこのボーナスステージ、召喚するのが難しい。
例えば誕生日とか、ライブイベントが起こった時なんかは褒められやすかったり、これまでの人生の肯定のような言葉をかけてもらえやすいけど、誕生日は毎日やってこないから困っている。
そうじゃないときにどうやって引き出すか。
「死にたい」「つらい」「私のいいとこ教えて」、これが口に出せたらどれだけ良いだろう。
でもできない。そんな軽薄に口に出すものでもない(独り言としては掃いて捨てるほど言うけど)。
そのへんのメンヘラと一緒にされたくないし、もっと本気で麻縄に首を通したいときに狼少年になっては困る。
でも今も心は麻縄を探しているんだけど、程度の問題だろう。

ええいままよ、オチを考えていなかった。
つまるところ私はこんなに人に愛されているくせに、1人になると易々とそれを忘れ、あたかも生きてる意味がないかのような錯覚に陥っているのだ。
困ったやつだ。
明日も明後日もほんとは自由なのだ。
突然飛行機に乗ってどこかへ行っても誰も何も言わない。
ほんとの窮屈はもう少し先にあるだろう。
目の前のやつに理解されないからなんだ?たった一問、問題が解けないからなんだ?少しヘマしたからなんだ?
別に私の価値は少しもすり減ってない。
私を慕う人間は今日も私のことが大好きだし、サンキャッチャーは光合成する。
帰るべき場所は無くなっていない、単に見えてないだけだ。
ひとりでもない。
死にたいなら花を買おう。
枯れるまでには少し素直になれるし、目の前の景色の変化は大事だ。
花は枯れても私は生きていたら、それで「良かった」と思ってくれる人間が山ほどいる。

無計画に書き走ったら結論「即効性のある救いは花」になった。
明日は何の花を買おうか

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